【連載】大阪の橋

    第4回●十三大橋(4)
    鉄橋の十三橋

    松村 博
    (74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)



       十三の辺りの淀川開削工事が始まったのは、明治32年のことです。工事の期間中は木製の仮橋や時には渡し船によって通行を確保していましたが、川の工事が完成に近づいた明治42年5月に新しい鉄橋が架けられました。この橋の規模は、幅は5.5mであったものも、長さは川幅に合わせて683mと、前の橋の3倍以上にもなりました。建設費はおよそ12万円であったとされています。

       新淀川の開削に並行して、利水を目的にした中津運河が掘られました。ここにも橋が架けられましたが、淀川の大橋と区別するために十三小橋と呼ばれるようになりました。

       現在の十三大橋の南西詰の堤防の上に高さ4mほどの石柱が建てられていますが、これは大正9年3月に地元の有志によって建てられた道標です。東面には「池田四里、伊丹二里半」などと彫られています。

       また北面には新しい淀川が作られた経緯が刻まれており、多くの家屋の立退きののち、十三の堤ができたのは明治35年のこととされています。


    Last Update: Jul.23,1998