【連載】大阪の橋

    第22回●神崎橋(6)
    先代の神崎橋

    松村 博
    (74期・大阪市都市工学情報センター理事長)



       木杭を橋脚にした脆弱な橋を強固な基礎をもった橋に架け換える必要がありましたが、戦争直後の物資不足のためにすぐには実現できませんでした。そしてようやく昭和28年にコンクリート杭を基礎とする橋に架け換えられました。この橋も長さは320mと長いものの、幅は6mとあまり目立ったものではありません。しかしこの橋は橋梁界では少し名の知れた橋なのです。それはこの橋がわが国で初めての合成桁が採用されためです。

       合成桁とは鋼桁とコンクリート床版をジベルと呼ばれるずれ止め装置で結合し、荷重に対して一体として抵抗するように作られた形式をいいます。大阪市の橋の建設は、戦時や戦後の混乱のために長らく途絶えていました。この神崎橋の建設は戦後の本格的な橋の事業の再開を意味するもので、橋の技術革新の先駆的な役割を果たすものでした。当時としては画期的な実物大の桁を用いた載荷実験も行われました。当時ドイツで作られたばかりの暫定設計基準を参考にして、苦心のすえ設計作業が 進められたということです。

       その後、自動車交通が増え、歩行者の安全を守るために昭和38年には4m拡げられ、幅10mになりました。


    Last Update: Apr.23,1999