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	<title>東京六稜倶楽部 &#187; 2020年度</title>
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		<title>【216回】12月「レオナルド・ダ・ヴィンチ、空飛ぶ機械の夢」</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Mar 2020 08:01:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[米田　洋さん＠89期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年12月19日（土）14時00分～15時40分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>テレビ講演会</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>97名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>米田　洋さん＠89期　(帝京大学　航空宇宙工学科　教授)</p>
<address style="padding-left: 30px;">1958年生まれ（東京生まれ、大阪育ち）<br />
1977年 北野高校卒業（89期）<br />
1982年 京都大学工学部　航空工学科卒業<br />
1984年 東京大学大学院　工学系研究科　航空学専門課程修了<br />
その後、富士重工業（株）［現（株）<em>SUBARU</em>］航空宇宙カンパニーに勤務。専門は飛行制御で、数多くの無人航空機（ドローン）開発に従事した。<br />
2014年より帝京大学理工学部（航空宇宙工学科　航空システム研究室）教授日本航空宇宙学会フェロー、日本産業用無人航空機工業会　顧問<br />
趣味はグライダー操縦で、日本でただ一人の足が不自由な障害者パイロットである。</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「レオナルド・ダ・ビンチ、空飛ぶ機械の夢」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>没後500年のレオナルド・ダ・ビンチは、「飛行」に対して並々ならぬ情熱を注いでおり、鳥の飛行の観察、種々の空飛ぶ機会の構想とスケッチを残しています。飛ぶと言えば手に翼をつけることしか考えなかった時代にあって、非凡な彼は４種類の飛行機械を描いています。講演では、人類が飛行機械を発明するまでの歴史を俯瞰するとともに、レオナルド・ダ・ビンチが描いた４種類の飛行機械について、それぞれが飛行し得る機会であったかどうか考察します。そしてそれが現代にどう息づいているか、次世代の飛行機械、特にパーソナルフライトがどうなりそうなのかについてお話しします。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>この講演の詳細は添付の講演スライドのPDFを参照してください。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>米田さんは子供の頃は鉄道ファンであったが、紙飛行機に興味を憶えてからは空を飛ぶことに夢中になり、紹介者の同期の白石さんからも「飛行機バカ」と言われほどで、「NHK凄ワザ」という番組に出演したことがあります。しかし、グライダーで飛行中に墜落事故に遭い、下半身に障害が残って現在車いすの生活をしているが、飛行への夢は絶ち難く、日本で唯一の障害者パイロットと言われています。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>レオナルド・ダ・ビンチ（1452-1519）という名前ですが、ダ・ビンチは「レオナルド村の」という意味なので、この講演ではレオナルドと呼びます。レオナルドは、画家、建築家、解剖学など幅広い分野で優れた業績を残していますが、空を飛ぶという分野でも情熱を注いで研究し、次の４種類の飛行機械を考案し、スケッチに残しています。</p>
<p>①　飛行スクリュー（ヘリコプター） （下図左上）<br />
②　パラシュート （下図右上）<br />
③　羽ばたき飛行機（オニソプター） （下図左下）<br />
④　ハングライダー （下図右下）</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/01/画像1.png"><img src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/01/画像1.png" alt="画像1" width="610" height="433" /></a></p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>人類の空を飛ぶことの歴史を振り返ると、次の通りです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ギリシャ神話にイカロスとダイダロスの話があります。当時、空を飛べるのは神の特権で、クレタ島に閉じ込められていた２人は翼を得てサントニーニ島に脱出するのですが、イカロスは自由に飛べることに興奮して高く飛びすぎ、翼の蠟が溶けて墜落死。神罰を受けたのでしょうか。ダイダロスだけが帰還した話があります。</p>
<p style="padding-left: 30px;">このように、最初は手に翼をつけて鳥のように飛ぶことを人類は試みてきましたが、タワージャンパー、バードマンと呼ばれる先駆者はことごとく失敗し、高所から墜落して命を落としてきました。</p>
<p style="padding-left: 30px;">そこで、Think Different、考え方を変えて羽ばたきが無理なら、滑空で空を飛ぼうと、サー・ジョージ・ケイリー（1773-1857）という人が、固定翼の有人グライダーを考案し、飛行に成功したと言われており、その時のグライダーの設計図が残っています。その後、ドイツのリリエンタールも固定翼をつけてベルリンの今でも残っている「リリエンタールの丘」でグライダーによる飛行に成功しました。しかし、彼も1857年に飛行中の事故で亡くなっています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">その後、リリエンタールが残した資料、飛行記録などに触発され、アメリカのライト兄弟も最初は同じくグライダーで飛ぶことを試み、その後、1903年に12馬力のエンジン付きのプロペラ飛行機で人類初の動力飛行を成功させました。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>レオナルドが考えた４つの飛行機械について考えていきたいと思います。</p>
<p>当時の人が手に翼をつけて飛ぶことしか考えなかった時代にあって、レオナルドは手の羽ばたきだけでは重い人間を飛ばすことができないので、脚力も使わないと飛べないと考えていました。また、鳥の飛行の観察から、揚力を受ける翼の形を考えていたというのは画期的なことです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">先ずヘリコプターですが、ローターで浮き上がるという発想は良いのですが、反力を取っていないので、工学的には無理なシステムです。では、人力ヘリコプターが不可能かと言うとそうではなく、実際カナダのトロント大学学生が、2013年に人間の脚力で4枚のプロペラを回して飛ぶ人力ヘリコプターを製作、飛行させています。これは、現代のドローンの原型のようなものです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">パラシュートですが、これは四角錐の布を張って飛ぶものですが、これは近年になって、軽い、丈夫な素材が手に入るようになり、レオナルドのスケッチ通りの形で飛行するのに成功しています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">羽ばたき飛行機（オニソプター）についてですが、手の力だけで飛行するのは無理で脚力を必要とすることをレオナルドは判っていました。そして、トリ、こうもりなどの翼の研究をし、キャンバーの必要性も理解していたようです。この羽ばたき飛行機も、実際カナダのトロント大学で試作され、2010年実際の飛行に成功しています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">最後のハングライダーですが、レオナルドの翼のスケッチを見ると、その後実際に飛行に成功したジョージ・ケイリ―、リリエンタール、タウベの翼はいずれも固定翼で、これは現代のグライダーとして結実しています。但し、レオナルドは、飛行を安定させるための尾翼を操縦するという考えには至っていませんでした。軽い金属、丈夫で軽い化学繊維といった素材が開発されたことにより、今では多くの人が丘を駆け下りで浮力を得て、その後は風に乗って揚力を得て、大空の飛行を楽しんでいます。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>以上の考察から、レオナルドの功績について、以下の通り纏めることができます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">●固定の翼にすべきである<br />
●動力は脚力を使わねばならない<br />
●空気力と重量をバランスさせねばならない<br />
●４種の空飛ぶ機械の構想は確実に時代の先取り出会った。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>「現代の鳥人たち」として以下の事例が紹介された。</p>
<p style="padding-left: 30px;">人力飛行機：1988年「MITダイダロス88」でクレタ島からサントニーニ島までの115㎞を飛び、冒頭で話したギリシャ神話の故事を再現させた。この記録は、いまだ破られていない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ハングライダー：ロガロ翼が考案され安定して飛べるようになり、多くの人が楽しんでいる。しかし、この翼の形状はレオナルドのそれと大差ない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ジェットエンジンとダクテッド・ファンを組み合わせた動力を用いて、ウイングスーツを着て200㎞/ｈ以上の猛スピードで飛ぶ技術も開発されており、高速パーソナルフライトも可能な時代となってきている。</p>
<p style="padding-left: 30px;">有人ドローン（電気飛行機）：中国、ドイツ、カナダなどで次々に開発されており、実用化に近づきつつある。また、多くのドローンが空を飛ぶようになると、自動運転、自働管制しか安全は担保できないので、そうなると誰もが空を飛ぶことができる時代となる。レオナルドの空飛ぶ夢、それはパーソナルフライトでした。軽くて丈夫な機体、電動モーター、大容量の計量電池の開発は、有人ドローンを可能にして、真の意味でレオナルドの夢を具現化したものですし、今後とも更に発展していくでしょう。皆さんも空を飛んでみませんか。（講演終了）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>質疑応答</p>
<p>多賀正義（７６期）：①12月19日は日本で最初に飛行機が飛んだ日とありますが？　②　ダクテッド・ファンとは何ですか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：①日本では徳川、日野陸軍大尉が、代々木練兵場で1910年12月19日に最初に飛行機で飛んだ日と言われています。但し、空の日は9月20日。②ダクテッド・ファンとは、原理は換気扇のようなもので、ジェットエンジンを筒で囲ってその中でファンを回して推力を得るシステム。</p>
<p>坂田東一（79期）：①ドローンは日本でどんなところが取り組んでいますか？　②規制は？</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：①トヨタをスピンアウトした若手が、スカイドライブという会社を創立してドローンを開発中。また東大出身の人が、アメリカのBoeingが主催したコンテストの一人乗りのドローン部門で優勝。「ドテトラ」という会社を設立して開発中です。いずれも、ベンチャー企業。大手では、川重が輸送用のドローンを開発中。②規制については、国交省で検討中。国際的なものなので、FAAと共同で規制と安全を担保するように対空規制を作っている。</p>
<p>深田英孝（89期）：米田さんはなぜ空を飛ぶことに夢中に夢中になったのか？また今後の夢は？</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：紙飛行機に興味を持ち、それ以来飛行にのめり込み、飛行機バカと言われるようになった。山男が山に登るのと同じ心境。今後は、自分で作った飛行機で空を飛びたい。</p>
<p>三谷秀史（82期）：浮田幸吉という人が、1757年に日本で最初に飛行機を作った人という話は？</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：浮田幸吉は岡山の人で建具職人であった人。実際のところは良く判らない。地元岡山で資料から実証しようという動きもある。</p>
<p>家正則（80期）：ドローンでシングル・ローターや4枚羽といろいろあるが、何が最適か</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：エネルギー効率とか備品装備等、何を以って最適とするかいろいろ考え方がある。推力から言うと、シングル・ローターがもっとも効率が良い。多くの羽根があると、風の干渉で効率が悪くなる。従って、大きなローターで、ゆっくりと回すと効率が良いが、翼の角度を変えるなど複雑で精密な機械構造となり、メンテナンスが大変、よってコストが掛かる。現在は、モーター直結のマルチローターのドローンが主流。</p>
<p>雫石潔（75期）：大型ジェットエンジンは電気式モーターにとって変わるのか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：どこから電気を持ってくるかが問題。ジェットエンジンで電気を起こして、それでモーターを回すなど、本末転倒。バッテリーの問題もある。本来ジェットエンジンは一番効率が良い。また、成層圏を高速で飛ぶのに適している。プロペラだとそうはいかない。もっとも、環境問題も含めて、NASAなどでもハイブリッドの検討をしている。</p>
<p>西尾大次郎（66期）：空を飛ぶ夢を抱く。興味のある話で、面白かった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：グライダーは、優雅に空を飛んでいるようにみえるが、実はパイロットは上昇気流を探そうと必死になって戦っており、見た目ほどのんびりではない。完全自動化のドローンができたら、景色を眺める余裕ができるかも。</p>
<p>中山行輝（80期）：レオナルドが恐竜、特に翼竜のことを知っていたら、飛行機の実現はもっと早かったか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：レオナルドの知識だけでは飛べなかったわけです。つまり、飛行のメカニズムだけではなくて、軽い素材の開発も飛行機の発展に寄与している。早まった可能性はあるが、せいぜい20年、30年のオーダーの話である。</p>
<p>深田（89期）：若い世代に対して、「現代のレオナルド」生むべく、米田さんが若い人に教えていることは？</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：現在新卒で入社する若い人を見ると、航空力学は知っていても飛行機を知らない人が多い。飛行機がどういう風にできているのかを理解できていない若者が多い。まともに紙飛行機を作ることができれば、これも飛行機を知る一つの道であると思っている。こういったことを教えていきたい</p>
<p>西尾（66期）；有人ドローンの安全隔離距離は？</p>
<p style="padding-left: 30px;">回答：詳しくは判らないが、最初は50mあたりで初めて、最終的には20-30mと思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>【記録：多賀正義（76期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/01/レオナルド・ダ・ヴィンチ_空飛ぶ機械の夢.pdf" target="_blank">レオナルド・ダ・ヴィンチ_空飛ぶ機械の夢.pdf</a>(13.5MB)<br />
PDFファイル中に「動画にリンク」アイコンがあります。ここをクリックすると、関連Youtubeページにジャンプします。<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/01/動画再生ボタン.png"><img class="alignleft  wp-image-5471" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/01/動画再生ボタン-150x150.png" alt="動画再生ボタン" width="79" height="76" /></a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【215回】11月　※ご依頼により削除します</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Mar 2020 08:01:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[※ご依頼により、内容を削除しました。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>11月21日開催予定</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ご依頼により、内容を削除しました</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【214回】10月「トランプ大統領の再選を占う　－アメリカ駐在、16年間の経験を踏まえて－」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5276</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5276#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 21 Feb 2020 06:04:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[山岸勝也さん＠68期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年10月17日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるオンライン開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>57名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>山岸勝也さん＠68期　(元伊藤忠商事、現在は日米経営コンサルタント代表)</p>
<address style="padding-left: 30px;">伊藤忠商事㈱入社後、海外生活は25年に亘り72カ国にて多様な経験を積む。特にアメリカは二度、計16年間の長期駐在。<br />
ニューヨーク（11年）、ロスアンゼルス（3年）、ヒューストン（2年）、の各駐在地を拠点として、全米50州の多くの中核都市を訪れ、驚愕するような差異を知る。ニューヨーク駐在中は、北米(含カナダ・メキシコ)の上席副社長(SVP)として総合商社の業務を遂行しつつ、伊藤忠（米国）不動産会社の社長兼最高経営責任者（CEO）にも就任。全米不動産事業の指揮を執り、不動産デベロッパー事業や米国REIT（不動産の証券化）を展開。REIT事業では、米国業界においてその手腕と業績が認められ、米国の有力な経済紙『<strong>MONEY</strong>』の表紙に単独で写真掲載された。トランプ氏とは伊藤忠が合弁事業を推進する全米最大ホテル会社をめぐり、M&amp;AとTOBが勃発。トランプ氏との共同ビジネス・ミーティングを開催した席上で、盛年トランプ氏の資質や思考を知る機会を得た。</p>
<p>海外訪問の72カ国には、欧州・中国・アジア・中南米は勿論のこと、イスラエル・イラン・サウジアラビア・イラク・エジプト・ＵＡＥ等の中近東諸国へも歴訪した。特にイスラエルの事情に精通しており、トランプ大統領がイスラエルの米国大使館を（聖都）エルサレムに移転した経緯には詳しい。</p>
<p>伊藤忠本社では、(故)瀬島龍三氏（元大本営参謀・戦略家、後の伊藤忠商事会長）のもとで5年間、伊藤忠全般の中長期にわたる『経営戦略・企画統轄』の立案に従事。</p>
</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>米国のトランプ大統領の再選を占う</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>伊藤忠商事に勤めておられて、米国駐在16年間で、その間全米の全ての州をまわられました。不動産関係の仕事に関わられ、若いころのトランプ大統領とも面識があり、ご家族を交えての交流もあったそうです。今まさにトランプ大統領は選挙選真っただ中。トランプ大統領の素地の部分をお話しいただけるでしょう。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>紹介者は73期の牧武志さん。山岸さんのご講演は2004年の「不動産証券化（REIT）の種明かし」と2012年の「医療ミス裁判を弁護士なしで5年間戦い抜いて」に続いて3度目となる。</p>
<h3>１．<strong>トランプ大統領とはいったい「何者」か？</strong></h3>
<p>（1）1946年6月14日生まれのキリスト教福音派。</p>
<p>（2）家族経営の不動産デベロッパー（※注釈）</p>
<p>●祖父はドイツから移住。（アメリカンドリームを追う移民の一人）</p>
<p>●トランプ氏の家系には、不動産経営の資質が脈々と受け継がれている。</p>
<p>●25歳で父親から会社経営を任され、直ちにニューヨークへ進出。家族経営を主体とする不動産開発事業で、半世紀を超えて幾多の成功を収める実業家。</p>
<p>●絶対権力を持つオーナー・ビジネスマンとしてスタートした。</p>
<p>●『一番に執着する習性』を発揮し、不動産王にのぼりつめ、権威の象徴と称せる超大型ビル（トランプ・タワー）を各主要都市に建設していった。</p>
<p>●株主は親族以外を排除、会社経営は他人を一切関与させなかった。</p>
<p>●経営のパートナーは家族のみ。長女イバンカ氏の能力を高く評価し副社長とする。</p>
<p>●不動産事業で成功していたクシュナー氏（ユダヤ教・正統派）を娘婿に迎える。</p>
<p>●政治の世界に入ってからも、クシュナー・イバンカ夫妻を特別補佐官に任命し閣僚よりも絶大な信頼を託している。</p>
<p>※注釈）不動産デベロッパーの仕事について<br />
不動産開発を主体とするデベロッパーは、地上げ・詳細設計・工事完成・テナントの確保・賃料収入・REIT等、『長期的な経営視野』が不可欠となる。<br />
デベロッパーにとり、最も重要な点はロケーションの選定であり、近隣住民や既存の土地所有者の信頼を得て、開発事業を推進する『地道な交渉能力』が肝要だ。その上にプロジェクト規模に応じた資金調達を達成するため、金融機関やファンドとの微妙な駆け引きには不動産事業にかかわる“特殊事情”に関する隠れた『巧妙な裏交渉の手腕』も必要となってくる。</p>
<p>（3）政治も“経営”と捉え『ディール・取引』する。</p>
<p>●トランプ大統領は、ビジネス時代に会得した経営資質を遺憾なく発揮している。</p>
<p>●外交戦略もディール（取引）手法で進める。</p>
<p>（4）莫大な資産を持ち、ケネディ大統領と同様、『年収は無給（1ドル）』。</p>
<p>（5）ビジネスマン時代から『反射と本能で発言する男』。</p>
<p>（6）異端なトランプ氏は『特異な習性』を持ち、常時“脅し”を使う。</p>
<p>（7）強烈な個性は『カミソリの切れ味を示す人物』というよりは、『山にそびえる大木を、大ナタを振るって一撃で豪快に切り倒す人物』と言える。</p>
<h3>２．<strong>アメリカ大統領選挙の仕組み</strong></h3>
<p>⑴ 選挙人制度（間接選挙）</p>
<p>●選挙人制度は、18世紀に国の指導者を選ぶ手法として、国民による直接選挙と、議会による選挙の妥協案として生まれた。</p>
<p>●各州の選挙人は、自分が支持する政党・候補者を予め公表しておく。</p>
<p>●有権者とは18歳以上のアメリカ国民で、投票するには予め有権者登録が必要となる。</p>
<p>●有権者は投票によって、先ず選挙人を選出する。</p>
<p>●全米の選挙人538人は、50州の人口比率で割り当てられる。</p>
<p>●一票でも多く獲得した候補者が、州選挙人全部を獲得する『総取り方式』。</p>
<p>●選挙人を270人以上獲得すれば勝利。</p>
<p>●2016年トランプ氏は有権者の得票数ではクリントン夫人に負けたが、選挙人数では勝利して大統領に選出された。（得票数;クリントン夫人6584万票vsトランプ氏6298万票、選挙人数:トランプ氏306人vsクリントン夫人232人）</p>
<p>●最も重要な選挙戦略は、選挙人の多い州で勝つこと。</p>
<p>⑵ 2020年の大統領選挙の主な日程</p>
<p>9月 29日　第１回大統領候補のテレビ討論会（共和党トランプ大統領vs民主党バイデン前副大統領）<br />
10月  7日　副大統領候補の論争(共和党ペンス副大統領vs民主党ハリス上院議員)<br />
10月 15日　第２回大統領候補のテレビ討論会…中止<br />
10月 22日　第３回大統領候補のテレビ討論会<br />
11月  3日　大統領選挙の投票日：全米の有権者が538人の選挙人を選ぶ。当日投票・期日前投票・郵便投票がある。<br />
12月14日　大統領選挙の投票日：選挙人が大統領候補者に投票する。<br />
2021年1月20日　新大統領就任式</p>
<h3>３．<strong>はたして、トランプ大統領再選の『可能性』は有るのか？</strong></h3>
<p>⑴ 選挙戦略</p>
<p>●父の死の翌年、国家の最高位を目指し大統領への挑戦を開始。54歳で改革党から大統領選に出馬したが敗北。知名度の低さが敗因と考え、直ちにTV会社を買収。同局の番組に出演し、傲慢なセリフ「YOU ARE FIRED！（お前は、クビだ！）」を流行させて人気を集め、一般の大衆へ自分自身を売り出す事に成功。69歳の2016年、再び大統領を目指し共和党から出馬した時は泡沫候補と揶揄されながらも、クリントン夫人を打ち負かし、大統領に初当選した。</p>
<p>●大統領就任当初から、トランプ氏の『臭覚』と『直観力』は、2020年大統領 再選しか頭にない。2016年に獲得した支持層をつなぎ止め、さらに拡大させることに徹している。</p>
<p>●投票する有権者の70%以上を占める白人層にターゲットを絞り、現状に「不満」と「怒り」を抱く白人の低中間層の得票を狙う。</p>
<p>●二つのスローガンは『America First』と『Keep America Great』。</p>
<p>●イスラエルは首都を聖都エルサレムと宣言し政府機能を置く。トランプ大統領はこの宣言を正式に認め、米大使館をテルアビブからエルサレムへと移転させた。これにより、キリスト教徒とユダヤ教徒の得票を狙う。</p>
<p>●全米50州を熟知する戦略家。選挙人の多い激戦州で勝利する事を狙う。（全米の選挙人538人のうち、多い順番は、カリフォニア(55)・テキサス(38)・ニューヨーク(29)・フロリダ(29)・ペンシルベニア(20)・イリノイ(20)・オハイオ(18)・ジョージア(16)・ノースカロライナ(15)である。トランプ候補は、これら上位9州のうち、南部のテキサス・フロリダ・ジョージア・ノースカロライナならびに中部のペンシルベニア・オハイオの計6州(136人)の大票田を制した結果、2016年の大統領選挙で勝利した。）</p>
<p>⑵ 次期・新大統領はいつ決まるのか</p>
<p>①<strong>11</strong><strong>月</strong><strong>3</strong><strong>日</strong>の投票日（538人の選挙人を選出する日）<br />
●郵便投票（当日消印有効）の集計が遅れ、（数日～数週間）直ぐには勝敗は決まらないだろう。郵便投票をめぐっては、既にいくつかの州で訴訟が始まっており、すぐに勝敗が決まらないケースも発生。</p>
<p>●『法廷闘争』に関しては連邦最高裁判所（保守派多数）が大統領選出に係わる判決を下す。</p>
<p>②<strong>12</strong><strong>月</strong><strong>14</strong><strong>日</strong>の投票日（538人の選挙人が投票する日）<br />
どちらかが選挙人の過半数(270票)を獲得すれば大統領確定。</p>
<p>③<strong>2021</strong><strong>年</strong><strong>1</strong><strong>月</strong><strong>6</strong><strong>日</strong>の投票日（上下院議員が投票する日）</p>
<p>A)選挙人の投票数が過半数に達しない場合、下院が大統領を選出する。<br />
●下院の議席数は435で各州に対して人口比率で配分されている。</p>
<p>●現在の議席数の内訳は野党(民主党)が多いねじれ現象：民主党235共和党199欠員１</p>
<p>●50州に1票ずつ割り当て、州ごとに下院議員が話し合いどの候補に投票するか決定。</p>
<p>●現在の州別票は共和党26民主党22無所属2</p>
<p>●過半数(26票)を獲得すれば大統領確定。</p>
<p>B)下院の投票数がどちらも過半数に達しない場合、上院がその日のうちに副大統領を選出し、『副大統領が大統領代行』となる。<br />
●上院の議席数は100で、各州に対して2名ずつ配分されている。</p>
<p>●上院議員100人に1票ずつ割り当てる。</p>
<p>●現在の議席数の内訳は与党（共和党）が多い：共和党53民主党45無所属2</p>
<p>●どちらかの候補が過半数（51票）を獲得すれば副大統領が確定する。</p>
<p>C)上院の投票数がどちらも過半数に.達しない場合は『下院議長(民主党ペロシ氏)が大統領代行』となる。</p>
<p>④<strong>2021</strong><strong>年</strong><strong>1</strong><strong>月</strong><strong>20</strong><strong>日</strong>　新大統領就任式</p>
<p>⑤補足解説<br />
●共和党・民主党の米大統領候補が、もし選挙期間中に“死亡”した場合、“候補者不在”になる。アメリカ連邦法にはこの点につき明確な規定がない。副大統領候補がそのまま大統領候補になるわけではない。</p>
<p>●③では上下院の議席数の現在の内訳を示したが、日程①の投票日には、上下院選挙も同時に行われ、下院議員は全員・上院議員の１/3が入れ替わる。議席数の内訳はまだわからない。</p>
<h3>４．結び</h3>
<p>●2020年の大統領選は11月3日には決まらないだろう。得票差が僅差であれば、どちらの陣営が負けていても直ぐには『敗北宣言』をせず、郵便投票の集計遅れや不正を理由に訴訟を起こす。トランプ大統領は、連邦最高裁判所へと発展する事態に備えて、連邦最高裁の新しい判事に超保守派の人物（バレット氏）を指名。これは選挙前の異例の駆け込み指名であり、民主党は強く反対している。上下院で彼女が承認されれば、定員9人の判事の内6人が保守派の判事となり、民主党が極めて不利となるからだ。（後日、バレット氏が新判事に承認された）</p>
<p>●選挙前の報道(10月17日時点)では激戦6州で4.6ポイントリードしているバイデン氏の当選が有力とされているが、2016年の選挙では、激戦6州で4.8ポイントリードしていたクリントン夫人を押さえて、トランプ氏が逆転当選した前例がある。</p>
<p>●個人的には、選挙人の数が定まらないまま、来年1月6日に下院の投票が行われ、その結果トランプ大統領が再選される可能性があると予測する。</p>
<h3>５．質疑応答</h3>
<p>問1）2016年の国勢調査でアメリカの人種別人口と人種別有権者登録数が大きく違うのはなぜか？(投票するのは白人が多い。なぜ他の人種は投票する人が少ないのか？)</p>
<p>人種別人口比：白人(64.1％)黒人(12.5%)ヒスパニック（15.9%）アジア系(6.1%)<br />
人種別有権者登録数比：白人(72.4%)黒人(12.5%)ヒスパニック(9.7%)アジア系(3.7%)</p>
<p>答1）アメリカ社会においては、身分証明書を持たない（市民権のない）ヒスパニック・アジア系の人が多い。有権者登録するには身分証が必要なため､登録できるヒスパニック・アジア系の有権者が少なくなってしまう。この事態は実際に問題視されている。</p>
<p>問2）アメリカ国内では本当にトランプ大統領の再選を望む人は多いのか？</p>
<p>答2）先ほど解説したように、大統領の選出には色々な要因（COVID-19、隠れトランプ派など）がある。マスメディアの報道ではトランプ候補とバイデン候補が拮抗しているものの、選挙戦略に長けているトランプ大統領が、再選のための提訴や上下院の決議などを活用し、再選する可能性があると考えられる。</p>
<p>問3）有権者の一票の重みについて。2016年の選挙にみられたように、有権者の得票数が少なかったトランプ氏が逆転当選するような選挙制度に、アメリカ国民は納得しているのか？（なぜ得票数が多い人がそのまま大統領に選ばれないのか？）</p>
<p>答3）アメリカ合衆国は広大な面積に、人種や宗教などが異なる3億人以上もの人が入り混じって一緒に暮らす多様性国家である。個人の平等性よりも全米を構成する50の州の平等性が優先される。単一民族国家の日本とは、価値観が異なると理解して頂きたい。</p>
<p>(補足解説)選挙人というクッションが入ることで急進的な意見を排除し、一時の感情や勢いではない理性的な選択がなされることが期待される。国民の教育格差が著しく、また交通・通信が不便な時代においては、有権者が候補者の見極めを行うことが困難であり、それを選挙人に託すことができる利点があった。反面、死票が多くなる可能性が高いほか、有権者の意向と選挙人の実際の投票先が一致しないケースもあり得る。(Wikipedia「間接選挙」の項より)</p>
<p>【Ⅶ章記録：野田美佳（94期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/11/トランプ大統領再選を占う_添付資料.pdf" target="_blank">トランプ大統領再選を占う_添付資料</a>(1.5MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?feed=rss2&#038;p=5276</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【213回】9月『「関西人」村上春樹』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5274</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5274#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 21 Feb 2020 06:04:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5274</guid>
		<description><![CDATA[金水　敏さん＠87期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年9月19日（土）14時30分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>テレビ講演会</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>51名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>金水　敏（きんすい　さとし）さん＠87期　(大阪大学大学院文学研究科・教授)</p>
<address style="padding-left: 30px;">1956年大阪生。大阪府立北野高等学校を1975年に卒業（第87期）。<br />
東京大学文学部を卒業後、同大学院に進む。<br />
大阪女子大学文芸学部、神戸大学文学部等を経て、現在大阪大学大学院文学研究科・教授。<br />
専門は国語学（日本語史、役割語研究）。<br />
著書に、『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E-%E5%BD%B9%E5%89%B2%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E7%9F%A5%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E-%E9%87%91%E6%B0%B4/dp/400006827X" target="_blank">ヴァーチャル日本語　役割語の謎</a>』（岩波書店、2003年）、『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%87%91%E6%B0%B4-%E6%95%8F/dp/489476265X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;dchild=1&amp;keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&amp;qid=1594599286&amp;s=books&amp;sr=1-1" target="_blank">日本語存在表現の歴史</a>』（ひつじ書房、2006年。同年新村出賞受賞）。<br />
高校、大学、大学院とオーケストラ部に所属し、フルートおよび指揮を担当。</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「関西人」村上春樹</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>毎年のようにノーベル文学賞の受賞が取りざたされ、世間を賑わせている小説家の村上春樹氏であるが、もとは京都生まれの阪神間育ちで、大学入学を期に東京に移ったのであり、そういう意味でルーツはれっきとした「関西人」である。彼の書く小説を読んだ人は、一見関西の言語や関西人の感性とはそぐわないように思うかもしれないが、実は量は多くないものの、彼の作品には関西に触れ、あるいは関西弁そのものを話すキャラクターが登場するのも事実である。一体、彼にとって故郷である関西はどのような意味を持ち、またなぜ関西弁キャラクターを小説に登場させるようになったのか。このような問題について、彼の作品を読み解きつつ、関西を離れる関西人の思いを重ねながら、考えてみたい。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>この講演の詳細は添付の講演スライドのPDFを参照されたい。</p>
<h4>1:</h4>
<p>金水氏は、「関西人」村上春樹というテーマを今回の講演に選んだ。これは、東京六稜会という組織が、大阪の北野高校を卒業して東京に出てきた人が集う同窓会であり、ある意味で村上春樹と同じ境遇、径路で生きてきた人が多いと思ったからである。実際、金水氏も東大に入って東京に移住し、村上と同じ思いを抱いた一人であるし、父との関係でも共感するところがあると話していた。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>2:</h4>
<p>村上は、スライドの略歴(1)－(3)（PP-2, 3参照）で述べるように、関西から東京、東京からヨーロッパ、そしてアメリカと世界に活躍の場を拡げ、日本はもとより、ヨーロッパアメリカで数々の大賞を受賞してきた。そして、彼の小説は50か国を超える言語に翻訳されており、彼のような世界的スケールで活躍する日本人作家は他にいない。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>3:</h4>
<p>村上の略歴の紹介の中で、特筆すべき家族関係、出来事として以下のことを挙げている。</p>
<p>●父、村上千秋は僧侶の家に生まれたが、妻の反対もあって僧籍を継がず、阪神間の有名私立高校の国語（古文）の教師となった。子供の時から春樹に日本の古典文学を叩ききこみ、春樹を自分の後継者としたかった節がある。春樹自身はこれに反発したものの、村上の日本の古典に対する造詣は非常に深いところがある。</p>
<p>●千秋は熱心な阪神タイガースファンで、子供のころよく甲子園球場に連れて行ってもらった。このことにも反発して、父から離れることが若いころの彼の願望であったようである。春樹がヤクルトファンであることも、父への反発であると考えられる。</p>
<p>●父の中国従軍中に南京に行き、そこで南京事件に関与したのではないかという疑念。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>4:</h4>
<p>1986年にヨーロッパに移住し、その後1991年にアメリカに移り、1995年6月に帰国。同年1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件を経験し、これを契機にこれまでの社会と一定の距離を置くDetachmentの立場から社会的問題を扱うCommitmentの立場に変わっていった。この点は以下の小説から、窺い知ることができる。（PP2-④参照）</p>
<p>●約束された場所で（1999年）－オウム真理教をテーマ</p>
<p>●神の子供たちはみな踊る（2000年）－阪神淡路大震災をテーマ<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>5:</h4>
<p>村上は、略歴にある通り京都で生まれ、間もなく西宮市夙川に転居し、兵庫県立神戸高校を卒業、一浪後早稲田大学に入学するまで関西で過ごしたというれっきとした「関西人」である。しかし、スライドPP3－②で述べているが、「早稲田に入って上京して一週間のうちに、ほぼ完全に東京弁に変わってしまった」と告白し、関西弁を話すことをやめている。</p>
<p>村上の書く小説は翻訳文みたいだと言われており、関西人的な要素を感じさせない。彼自身も、関西にいると関西弁で物事を考えてしまい、東京で書く文章の質やリズムと違ってしまう&#8230;」とも述べている（スライドPP3―④参照）。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>6:</h4>
<p>文体についても関西弁を封印した上に、処女作「風の音を聴け」の文体を決めるとき、冒頭部分を一旦英語で書き、それを日本語に翻訳してその文体の調子をつかんだと『職業としての小説家』で書いている。そして、「日本語とはただの機能的なツールに過ぎなかった」とも言っている。（PP6-①参照）<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>7:</h4>
<p>しかし丹念に彼の作品を拾っていくと、1995年以降、以下に述べる作品に関西弁が使われている（スライドPP4, 5参照）。</p>
<p>●「ことわざ」（1995）‐ショート・ショートの作品。「猿やがな。なんせ猿がおったんや。嘘やあるかい、ほんまもんの猿が木の上におったんや。」</p>
<p>●「アイロンのある風景」(1999)‐登場する口の悪い関西弁を話す三宅さんを村上の分身のように描いている</p>
<p>●「アフターダーク」（2004）‐コオロギという関西弁を話すが関西を捨てた女性を登場させている</p>
<p>●「海辺のカフカ」(2002)‐山頭火が図書館に残した遺品について、金がらみの話題を大阪弁で表現。この「海辺のカフカ」は、アメリカで認められた作品となる。</p>
<p>●「イエスタデイ」(2004年)‐木樽という田園調布育ちの東京人を、大阪弁を話す阪神タイガースファンという設定で描いている。</p>
<p>●「クリーム」「ウイズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルト・スワローズ詩集」―空想的な、そして偶然の出来事を小説の中で取り上げているが、死のイメージ、あるいは母の認知症といった老化それに続く死の匂いのする作品が多い。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>8:</h4>
<p>上で述べたように父、村上千秋に感情的な確執を抱いていたが、スライドPP5-④の、「猫をすてる　父親について語るとき」で述べるように、日本古典文学を学ばされたこと、阪神タイガースのファンであったこと等に反発してきたものの、1995年の震災を契機に交流が再び始まり、2008年の父の死を前に和解したと書かれている。（PP5-④参照）<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>9:</h4>
<p>村上は、関西から東京、そして世界へ雄飛していった。同時に言語面でも関西弁から標準語、そして外国語への翻訳と活動の幅を広げていった。特に、自分の小説を世界の言語に翻訳していくことを積極的にプロモートした。<br />
++-++-++-++-++</p>
<h4>10:</h4>
<p>金水氏は講演の最後を次のように締めくくっている。</p>
<p>父、千秋に反発して、日本の古典文学からも遠ざかった春樹であるが、「海辺のカフカ」では生き霊のことなど、源氏物語への言及がみられる。また、「１Q84」では平家物語の「壇ノ浦の合戦」の場が延々と引用されている。「騎士団長殺し」では上田秋成の春雨物語が引用されている。反発したとはいえ、こんなところに父の影響が色濃く出ている。（PP7-②参照）</p>
<p>更に、1995年以降、関西弁が小説の中にいくつか登場するようになった。しかしこれは、単純な関西人としての原点回帰の往還運動と捉えるべきではなく、村上文学にポリフォニー（多重ヴォイス）がもたらされたと見るべきであろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>質疑応答</strong></p>
<p><strong>質問</strong>：関西弁は翻訳において、まともに反映されているか、東日本大震災についての小説はあるか、母親とのつながりについて何か書いているか。（杉之原、77期）</p>
<p><strong>回答</strong>：関西弁がまともに翻訳されているとは思えないし、正確に翻訳で表現するのは難しい。私たち日本人は、関西と言うとケチ、お好み焼き、暴力団等を反射的にイメージするが、海外の人はそういう理解は持っていない。英語でも、方言を表現するのは困難。</p>
<p>東日本大震災については、いくつか書いている。例えば、「騎士団長殺し」の中で、東北を一人で旅する男が、津波にあった海岸に立つ風景を描いている。</p>
<p>母親のことについては、スライドPP5-③の「ヤクルトス・ワローズ詩集」で、認知症になった母を描いている以外、殆ど出てこない。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p><strong>質問</strong>：村上春樹は日本を飛び出してヨーロッパ、アメリカと移住して行ったが、その動機は何であったか。（多賀、76期）</p>
<p><strong>回答</strong>：村上は、日本の文壇と交流することを極端に嫌った。ある意味で謎の多い作家である。なかなか彼から直接話を聞くことができない。親しい編集者とか、柴田元幸氏といった人を通してしか話を聞けない。日本の文壇とは距離をとっている。そういったことが、海外に居場所を求めたと考えられる。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p><strong>質問</strong>：村上春樹はノーベル文学賞を取れるか（谷島、91期）</p>
<p><strong>回答</strong>：多分無理と私は思っている。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p><strong>質問</strong>：関西弁独自の思考システムとありますが、それはどういうことでしょう（宮本、93期）</p>
<p><strong>回答</strong>：漫才のボケと突っ込みという役割があるが、ああいったものは関西独特のものである。司馬遼太郎や近松門左衛門の描く情の世界も、関西人独特のものである。関東と違って武士ではなく商人志向が作り出した文化、システムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>それに関連した質問</strong>：関西弁の思考システムか、それとも関西人のそれか（多賀、76期）</p>
<p><strong>回答</strong>：言語学的には方言も言語。明治維新が無ければ、日本は4つに分かれていたとも言われており、言葉によってその地方で育まれた思考システムがある。言語と人は切り離されないものと考えている。</p>
<p>【記録：多賀正義（76期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/09/2020.9.19-東六倶-金水氏-関西人村上春樹スライド公開用.pdf" target="_blank">2020.9.19 東六倶 金水氏 関西人村上春樹スライド公開用.pdf</a>(1.5MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?feed=rss2&#038;p=5274</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【212回】8月「改めて建築家の役割を考える」 &#8212;50年間の設計活動を通して&#8212;</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5272</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5272#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 21 Feb 2020 06:04:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5272</guid>
		<description><![CDATA[今井俊介さん＠82期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年8月15日（土）14時00分～15時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるオンライン開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>43名（～69期:6名　70～79期:15名　80～89期:12名　90～99期:8名　100期～:2名）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>今井俊介さん＠82期（建築家　株式会社STUDIO i　代表取締役）<br />
<address style="padding-left: 30px;">1952年　1月16日　大阪府吹田市生まれ。<br />
1964年（昭和39年）　大阪市立十三小学校卒業<br />
1967年（昭和42年）　大阪市立十三中学校卒業<br />
1970年（昭和45年）　大阪府立北野高等学校卒業<br />
1976年（昭和51年）　京都大学工学部建築学科卒業<br />
1978年（昭和53年）　京都大学大学院工学研究科修士課程修了（建築学）（増田友也研究室）<br />
1978年（昭和53年）　株式会社レーモンド設計事務所入所（〜1981年）<br />
1981年（昭和53年）　アカデメイア建築研究所一級建築士事務所設立/代表<br />
1993年（平成3年）　株式会社アカデメイア一級建築士事務所設立　代表取締役（〜2018年）<br />
1998年（平成8年）　NPO法人日本民家再生リサイクル協会設立　副理事長（〜2001年）<br />
2018年（平成31年）　株式会社スタジオアイ一級建築士事務所設立　代表取締役</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「改めて建築家の役割を考える」－50年間の設計活動を通してー</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>建築は、すべての人にとって、もっとも身近で、自らを取り巻く環境そのものであるにもかかわらず、それを専攻したほんの一部の人たちを除いて、生涯学ぶことがほとんどない。これは大変不思議なことだ。私の多くのクライアントも例外ではない。私が実際に設計に携わり始めて以来、いかにしてクライアントとの共同作業を正しく進めることができるのかが大きなテーマとなった。建築の設計に自分のすべてを捧げることを決め、その後に歩んだ50年間を振り返り、改めて、建築家の役割について、実例を踏まえて私の考え方を楽しくお伝えしたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆その他の情報　（これは追加の情報です）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>●6歳で接した山下清の絵（小田原城のペン画の絵はがき6枚セット）が始まり。その後同じ絵を何度も何度も模写していた。</p>
<p>●小中学校での図画工作の自由テーマで選んだものはほとんど建築物や建物のある風景であった。金閣寺、薬師寺東塔、東本願寺・・。</p>
<p>●大学院で増田友也先生から頂いた大いなる薫陶。学んだのはほとんどが建築の設計に必要な哲学の世界。胃が痛くなるほど経験。ハイデッガー、道元・・。</p>
<p>●独立をすると、あらゆる種類の建築の設計が舞い込む。最初の仕事のクライアントが「人間国宝」の方の能楽堂。その後、学校、ホテル、旅館、教会・・。</p>
<p>●古民家再生にかかわるようになったこの24年。現地再生、移築再生、古材活用などのあらゆるケース。日本の建築美の創造に改めて深く関わることになった歓び。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td><strong>■講師紹介</strong>（同期の植村和文：講演録記録者）＊人物像について</p>
<p>・高校2年生（1968年メキシコ五輪の年）の１年間ご一緒したが、「物事を深く追求し極めてゆく、孤高にして芸術家的」といった印象が強かった。<br />
・この”人となり（性格・姿勢）”　が、将に、彼のその後の人生を形成し、今の仕事に繋がっていると思われる。</p>
<p>＊建築設計業界について</p>
<p>・紹介者も三菱地所㈱で建築設計に携わってきて、この業界を熟知している。前回、㈱日建設計の88期五十君氏の講演で、建築家が続くが、その差異を明確にするためにも、ここで、当業界の状況を簡単に俯瞰する。<br />
・設計事務所のタイプは、５つあると考えられる。</p>
<ul>
<li>組織事務所：日建設計・NTTファシリティーズ・三菱地所設計・日本設計等、各職能（意匠・構造・電気機械設備・工務積算・監理・営業他）を揃え総合力に優れる。</li>
<li>アトリエ事務所：隈研吾・安藤忠雄・竹山聖（85期）等、強力な個性でデザインに特化.</li>
<li>ゼネコン設計部：施工メインの建設会社の設計部門で技術力に優れるが施工優先の嫌いアリ。</li>
<li>一般の設計事務所：数名～数十名程度で各職能を揃える事務所と職能に特化した事務所がある</li>
<li>個人事務所：今井氏のように概ね一人で運営（他職能事務所と連携して仕事を進める）</li>
</ul>
<p>＊個人事務所は、全ての職能を把握していなければならず、仕事を極め信頼を得て、その作品の出来栄えやプロセスの中から、人脈を広げ、更なる仕事を獲得してゆく等、特に営業（仕事を取ること）については、かなりの刻苦勉励・艱難辛苦・切磋琢磨が必要。</p>
<p><strong>■講演内容</strong></p>
<p><strong>０.プロローグ</strong>　～39年間（1981年～2020年）の仕事年表～</p>
<p>・1981～1987年＜草創期＞：仕事はまだ少ない<br />
・1988～1999年＜バブルの崩壊→古民家再生の始まり＞<br />
・2000～2011年＜古民家再生を含めた様々な仕事の展開＞<br />
・2012～2020年＜本来の日本建築を求めて＞</p>
<p><strong>１.建築を目指して　</strong>～建築設計が自らの仕事となるまで～</p>
<p>・これがすべてのスタート：6歳の頃に初めて目にした山下画伯の絵葉書<br />
・小中学校の美術の自由課題のテーマ：いつも建築→子供心に建築を目指していたか？<br />
（金閣寺・薬師寺東塔・法隆寺夢殿・東大寺南大門・東本願寺・・等々）</p>
<p>＊北野高校時代</p>
<p>・理系や英語はまあまあ得意、国語と倫社は強烈な苦手意識.<br />
・国語の能力は半ば諦め→後に予備校で素晴らしい先生と出会って道が拓ける.<br />
・倫社は足立（時司）先生→授業は興味が薄く、哲学が特に辛く、眠気との闘い.<br />
・しかし、建築の道に進むのに、後にこれらがどれほど重要か思い知らされる.<br />
・大学進学は、迷わず建築学科を選択.</p>
<p>＊大学学部時代</p>
<p>・京大（建築学科）では、東大等と違って、１回生から少しずつ建築の授業がある.<br />
・土曜午後に講義「建築概論」があって「建築とはデザイン以上に哲学が重要」という内容に高校時代のトラウマに鑑み、少し不安になった記憶がある。<br />
・しかしながら、教養（１～２年）時代の図学やデッサン、専門（３～４年）に入ってからの科目や設計演習には何の不安もなく、寧ろ、自信を得ていた。<br />
・設計演習は特に好きで、一時は没頭して打ち込んでいた。<br />
・卒業設計の作品を示す。<br />
・その講評で、後に指導教官となる増田友也教授に酷評された。<br />
・設計の内容ではなく、「今あなたがやることはこれではない」といったことだったと思うが、そ時は激高・逆上していて、余り記憶にない。<br />
・しかしこれが、研究室（大学院）に進んでからの姿勢を変える大きな契機になった。</p>
<p>＊大学院修士時代（増田研究室）</p>
<p>・大学院は増田友也研究室に進学.<br />
・カリキュラムの大きな柱は、「ゼミ」と研究室での「実施設計」.<br />
・アトリエ（増田研究室）での泊まり込み（徹夜で設計作業）が常態化.<br />
・その中で、実施設計（インドのホテル・石川県の病院等）に関われたことは大変な経験.<br />
・ゼミが、私にとって克服しなければならない巨大な壁に.<br />
・ゼミで増田教授が用いたのは以下の書籍<br />
・ハイデッガー著「芸術作品のはじまり」<br />
・ハイデッガー著「存在と時間（SEIN UND ZEIT）」<br />
・道元著「正法眼蔵」<br />
・中村貴志助手(当時)の翻訳チームに加わって、ハイデッガーの「芸術と空間（Die Kunst Der Raum）」の翻訳も担当</p>
<p>＊レーモンド事務所時代</p>
<p>・東京に移り、レーモンド＊<sub>1</sub>事務所に入所（＊<sub>1</sub>：F.L.ライトの弟子）<br />
・既に、アントニン・レーモンドは１年前に他界、生前のその10年前とは事務所の様子が変わっていた。<br />
・当時65人の中規模事務所であったが、レーモンドが抜けて、それまでの「アトリエ事務所」から一般の設計事務所へと変貌.<br />
・ここでは、2年間の間に、企画設計（47件）から、実施案件の設計から竣工まで（4件）の実務経験をたっぷりと経験。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>２.建築を目指して（創業から今日まで）　</strong>～ポイントとなった12の仕事を含めて～</p>
<p>＊初めての仕事</p>
<p>・電話の前で新しい仕事を待つも、東京に来て３年で、住所録にも100人足らずの知り合いしかおらず、かかって来るはずもない。<br />
・急に「永久に仕事が来ないのでは・・・」という不安に駆られる.<br />
・しかし約１ヵ月が経ち、１本の電話が・・・<br />
・「今井さん、能楽堂を設計しますか？」レーモンド事務所時代の後輩からであった。<br />
・能楽堂の設計？　木造のあの４本柱の・・・？<br />
・という感じだったが、取り敢えず会ってみることにした。<br />
・クライアントであるお能の団体、社団法人銕仙会（観世榮夫理事長）との間には既に企画会社が入っており、それまでに何人もの建築家が関わり、辞めていったという、いかにも大変そうな話であったが、こちらとしてはやるしかないので、受けることとなった。<br />
・それが「銕仙会能楽研修所」である<br />
・既存舞台を解体修理し、新しい建物(劇場)を造り舞台をそこに納めるということであった。</p>
<p>＊この後「銕仙会能楽研修所」から始まった多くの仕事の中の、転機となった12の案件を続けてご紹介する。</p>
<p>・これはとりもなおさず、私と私の建築設計の歴史の流れそのものとなる。</p>
<p><strong>★ポイントとなった12の仕事：紹介</strong></p>
<p>1.1983年　銕仙会能楽研修所＜能楽堂＞（南青山）<br />
2.1988年　シャローム＜別荘＞（小渕沢）<br />
3.1989年　山村女子大学総合体育館（鳩山町）<br />
4.1993年　北郷フェニックスリゾート＜ホテル＞（北郷町）<br />
5.1995年　オリンピック候補選手の家（東戸塚）<br />
6.2001年　谷中の家（谷中）<br />
7.2003年　とん七＜トンカツレストラン＞（鶴岡市）<br />
8.2004年　つくばの家（つくば市）<br />
9.2005年　花の雲＜ホテル別邸＞（伊豆高原）<br />
10.2006年　坊ちゃん劇場＜演劇専用劇場＞（東温市）<br />
11.2009年　くらの坊＜和食レストラン＞（河津町）<br />
12.2018年　Ｔ医院＜医院＋共同住宅＞（中野坂上）</p>
<p>････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････</p>
<p><strong>※記録者註：</strong></p>
<p>＜夫々の建物の外観・内観写真を見ながら解説＞</p>
<p>・クライアント（施主）の懐に飛び込み、クライアントの立場に立って、様々な提案をし、好意を持って受け入れられるといった、謂わば、クライアントとの“共同作業”で建築作品を創り上げてきた様相が窺える。<br />
・そこには、建築の根源の在り方を問い、それを基に創り上げた彼の人生観を表現した、即ち学生時代から培ってきた「哲学」を実践している姿勢が表徴されている。</p>
<p>･････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････</p>
<p><strong>３.古民家再生に関わる(古民家再生事業)</strong>　～マスコミで多く取り上げられるように～</p>
<p>・1996年頃、知人で田舎暮らしの不動産情報を扱っている人から、「今井さんは建築家なんだからどんどん解体されてゆく古民家の問題をなんとかしろ」という話があり、<br />
・取り敢えず、山梨県の牧丘というところの古民家の見学会に参加<br />
・当初は、古民家のことがよく分からず、問題をどう捉えて良いかすら分からないというのが本音であった。<br />
・彼は仕事に繋がることも念頭にあったようだが、当面NPO組織で活動しようということになり、「NPO法人日本民家再生リサイクル協会」を設立.<br />
・彼が理事長、私ともう一人の建築家が副理事長に.<br />
・先ずは、文化的な活動を大きな柱にしようと、観世榮夫さんにお願いして会長に就任頂いた。<br />
・その後3年ほどの間に、シンポジウムや見学会などの催しものを開催.<br />
・会員はすぐに1000人に達した。<br />
・その内、事業（古民家再生）化の実現も視野に入るようになると、全国から約200社が集まり、私がそのまとめ役となった。<br />
・イギリスキュウ―ガーデンへの古民家の移築、URからの古民家による街づくりの依頼などが入る（いずれも実現）<br />
・URの龍ヶ崎ニュータウンでの古民家再生のプロジェクトで実現したのが次の「坂本邸」.</p>
<p>･･･････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････</p>
<p>『古民家再生とは』</p>
<p>・現地再生・移築再生・古材利用の３つがある。<br />
・日本中に「古民家」は30万～40万棟存在する。<br />
・「古民家」の定義は、はっきりしない。現在では、戦前に建ったものをそう呼ぶ場合が多い。<br />
・私は、昭和4年（1929年：世界大恐慌の時）が一つの分かれ目であると考えている。</p>
<p>･･･････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････････</p>
<p>＊マスコミで取り上げられた事例を動画で紹介</p>
<p>・「NHKクローズアップ現代」『甦る古民家』2003年放映版から<br />
・「渡辺篤史の建物探訪」から：茨城県龍ヶ崎市「坂本邸」<br />
～URのプロジェクト「古民家村」の一つとして</p>
<p><strong>４.クライアントと建築家</strong>　～建築はクライアントと建築家のコラボレーション～</p>
<p>＜ほぼすべてはクライアントさんの口コミから＞</p>
<p>＊「クライアントネットワーク（1981～2020年」を描いてみた。</p>
<p>・多くは最初の仕事「銕仙会能楽研修所」が発端となって拡大している。<br />
・例えば、観世家の方々や企画関係の方々或いは設備の方々から色んな方を紹介して頂いて延々とその関係が伸びて仕事に繋がっている。<br />
・この関係で全体の半分くらいあるかも知れない。<br />
・別の処では、例えば、建築専門雑誌やTVを見てご依頼頂くケースも多々あり、それらが口コミで更に拡がってゆくこともある。<br />
・このような「人脈」をずっと大事にしてきて、現在があると思っている。</p>
<p>――――質疑・コメント等：割愛――――――</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/08/200815_今井氏講演-記録用.pdf" target="_blank">200815_今井氏講演-記録用.pdf</a>(14.1MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【第211回】7月「Industry4.0時代の建築　ー羽田クロノゲート・豊洲市場を読み解くー」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5269</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5269#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 21 Feb 2020 06:03:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5269</guid>
		<description><![CDATA[五十君興さん＠88期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年7月18日（土）14時～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるオンライン開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>58名（～69期:8名　70～79期:19名　80～89期:26名　90～99期:3名　100期～:0名　不明:2名）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>五十君興さん＠88期　(株式会社日建設計執行役員)<br />
<address style="padding-left: 30px;"><em>成田国際空港など国内メジャー空港ターミナルビルをはじめ、ウエットからハードまで様々なタイプの研究施設、食品から半導体まで広範囲な業態の生産施設、物流施設を手掛けた。Industryに関わる施設設計のExperienceを重ね、最先端の研究施設、加速器施設、粒子線がん治療施設、スーパーコンピュータ施設にも実績を持つ。BCS賞など多くの賞を受賞し、先端技術やIndustry4.0に関わる講演啓蒙活動を行っている。</em></p>
<p style="padding-left: 30px;">生年月日：1958年2月1日<br />
実務経験年数：36<br />
出身地：大阪府</p>
<p style="padding-left: 30px;">&#8212; 学歴 &#8212;<br />
1976    大阪府立北野高校卒業<br />
1981    神戸大学工学部建築学科卒業<br />
1983    神戸大学大学院工学研究科建築学専攻修了</p>
<p style="padding-left: 30px;">&#8212; 職歴 &#8212;<br />
1983    株式会社日建設計 入社<br />
1993    同上 設計室 設計主管<br />
2001    同上 設計室 室長<br />
2007    同上 設計部門 副代表　兼　設計部長<br />
2017    同上 執行役員 設計部門 代表<br />
2019    同上 執行役員 設計部門プリンシパル</p>
<p style="padding-left: 30px;">所属団体：日本建築学会、日本建築家協会<br />
資格：一級建築士、インテリアプランナー、JIA登録建築家、CASBEE評価員</p>
<p style="padding-left: 30px;">&#8212; 受賞歴 &#8212;<br />
2018    BCS賞「羽田クロノゲート」<br />
2018    日経ニューオフィス賞「明治イノベーションセンター」<br />
2014    グッドデザイン賞「九州重粒子線がん治療センター　佐賀ハイマット」<br />
2014    日経ニューオフィス賞「羽田クロノゲート」<br />
2014    省エネ大賞「京速コンピュータ「京」レセプタクル」<br />
2008    環境・設備デザイン賞「エプソンイノベーションセンター」<br />
2008    サステナブル建築賞 国土交通大臣賞「エプソンイノベーションセンター」<br />
2007    公共建築賞「長野市真島総合スポーツアリーナ　ホワイトリング」</p>
<p style="padding-left: 30px;">&#8212; 主な経歴 &#8212;<br />
2019    キッコーマン研究所<br />
2017    明治イノベーションセンター<br />
2017    国立医薬品食品衛生研究所<br />
2016    samyang discovery center<br />
2016    東京都豊洲市場<br />
2015    日本原子力研究機構　高崎量子応用研究所<br />
2014    日置電機　イノベーションセンター<br />
2013    ヤマトグループ羽田クロノゲート<br />
2012    九州重粒子線がん治療センター　佐賀ハイマット<br />
2011    飯野海運ビル　設計監修<br />
2010    京速コンピュータ「京」レセプタクル<br />
2009    全日空コンポーネントメンテナンスセンター<br />
2006    エプソンイノベーションセンター<br />
1999    新東京国際空港第１旅客ターミナルビル 増改築工事<br />
1996    長野オリンピックフィギュアスケート会場　ホワイトリング</p>
<p style="padding-left: 30px;"><strong>日建設計</strong>HP　<a href="https://www.nikken.jp/ja/">https://www.nikken.jp/ja/</a></p>
</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>Industry4.0</strong><strong>時代の建築　ー羽田クロノゲート・豊洲市場を読み解くー</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>「建築は産業経済活動によって変化していくものであると同時に文化でもある。ここ数年の社会的な変化、たとえばIoT、e-コマースやAIロボット、５G、自動運転などは産業界ではIndustry4.0として語られることが多いが、これらによって文化としての建築はどう変わるのか、変わらないのか。Industry4.0時代に、建築と社会の在り方がどう変化していくのかという視点で設計者自ら、東京の巨大建築　羽田クロノゲートと豊洲市場を解説する。<br />
羽田クロノゲートはヤマト運輸が、物流の在り方を変えるというコンセプトのもと作られた次世代型物流施設。豊洲市場は築地市場移転先として2016年に完成したものの、土壌汚染問題が再燃し2年後に開場した巨大卸売市場である。双方とも私たちの都市生活を支えてくれている産業系建築であるが、文化としての建築として読み解いてみたい。」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>紹介者は、同期の楠本圭子さん。五十君さんは呼び名が難しいので、犬君（いぬき）と呼ばれていた。これは源氏物語の若紫からとったものです。陸上部に所属していて、同世代の瀬古選手とは5000mで3週遅れぐらいのスピードでした。タワリングインフェルノという映画で、スティーブ・マックイーンよりはポール・ニューマンに憧れて建築家になろうとしたとか。現在は、日建設計の執行役員で、水泳、愛犬と遊ぶことがお好き。老後は海外旅行を楽しみたいとのこと。&nbsp;</p>
<p>以下は、五十君さんが講演で話した内容である。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>1.五十君さんが関わった羽田クロノゲートや豊洲市場を紹介して、現在の建築のトレンド、そして現在大きな社会問題となっている新型コロナに関して、After CoronaやWith Coronaについて講演した。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>2.五十君さんの経歴は上に紹介した通りである。1983年に日建設計に入社して、すぐに東京赴任、現在に至っている。日建設計は,1900年創業で、今年120周年を迎える。社員数約2000人の都市計画、建築設計、エンジニアリングといった総合的なサービスを行っている。日建設計の代表的作品は、東京スカイツリー（東京タワーも日建設計が設計）、八重洲口のグランルーフ、東急プラザ、ポーラ美術館、東京ミッドタウン、そして五十君さんが携わった羽田クロノゲート、豊洲市場などが挙げられる。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>3.五十君さん本人の作品は、上記の「主な経歴」に紹介する通りである。成田空港旅客ターミナル、長野フィギュア―スケート会場、神戸のコンピューターレセプタクル（京、富岳）、大阪の重粒子がん治療センター、明治イノベーション、野田キッコーマン研究所が講演で紹介された。このように、五十君さんはエンジニアリングと融合した産業界の施設に数多く携わってきて、こういった施設の設計にも「建築は文化である」という思想が取り入れられるべきと考えている。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>4.2010年以来Industry4.0の時代に入った。それ以前のIndustry3.0は、情報革命として日本がリーダーとなり、通信、情報、自動車の分野で自動化を取り入れた物づくりの時代であった。4.0では自動化から自律化ということで、ロボット、AI, IoTの進歩で物から事へ、メーカーからユーザーへ、Globalから地産地消へと主客逆転した時代になってきている。ドイツやアメリカがこれを引張っており、日本は遅れ気味ではある。3.0では、録音したものしか聞けないウォークマンから、メカそのものは大きな進歩はないメーカー使い方を進化させて数千の曲が聴けるiPod, iPhoneが生まれたと考えれば、その違いが理解できると思う。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>5.このようにIndustry4.0で、世の中の流れが変わる、集積から分散、そして集まることの意義が変わる、そして東京への一極集中が変わるものと考えている。ひいては、With Corona, After Coronaと言ったこれからの社会の進むべき方向とも一致している。即ち、これまでの都市計画のようにZoningで区別された施設群ではなく、京都の西陣のようにいろいろな職業が生活と一体となって複合化され、オープンに組み合わされた施設が、都市の建築の建築として求められると考えており、これによって町や都市のあり方が根本的に変わってくる。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>6.これまでのIndustry3.0の生産・流通・消費は一方通行の流れであったが、4.0では円形で相互に関連しながらユーザー情報が生産者に還元され、更に進化してゆく。このことで建築は都市とかかわりを持つ施設へと変化してゆく。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>7.上に述べた思想をとりいれた建築設計の一つが羽田クロノゲートである。これはヤマト運輸の都市に開かれた総合物流ターミナルである。ヤマト運輸は、1976年に日本で初めて宅急便を始め、今では現代社会に無くてはならないサービスとなったことは言うまでもない。ヤマトはバリューネットワークの思想を持ち、スピード、品質、コストといった物流に必須な要素が、それぞれ加算したものではなく、すべてを掛け合わせたものを極大化させることを基本方針としている。即ち、一つがゼロなら全てゼロとなり、これを避けるためにそれぞれの要素の付加価値を高めながら物流を止めないようにするため、どうすれば良いかを常に考えている。こういった背景から、羽田クロノゲートでは、以下の点を考慮して設計を行った。</p>
<p>●羽田は鉄道・道路だけでなく空の便を通して日本全国、世界に通じている。<br />
●今までの壁と屋根があれば良いとする物流倉庫のイメージから、文化を感じさせるものを創造する。<br />
●建築物と環境と地域の融合を求めて機能の集約を図った。従って、物流棟、事務棟の他、総合受付等を含む地域貢献施設を作った。<br />
●閉鎖的な物流倉庫ではなく、透過性を持たせてガラス張りとし、コンベアー、宅急便の仕分けの様子､特に荷物を優しく仕分けを行うシステムが見えるようにした。<br />
●東京産の杉を壁や天井の材料として多用し、中で働く人にとって優しい環境を作り出した。また、物流では避けられないトラックの影響を少なくするため、施設内の車路を杉のルーバーで囲った。<br />
●事務所棟も自然の風を取り入れる設計としている。大きな吹き抜けを設けて天井にも木材を使用した。また、事務所、現場で働く人の壁を取り払う工夫をして、両者の交流を図った。<br />
●地域貢献施設には、市民に開かれたスワンカフェ、託児所、水舞台、総合受付、そしてスポーツ施設のあるフォーラム棟を置いた。これらは逆円錐型の建物とし、リングデッキを通して他の棟や道路とつながっている。託児所の内部には木材の壁を用い、屋上には前面に芝生を植えた。この地域貢献センターは、地域住民から高い評価を受けている。<br />
●環境配慮では、周辺には多摩川、大井埠頭公園、野鳥公園などの緑地が点在していることから、ランドスケープでこの緑地を水面で有機的に繋ぎ、ビオトープ的な施設、風景を創造した。また建物の設計でも自然の風を通す工夫をした。この結果、クロノゲートの施設は、CO2 排出量でいうと、設計ではベンチマークから34％減を目指したが、2014年の実績では62％減を達成した。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>8.次に豊洲市場が紹介された。築地市場は、1936年に建設され80年以上も使われてきて老朽化が著しく、耐震性や衛生面での安全性に欠け、現代の物流の変化に対応できないといった問題を抱えていた。2016年に竣工したが、物議をかもした末に、2018年に築地から2㎞離れた豊洲に水産物と野菜の市場が移転した。豊洲市場の総床面積は560,000m2で、これは銀座1丁目から8丁目までと同じ面積であり、幅はスカイツリーを横にした634mもの長さがある。労働人口42,000人、33,000台のトラックが出入りし、総工費は2,147億円である。以下が計画・設計上の特色として説明された。</p>
<p>●築地は一つの区画にまとまっていたが、豊洲は道路で分断されているという問題があった。しかし、道路の下で各施設が有機的に繋がるようにして、デメリットを解消した。<br />
●市場は食料の安定供給を図り、一か所で公正な取引をして分配していくという機能を持つ。さらに、配送センターとして他の市場に流通させる機能を持つが、単に物を流すだけではなく加工して付加価値を付けた上で物を流すという機能も持つ。<br />
●豊洲市場は、大都市内の囲まれた世界最大級の閉鎖型市場である。モータリゼーションで郊外に移転し多賀パリやニューヨークの市場とコンセプトが異なる。<br />
●豊洲市場の計画・設計のコンセプトとして東京都から次の5点が与えられた。<br />
（1）食の安全・安心を確保<br />
（2）効率的な物流機能を実現<br />
（3）顧客の多様なニーズへの対応<br />
（4）環境への配慮<br />
（5）市場の魅力の向上<br />
●デザインに於いては、空から見た形が重要と考えた。巨大な施設であるが、しゃしゃり出た建物とならないように心がけた。また都心に近いことから、東京の夜景を借景とした目立たない建物となるような工夫もした。屋上広場、護岸公園なども配置した。この屋上広場は東京クロノゲートの公共空間と相通じるものがあり、地域社会との連携を考えた計画をした。<br />
●江戸文化を取り入れ、建物の壁の設計には髷のいなせの形をモチーフにした。また、空から短冊状に見える帯もデザインコードにした。この帯の合間から空気を取り入れる、太陽光パネルを設置するといった設計をした。更に、市場は夜の世界なので、北斎の娘さんの描いた絵をモチーフにして、穏やかな光が漏れている「もれ光」も豊洲市場の照明コンセプトである。サイン計画では、江戸文化の升目をモチーフに取り入れ、全体をこれで統一した。<br />
●卸市場は、大空間の衛生上温度が5度で管理されたスペースで、同じレベルで見学者のスペースも設けてセリが見えるようにした。働く人が、閉鎖した室内、低温の環境から離れて、屋外に採暖室、リフレッシュできる坪庭風のスペースを設けた。<br />
●仲卸棟があって、最小単位で789区画ある。力のある仲卸業者は複数区画確保しているので実際の仲卸業者は500ちょっとである。<br />
●豊洲市場の魅どころは、「活気と賑わい」にあり、2023年には他者の設計であるが、近くに賑わいどころとして、商業機能が開業の予定で、これができれば市場本来の姿が戻ってくると思っている。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>9.総括として、Industry4.0の時代では、以上紹介した物流、あるいは工場といった産業施設であっても、「建築は文化である」という思想のもとで設計されねばならない。即ち、都市とのつながり方、複合化された機能の建築デザイン、時代を拓く機能といった3つの要素が相互に、そして有機的に関連させたコンセプトのもとで、市民とどうインタラクトしてゆくかを考えてデザインされねばならない。紹介した羽田クロノゲート、豊洲市場は、都市に隣接して、建築とパブリックがどう繋がっていくかという点を深く考慮した建築設計であると考えている。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10.質疑・応答</p>
<p>●峯さん（65期）：逆円錐形は耐震性に欠けるのではないか？　また、世界にこういった設計例はあるか？</p>
<p>回答：重力を考えると不利ではあるが、充分な耐震性を持つよう設計されている。逆円錐形が持つ新鮮さ、先進性の魅力を取り入れことがイノベーションと考えている。角度についても45度では不安感があるので、5分の1の模型を作って検証し、今の角度の57度とした。他の設計例では、ブラジルの国会議事堂が丁度お椀のような形状で、美しい建築物である。</p>
<p>●浦勇さん（88期）：いつも5分の１のような大きな模型を作っているのですか？</p>
<p>回答：そういった大きなものは通常作らないが、角度が与えるインパクトを検証するため、今回は製作した。</p>
<p>●植村さん（82期）：逆円錐形は、施工者泣かせというか、施工が難しい構造と思うが？</p>
<p>回答：設計の段階で施工性も考えて構造設計を行った。フォーラム棟はコンクリート造であるが、先ず地面で壁を打設し、それを所定の角度になるまで片側から吊り上げ、ちょうど花びらが閉じるように、その角度で止めてPC鋼線で緊結し、これを繰り返して全体が円形となるようにした。単純ではないが、充分に施工性のある建物と考えている。</p>
<p>●楠本さん（88期）：豊洲市場の開場後の様子、現在は？</p>
<p>回答：開場前にいろいろ物議をかもしたが、開場初日にトラックの大渋滞が起きて問題となった以外、その後特に大きな問題もなく、現在は円滑に運営されており、実は設計者としてホッとしている。いろいろ批判してきた人も、現状を当然の事として、そして何年も前から市場があったかのように受け入れており、これはすごい適応能力だなと感心している。</p>
<p>●五十君さん：クロノゲートは一時、コロナの関係で一般公開を止めていたが、現在再開している。いろいろな施設、公園などがあり、お孫さんを連れて行っても楽しめる施設なので、一度訪問してほしい。　<a href="https://www.yamato-hd.co.jp/facilities/haneda-chronogate/" target="_blank">https://www.yamato-hd.co.jp/facilities/haneda-chronogate/</a><br />
また、今年7月に品川にオープンしたばかりのヤマト港南ビルにはクロネコヤマトミュージアムもあり、これも興味深い施設で一度訪ねてほしい。　<a href="https://www.yamato-hd.co.jp/museum/" target="_blank">https://www.yamato-hd.co.jp/museum/</a></p>
<p>●広本さん（88期）：0 で新しいデザインパターンというものは生まれたのか？</p>
<p>回答：4.0は、概念であって形状を指すものではない。むしろ、4.0はこういうデザインというのを決め付けない方が良いと考えている。</p>
<p>●千種さん（88期）：渋谷の再開発について教えてください。</p>
<p>回答：去年渋谷に200mのタワー(スクランブルタワー)ができた。これも日建設計が手掛けた。近くに桜<span style="text-decoration: line-through;">が</span>丘という楽器屋、釣り道具があったエリアを再開発をして、オフィスビル、ホテル、教会のある街を作る予定です。渋谷の新しい顔となるでしょう。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/08/東京六稜倶楽部選別PPT.pdf" target="_blank">東京六稜倶楽部選別PPT.pdf</a>(15MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?feed=rss2&#038;p=5269</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>【オンライン特別講演】6月「オペラ歌手  ～自分の可能性を信じて～」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5226</link>
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		<pubDate>Mon, 06 Jan 2020 01:05:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[平尾　啓さん＠92期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年6月20日（水）14時00分～15時50分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるオンライン開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>159名（～69期:16名　70～79期:47名　80～89期:25名　90～99期:25名　100期～:4名　講師関連:24名　不明:18名）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>平尾　啓さん＠92期　(藤原歌劇団準団員、日本オペラ協会準会員、アイ・ピー・ファイン株式会社　取締役 常務執行役員)</p>
<address style="padding-left: 30px;">アイ・ピー・ファイン株式会社では、人工知能などを利用した知財情報調査の効率化、IPランドスケープなどを主題とした商品開発、営業業務を行い、月に数度の講演会や研究会主催、年数件の著作活動も行っている。大阪府立北野高等学校ではコーラス部に在籍。1980年3月に卒業。慶應義塾大学理工学部卒、同大学院理工学研究科修了。大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団に在籍。バリトンパートリーダーを務める。1987年キリンビール株式会社に入社し、約30年間勤務した。</address>
<address style="padding-left: 30px;">第7回東京国際声楽コンクール声楽愛好者部門Ａ第2位（最上位）、第3回「春の声」声楽コンクールアマチュア部門第1位となり、プロ歌手を目指す。キリンビール退職時にイタリアに短期留学。</address>
<address style="padding-left: 30px;">コロナの影響で日程調整中だが藤沢市民オペラ「ナブッコ」に出演予定。</address>
<address style="padding-left: 30px;"><a href="https://f-mirai.jp/archives/60812">https://f-mirai.jp/archives/60812</a></address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「オペラ歌手～自分の可能性を信じて～」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>「北野高校コーラス部で歌う楽しさを知り、慶應義塾大学で木下保、畑中良輔、諸先輩方の合唱指導を受け、上達するワクワク感、達成感などを味わい、歌うことは私の生活の一部になった。一方、慶應義塾大学院を修了、キリンビール株式会社に就職し、その後30年間会社員として普通に過ごした。そんな私が一大決心、会社を退職しプロオペラ歌手を目指し、イタリアに短期留学し、「日本オペラ振興会オペラ歌手育成部」を受験、2年間オペラ歌手の勉強をしてきた。20歳代の同級生たちの中で、来年60歳になる私の奮闘の記録、また再就職した会社の理解あっての活動でもあり、両立についてもお話しします。そしてオペラ歌手としてたくさん歌わせていただきます。」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>コロナ自粛が続く中、東京六陵倶楽部の講演は４か月ぶりとなる。出席者の安全を確保するため、初のオンライン開催となった。いつもは参加が困難な関東圏外からも多くの同窓生および関係者が参加した。通常開催とは単純に比べられないし、不明者が18名含まれるとはいえ、出席者数159名は東京六稜倶楽部始まって以来、歴代第1位の記録である。講演中はたくさんの演奏を聴かせて頂いた。</p>
<p>人生の節目となった当時の貴重な録音もいくつか披露された。最初の「オーソーレミーオ」からアンコールの「トスカ（星は光りぬ）」まで、まさに公演のようだった。Zoom環境での上演の為、拍手喝采は控えられたが、演奏が終わるたびにZoomのチャットにはたくさんの賞賛のメッセージが寄せられた。</p>
<p>紹介者は94期の伊豆原孝さん(94期)。伊豆原さんは妹に当たる平尾昌代さん（現姓：今出川さん）とは3年生の時に同じクラスだったが、平尾さんご本人とは全く面識がなかった。1996年に地元の藤沢男声合唱団に入団した時に、先に在席しておられた平尾さんと始めて出会った。以来24年間アンサンブルや合唱団の活動を通してお付き合いが続いている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１．「歌」の世界に～きっかけは北野高校コーラス部～</p>
<p>・３歳からピアノを習い、中学時代は吹奏楽部に所属していたが、特別に音楽が好きなわけではなかった。北野高校入学後は硬式野球もやってみたが長続きしなかった。「興味は持つがどれも好きにならない」性格であった。<br />
・２年生の夏前に2年3組同級生の今井礼子さん（現姓：新藏さん）から誘われてコーラス部に入部してみた。そこで初めて「歌う事って楽しい！？」と思えるようになった。<br />
・コーラス部に勧誘されたのは、音楽の授業で西川先生によく褒めて頂いていたからか？(西川先生の思い出：息の使い方をご指導されるのに、発声中の先生のお腹を触らせて下さった)<br />
・コーラス部には様々な大学合唱団で活躍されている先輩たちが時々訪ねてこられて指導して下さっていた。参加した合唱コンクールで京都大学グリークラブの歌ったBeati Mortuiを聴いた時は歌が身体に充満した。特に新貝康司先輩(86期)のトップテノールの歌声の虜になった。<br />
・それ以来、勉強する時も深夜ラジオの代わりに毎日毎晩コーラスを聴いていた。その中でも心が激しく動いたのが慶應義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団で、この合唱団に入団するために慶應義塾大学に進学した。<br />
・北野高校コーラス部の（男性）同期4人は生涯の男友達となった。歌を通じてそれぞれの居場所で互いに励まし合い、競争する仲間を得た。（川上孝明君（京都大学グリークラブ/指揮者）・森知史君（同志社グリークラブ/トップテノールパートリーダー）・青山秀美君（慶應義塾ワグネル・ソサイエティ/セカンドテノールパートリーダー）・私（慶應義塾ワグネル・ソサイエティ/バリトンパートリーダー））</p>
<p>２．「夢」の世界に～慶應ワグネル時代</p>
<p>・憧れの慶應義塾ワグネルの一員となり大変うれしかった。<br />
・木下保先生、畑中良輔先生や諸先輩のご指導のもと、練習日が年間315日もあるような忙しい合唱団活動だったが、とても充実していた。成長できた。まさに夢のような4年間だった。<br />
・特に畑中先生にはその後30年以上ご指導いただいた。現在の私があるのも畑中先生のおかげと言える。</p>
<p>３．「夢」から「現実」の世界へ～大学院から社会人時代の25年</p>
<p>・大学4年の時、将来の職業について「会社員5割」「オペラ歌手3割」「高校教師2割」の順番で考えた。畑中先生に相談したら、「これからの舞台人は顔とスタイルが重要、ラジオなら平尾はいいのだが」といわれ、オペラ歌手への道をあきらめた。<br />
・社会人となってからは趣味としてコーラス活動をしていた。10年ほど歌わない時期もあった。<br />
・歌は趣味の1つだった。</p>
<p>４.再び「夢」の世界へ～こころの高まり～2011年夏（当時49歳）人生の転機が訪れる</p>
<p>・所属していた藤沢男声合唱団の第22回定期演奏会で、ジプシーの歌「わが歌ひびけ」を歌った時、ソロのパートをテノールで歌った。テノールは私の専門ではなかったが、私の歌声を聞いた畑中良輔先生が、「平尾はテノール歌手かな。イタリアに留学に行かせてやりたいな。来年の『青の会』に出なさい」とおっしゃって下さった。とても嬉しかった。※１<br />
・しかしこの年の12月24日に心筋梗塞と診断され心臓の手術を受けた。<br />
・1月に畑中先生からお電話を頂戴した。先生は泣きながら「もう私の指揮では歌わないでくれ。平尾のことが心配で指揮どころではなくなる」と。<br />
・「心臓のために歌わない」と畑中先生に約束して歌うのをやめていたが、畑中先生はそれから半年もせずにお亡くなりになった。畑中先生のお別れの会の席では約束を破って歌ってしまった。</p>
<p>５.再び夢の世界へ～こころの高まり～テノール歌手を目指す</p>
<p>・2015年心臓病が回復すると、テノール歌手を目指してヤマハミュージックサロン声楽コースを受講した。これまで約30年間バリトンを専門に歌ってきたが2011年の畑中先生がおっしゃった一言でテノール歌手に転向することに決めた。<br />
・指導して下さった柏川翠先生の勧めで挑戦した東京国際声楽コンクールの声楽愛好者部門で最高位となった。<br />
・翌年の2016年には「春の声」声楽コンクールのアマチュア部門で第１位を獲得した。<br />
・さらに上を目指して吉村友岐先生のレッスンを受ける事にした。<br />
・2018年3月末にキリンビールを退職することを決めた。キリンホールディングス設立10周年を記念した第九演奏会を合唱団の責任者として成功させることができたのがキリン最後の思い出となった。<br />
・4月からの勤務先は歌手活動に理解のある会社を選んだ。<br />
・また、この転職の機会を利用して3月初めにイタリアへ2週間の短期留学をした。（シチリア・カターニアのジュゼッペ・コスタンツォ先生のご自宅の屋根裏部屋に滞在して指導を受けた）</p>
<p>６．ふたたび「夢」の世界へ～大変なところに来てしまった</p>
<p>・プロになるために、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部 研究生コースを受験した。実技の後の面接官の先生（折江忠道総監督と樋本英一先生）や事務所からは“楽しんで学べる”アミーチコースへのコース替えを強く勧められた。研究生コースは音大の大学院やイタリア留学を何年も経験した人が行くところで「平尾さんが入所してもついていけないと思う」「プロになれても歌劇団は組織繁栄のために若手を起用する」と言われたが、「それでも私は勉強したい」とお話しした。さすがに無理かと思ったが、結果は志望通りの研究生コースに合格できた。<br />
・2018年4月の入所式では周りの同級生はほぼ20代。しかもこれまでに専門の勉強をしてきた人達ばかりで、やはりというべきか私のようなド素人はいなかった。</p>
<p>７．ふたたび「夢」の世界へ～2年間のオペラ歌手研修</p>
<p>⑴1年目～試練、そしてやるしかない</p>
<p>・演技の実習で、演出の先生から「君には何も教えることはない（教える価値がない）」と最初にはっきり言われて、最後のテストまで本当に一言も指導して頂けなかった。<br />
・コレペティの先生（ピアノを弾きながら音楽稽古をつけるコーチ）からは「絶対に動くな」と言われた。それまでは自由に体を曲げ動かして発声していたので、ずっと動かないで歌うことはとても苦しかった。</p>
<p>⑵２年目（声の大改造）～苦しい！ダメかも</p>
<p>・1年目の終わりに折江先生との面談で私の問題点を指摘された。「主役の声を持っている。声が良いので上手く聞こえているだけ。これからプロとして長く歌うなら力で押す発声をやめて本当の歌い方（ベルカント）を身につけなさい」<br />
・問題点を克服するため残りの１年間で発声の根本を見直す事にした。<br />
・声の大改造＝ベルカント(美しい歌唱法)を習得するために、それまで得意だったヴェリズモ・オペラを封印しドニゼッティをひたすら勉強した。※２<br />
・たくさんの人にアドバイスをもらい必死で様々な事を試したが、すぐには成果を得られなかった。しかも、2019年秋には10分程度歌うと声がかれる様になってしまうという致命的な問題が発生した。<br />
・同級生のお荷物かも、と自虐的にもなり朝から晩まで悩んだ。会社の近くの「いくたまさん：生國魂神社(芸事の神様)」に何度もお参りした。</p>
<p>⑶２年目(声の大改造に成功)～それでも前に進もう、そして晴れ間が</p>
<p>・和製イタリア語からの脱却→樋本先生から「イタリア語の発音が出来ればベルカント歌唱が出来る」というアドバイスをもらい、ディクション（言葉の発声方法、舞台発声法）の渡辺康先生からイタリア語の発音と発声を教わった。<br />
・卒業間近の2020年1月になって、やっとベルカントで少しずつ歌えるようになり、声も戻ってきた。嬉しくて泣きそうになった。<br />
・2年目の演技の実習（オペラ舞台での基本動作）では演出の久恒秀典先生からとても丁寧にご指導頂いた。また、同級生全員から貴重なアドバイスを沢山もらった。最後の3か月は落ちこぼれになりたくないと毎日、修了公演で歌うドニゼッティの「愛の妙薬」全曲を何回も繰り返し練習した。<br />
・修了公演の通し練習の時、同級生に「ありがとう、勇気もらえた。私も頑張る」と言われた。いつの間にか私は同級生のお荷物から、一緒にもがく戦友へと変わっていたことがわかった。<br />
・1年目の「教えることは何もない」という冷たい言葉の本当の意味もやっと分かるようになった。舞台の上では何が起こるかわからず、発声について考えている暇などない。歌は、舞台に立つ前に音楽稽古で完結（身体にしみこませておく）しておくもの。演技中は役柄になりきって、他の演者・オーケストラ(ピアノ)・照明・道具・オペラの進行など舞台全体を把握し、（時には）アドリブで対応できるように集中しなければならない。私は演技の時にも合唱の時と同じように自分の歌にばかり気を取られて（いい声が出ているか？譜面通りに歌えているか？）、役柄に集中できず、舞台全体も見えていなかった事にやっと気づかされた。<br />
・アマチュアの侵す間違いの多くは歌う際にやたら身体を動かす事。舞台では観客はどうしても声よりも動作に気を取られる。オペラは基本的に声(音)で表現するものだから、無駄な動き・スキのある動作を乱用多用することは声の邪魔になりかねない。私は１年目の「動かないで歌う」レッスンのおかげで、声の邪魔にならない動作で歌えるようになっていた。<br />
・人の動作は外部刺激を受けてはじめて発露するもの。この動作のタイミング（反応速度）には本当に悩まされた。実年齢の50歳代の動作速度（発話速度・反応速度）を役の年齢に改めるにはどうすればよいのか？同じ動作を何度も何度も繰り返して練習した。<br />
・2020年3月の修了公演はコロナウィルスの影響で無観客公演となった。<br />
・公演終了後には、樋本先生から「オペラ歌手になれたね。最後の2回のレッスンで急上昇したよ、忘れないように、おめでとう」、久恒先生から「80点、合格です。ゲネプロでは60点でした」とお声を掛けて頂いた。本当に嬉しかった。</p>
<p>⑷無事に卒業～プロのオペラ歌手に</p>
<p>・50歳半ばを過ぎてからプロオペラ歌手を目指した時、樋本先生に諭されたように「オペラを趣味にとどめておく」というのが常識的な考えだったと思う。旧知のコレペティの八木智子先生も「平尾さん、あなたはいくつものアマチュア大会で1位を連続して獲得しています。アマの中では胸を張って一番です。これからも十分楽しんでいけます。なぜ、苦労する必要があるの？」と心配して下さった。それでもプロオペラ歌手になりたかった。<br />
・何度もどん底に落とされ自分の無能さにうんざりしながらも、それでもプロオペラ歌手になれたのは、指導して下さった先生や同級生のおかげであるし、また、応援してくれた家族や歌手の勉強を優先してくれた会社にも感謝している。<br />
・特に厳しく優しい大恩人の樋本先生には本当にお世話になった。熱い指導に感謝したい。</p>
<p>８．ふたたび「夢」の世界へ～そして今、そして今後</p>
<ul>
<li>これまでの演奏会活動（ステージに慣れるため、お客様を獲得するため）</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">2018/10/01 Havest Concert音と食の収穫祭(アルテリーベ東京)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2019/05/19 北野正人コンサート　賛助出演(横浜市都筑公会堂)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2019/05/26 日曜午後の競演会 テノールの競演 平尾＆松原(Dot&amp;blue赤坂)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2019/06/30 歌の宝石箱コンサート（茅ヶ崎市民文化会館）</p>
<p style="padding-left: 30px;">2019/07/06 熱い恋の宴 第10回登竜門(アルテリーベ東京)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2019/12/17 オペラ「愛の妙薬」ソプラノとテノールによるハイライト(アルテリーベ東京)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2020/01/12 ニューイヤー オペラガラコンサート(ムジークフェラインAsama佐久平交流センター）</p>
<p style="padding-left: 30px;">2020/02/01 ヒデタクバンド ウィンターコンサート（B地区茅ヶ崎自治会）</p>
<p>・アルテリーベ東京で3度コンサートをした。この店は藤原歌劇団準団員以上でなければコンサートを開くことはできず私にはその資格がなかったが、オペラ歌手育成部で習っていた沢崎恵美先生のご紹介で歌う機会を得られた。幸運にもその年の最優秀歌手になれたことから2度目のコンサートを許された。さらにそこで評価いただき、「A級歌手」になり、3度目のコンサートを自主企画のクリスマスコンサートとして開催することができた。人の縁に感謝している。</p>
<ul>
<li>これからの予定</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">2020/11/7 デビューコンサート（藤原歌劇団、日本オペラ協会）イイノホール</p>
<p style="padding-left: 30px;">2020/12/20 テノールの競演 平尾＆松原　カフェ 音と共に(春日部)</p>
<p style="padding-left: 30px;">2021/02/14 テノールの競演 平尾＆松原　レスプリ・フランセ(藤沢)</p>
<p style="padding-left: 30px;">????/??/?? 歌劇「ナブッコ」アブダッロ役（藤沢市民オペラ）藤沢市民会館大ホール</p>
<p style="padding-left: 30px;">「ナブッコ」の日程の詳細はこちらを参照：<a href="https://f-mirai.jp/archives/60812">https://f-mirai.jp/archives/60812</a></p>
<p>・2019年3月に藤沢市民オペラ「ナブッコ」のオーディションを受けた。10倍近くの競争率だったがたった１人の合格者となった。これが私の初めての役付き公演となるはずだった。2020年11月に予定されていた公演は、コロナウィルスの影響で延期され現在日程調整中である。<br />
・松原悠馬さんはオペラ歌手研究生の2年間の同期生テノールで、彼とは本当に助け合って勉強してきた。松原さん無くして私はオペラ歌手にはなれなかっただろう。</p>
<p>９．最後に</p>
<p>元をたどれば私の人生の方向性は、北野高校2年3組の同級生との出会いが決め手になった。この出会いに感謝したい。今年になって歌を普通に歌い聴く環境が突然消えてしまった。でも必ず、前のように戻るであろうと確信している。</p>
<p>10．質疑応答</p>
<p>問１）テノール歌手には4種類の役柄があると聞きました。セビリアの理髪師・リゴレット・トゥーランドット・オテロのうちどれがお得意でしょう？<br />
答１）オテロまたはトゥーランドットでしょうか。セビリアの理髪師は私の声には合わないのであまり歌いたくありません。</p>
<p>問２）お話しにあった以上に体力的にも精神的にもつらくて大変だったと思います。それでも前に踏み出した原動力は何ですか？<br />
答２）性格が無鉄砲なのかもしれませんが、やりたい事が目の前にあった時、人生に悔いを残したくなかったのです。</p>
<p>問３）声を大切にするために気を付けていらっしゃることは何ですか？<br />
答３）絶対に体調を崩さない事ですね。体調を崩しそうな予兆を必ず見つけて、予兆の内に手を打っています。</p>
<p>問４）今後、合唱には参加されますか？<br />
答４）これまで約25団体（小さいのを含めると30団体）の合唱団に所属してきました。合唱活動は今後も続けていきたいと思います。</p>
<p>11．注釈</p>
<p>※１）青の会とは畑中門下生の会、青の会のコンサートはプロで選ばれたものでないとソロができないとされ、畑中先生のあだ名が「ブル先生」だったので「青の会」となった。</p>
<p>※２）ベルカントとは、「美しい歌唱法」の意味である。イタリア・オペラにおける理想的な歌唱法をさす。ベルカント歌唱が十分に習得できていない中で、ヴェリズモを歌うと、声を壊すことがある。ヴェリズモ・オペラは、1890年代から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの志向である。日本語で真実主義あるいは現実主義とでも訳されるべき一種のリアリズム運動に影響を受け、内容的には市井の人々の日常生活、残酷な暴力などの描写を多用すること、音楽的には声楽技巧を廃した直接的な感情表現に重きを置き、重厚なオーケストレーションゆえに重厚な歌声を駆使することも特徴である。</p>
<p>【Ⅶ章記録：野田美佳（９４期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/07/発表資料20200620.pdf" target="_blank">発表資料20200620.pdf</a>（8.6MB 音楽データ20ファイルで150MB）　文中の下記「スピーカーアイコン」をクリックすると、該当の曲が流れます。<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/07/icon-スピーカー.png"><img class="alignnone" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/07/icon-スピーカー.png" alt="icon-スピーカー" width="66" height="60" /></a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【207回】3月・【208回】4月・【209回】5月・【210回】6月　開催中止</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5057</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5057#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 06:45:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[開催中止]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>2020年3月（207回）～6月（210回）の東京六稜倶楽部講演会は、新型コロナウィルス感染対策のため、開催中止となりました。</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【206回】2月「G7サミット、G20をサポートして――MICEを通じたまちづくりにも関っています！」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5055</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5055#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 06:45:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[紫冨田　薫さん＠87期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年2月19日（水）11時30分～14時</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>銀座ライオン７丁目店６階</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>40名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>紫冨田　薫さん＠87期　(株式会社コングレ　専務取締役コンベンション事業本部長)</p>
<address style="padding-left: 30px;"><em>1956年生まれ。北野高校（ソフトボール部）、大阪大学文学部卒業。サントリー株式会社　大阪秘書室勤務を経て、大手コンベンション会社に勤務。1990年に株式会社コングレの設立に参画。現在に至る。</em><em>株式会社コングレ　<a href="https://www.congre.com/" target="_blank">https://www.congre.com/</a></em><em>1994年国際エイズ会議、2007年日本医学会総会、2012年IMF・世界銀行年次総会、2016年G7伊勢志摩サミット首脳会議など国内外のコンベンションの企画運営に従事。国際的なPCO（Professional Congress Organizer＝国際会議運営専門会社）の組織であるWorld PCO　Alliance のSecretary Generalもつとめる。</em><em>2021年に長崎駅前にPFI事業で建設・運営するMICE施設「出島メッセ長崎」の特定目的会社のメンバーとして準備中。</em></p>
<p><em>4年前より「スポーツビジネスジャパン」「ジャパン・ドローン」という展示会+講演会を主催事業として開催。</em></p>
<p><em>スポーツビジネスジャパン　<a href="http://sportsbusiness.jp/" target="_blank">http://sportsbusiness.jp/</a>　　</em></p>
<p><em>ジャパン・ドローン　　<a href="http://japan-drone.com/" target="_blank">http://japan-drone.com/</a></em></p>
</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>G7</strong><strong>サミット、G20をサポートして――MICEを通じたまちづくりにも関っています！</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>MICE【Meeting（会議・セミナー）, Incentive travel（報奨旅行）, Convention（国際会議・学会）, Exhibition（展示会） &amp; Event（イベント）】という言葉をご存知でしょうか。国際会議というと皆さんの頭にまず浮かぶ国連の会議や、G7・G20等を陰で支えているのは私たちPCO（Professional Congress Organizer）なのです。近年は人口減少等の対策として「MICE」を誘致・開催することによって交流人口を増やし、新しい産業として地域の活性化を図る取り組みが各地で行われています。環境、エネルギー、AI、医学・医療、スポーツ等さまざまなテーマの国際会議を支えることから、まちづくりや都市・地域の活性化にまで取り組んでいる私たちの仕事の魅力やエピソード（？）をお伝えしたいと思います。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>新型コロナウィルス感染拡大が連日大きく報道され、不要不急の外出が控えられる風潮の中、それでも40名の同窓生が集まった。配付物は無く、88面のスライドを見ながらの講演となった。講師の紹介者は82期の植村和文さん。2021年11月開業のMICE施設「出町メッセ長崎」を一例に事業内容が簡単に紹介された。&nbsp;</p>
<h2>01.コングレの紹介</h2>
<p>⑴設立の経緯と事業内容</p>
<p>・サントリー(株)役員秘書を経て、新聞の募集広告がきっかけで国際会議を運営する仕事に従事した。そののち自分たちで理想の会社を作ろうと1990年に有志が集まって(株)コングレを設立した。<br />
・「コングレ」とはフランス語で「会議」の意味。<br />
・会社の設立にあたってめざしたのは1)よい仕事をする2)いきいきとした社員の集合体を作る3)地域の国際化・活性化に貢献する、という3点。<br />
・業務内容は、①国際会議やイベントの誘致・企画・運営、②文化・集客施設<strong>、</strong>MICE施設（会議・展示施設）のコンサルティング・運営、③MICE施設をコアとするまちづくりへの参画、最近では④リスクを担う主催事業への取り組みと多岐にわたる。<br />
・この30年で「会議を運営」「施設を運営」する会社から、自ら「場を提供してプロデユース」する企業に成長した。<br />
・業務内容の事例紹介</p>
<p style="padding-left: 30px;">① 会議<br />
・国が主催する国際会議（G7伊勢志摩サミット、G20）<br />
・国際機関や国連機関が主催する国際会議（IMF世界銀行総会、アジア開発銀行総会）<br />
・学術的な国際会議（国際生産工学アカデミー総会）<br />
・医学系会議（日本医学会総会、国際眼科学会）</p>
<p style="padding-left: 30px;">② 施設<br />
・文化・集客施設（京都水族館、はまぎん こども宇宙科学館、六本木ヒルズ展望台）<br />
・MICE施設（JPタワーホール＆カンファレンス、コングレスクエア日本橋、名古屋国際会議場、名古屋市国際展示場（ポートメッセなごや））</p>
<p style="padding-left: 30px;">③ まちづくり<br />
大阪駅前のコングレコンベンションセンター、長崎駅前の出町メッセ長崎など</p>
<p style="padding-left: 30px;">④ 主催事業<br />
スポーツビジネスジャパン、ジャパン・ドローン</p>
<p>⑵事業の歩みについて(1990年～)<br />
・国内会議の仕事<br />
創業当時は医学系会議の運営がメインであった。</p>
<p>・スタッフ業務<br />
会議の運営スタッフには事前の研修と当日のオペレーションが必要。こうしたスタッフ運営のノウハウを、数日で終わる会議・イベントだけでなく、当時新設・改築された新しいコンセプトの集客施設に対して提供し、「本物のハードには本物のソフトを」をキャッチフレーズに、コンペを勝ち抜いて事業を展開していった。</p>
<p>事例１）博覧会・イベント（愛・地球博、上海万博、ミラノ万博、世界規模の大型スポーツイベント）<br />
事例2）文化・集客施設（1990年の海遊館から名古屋港水族館、六本木ヒルズ展望台東京シティービュー）</p>
<p>⑶事業の歩みについて（1990年代半ば～）<br />
・国際会議の運営<br />
日本国内で本格的な国際会議が多く開催され始めた頃で、次第に国際会議の事前準備や当日の運営だけでなく、国際会議の誘致・プロモーション活動・ロビー活動等のサポートも担うようになった。</p>
<p>⑷事業の歩みについて（2000年代～）<br />
・PPP、PFIの指定管理者事業（注１）<br />
小泉首相の「官から民へ」のスローガンのもと、郵政民営化をはじめとして、官の事業を民営化する政策が推進され、自治体が所有する「公の施設」の運営を民間企業が受託できるようになった（指定管理者制度）。これにより自治体が所有するMICE施設や文化・集客施設を運営するようになった。</p>
<p>・既存の施設運営だけでなく新たな施設の整備に際し基本構想や設計の段階からコンサルとして事業全体に関わるようになり、さらには自前のMICE施設を提供し、まちづくりそのものにかかわるようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>⑸事業の歩みについて（2013年～）<br />
テーマ・組織づくりから予算管理など自らリスクを負って行う主催事業に取り組んだ。</p>
<h2>02.PCO（Professional Congress Organizer＝国際会議運営専門会社）とは</h2>
<p>・政府系国際会議の場合、会議を運営しているのは各省庁の職員だけではない。PCOが陰でサポートしている。<br />
・PCOは霞が関用語でのロジ班（軍事用語ロジスティックス「兵站(へいたん)」から派生、いわゆる武器や食料の調達などを担当）と一緒に仕事をする事が多い。参加登録・宿泊登録・料理飲料・設宴・音響・同時通訳機材・映像機材・看板・展示・通訳要員・ボランティア・輸送・プレス対応の手配等<br />
・2016年伊勢志摩G7サミットでの首脳記念写真撮影などの事例をとりあげると、たった1枚の写真でも、絶対に撮り直しがきかないため、その裏での周到な準備や想定外の事態への臨機の対応などのエピソードもうまれる。</p>
<h2>03．MICE開催の意義と地域</h2>
<p>・MICE（マイス）とは下記の頭文字をとったもの。<br />
<strong>M</strong>eeting：企業ミーティング(海外投資家向け金融セミナー、グループ企業役員会議など)<br />
<strong>I</strong>ncentive travel:褒賞旅行・企業研修<br />
<strong>C</strong>onvention:国際団体、学会、協会が主催する総会・学術会議<br />
<strong>E</strong>xhibition/Event:展示会・見本市、文化・スポーツイベント</p>
<p>・MICEという用語は比較的新しいが、事業そのものの歴史としては1964年の東京オリンピックにまで遡る。1970年の大阪万博等の博覧会や、パシフィコ横浜など全国のMICE施設の建設もMICE事業に拍車をかけた。</p>
<p>・今話題のIR(統合型リゾート事業)においてもMICE施設を建設する事が事業の条件となっている。</p>
<p>(1) MICEを開催する事で、新しいビジネス機会が創出される。<br />
2017年沖縄コンベンションセンターでRoute Asia2017が開催された。世界中の航空業界から関係者が集まる展示会・商談会である。この展示会では必ず新たな路線の開拓につながるといわれており、世界の都市が熱心に誘致する。今回も開催地・沖縄とシンガポールの航空路線が新しく就航されることになった。</p>
<p>(2) 地域へ大きな経済効果をもたらす。<br />
・会議運営に関わる多種多様な仕事を地元の企業が担うこととなる。<br />
・2016年観光庁により算出された「日本国内で開催された国際MICE全体による経済波及効果」は総消費額5,384億円、経済波及効果は1兆590億円と推計された。<br />
・北海道洞爺湖サミットの経済波及効果は350億円。<br />
・伊勢志摩サミットの経済波及効果は1,070億円。</p>
<p>(3) 国・都市の競争力・ブランド力が向上する。<br />
・サミット会議の場合、国際メディアセンター（IMC）には世界から多くのメディア関係者が集まる（伊勢志摩サミットでは2500人以上）。IMCは会議の内容を発信するのが主な役割であるが、開催地の情報を発信する場でもある。IMCに日本の文化・最新の技術や製品を置くことで、開催国・開催都市の魅力が、報道やSNSの力で世界中に宣伝される。</p>
<p>・G20福岡では会議関係者・メディア向けに「福岡市・九州経済連合会主催歓迎レセプション」が会議に先立って開催された。福岡のソウルフード（お寿司・ラーメン）をふるまい、九州の伝統工芸品を実演作成して、福岡の魅力をアピールした。</p>
<p>(4) 人材育成・市民参画（ボランティア）による地域振興<br />
・2012年IMF世界銀行年次総会では、世界で活躍する若い人材を育てるために、ボランティアを学生に絞って募集。選ばれた300名が大型国際会議を舞台に大活躍であった。</p>
<p>(5) MICE業界についての海外での評価<br />
・日本ではまだあまりMICE業界について知られていないが、海外では高く評価されている分野である。先日、カナダのバンクーバーで国際PCO協会（IAPCO：International Association of PCO）の年次総会が開催され、世界中のPCOが集まった。参加人数は100名強で、小規模なミーティングだが、メンバーの一人一人が何千人・何万人もの国際会議を誘致・運営する役割を持っており、経済活動に大きな影響力を持つ。それを理解している世界の都市はこの総会を熱心に誘致し、開催を歓迎する。</p>
<p>・カナダでもこうしたMICEの重要性が理解されており、開会式ではトルドー首相のウェルカムビデオメッセージが届けられた。</p>
<h2>04．事例紹介(会議編)</h2>
<p>⑴福岡G20（2019年6月8・9日）財務大臣・中央銀行総裁会議</p>
<p>①福岡市の事前の取り組み<br />
・交通総量抑制広報キャンペーン<br />
世界のVIPが集まる国際会議中には警備の関係上交通規制がかかるため、市民に協力を求めるとともに、これを機会に公共交通機関を積極的に使うキャンペーンを展開した。</p>
<p>・キャッシュレスFUKUOKA<br />
今回の会議の議題のひとつであるキャッシュレスビジネスをとりあげ 〇〇Payなどのキャッシュレス実証実験を実施した。</p>
<p>②財務省主催の会議期間中の取り組み（地元関連事業）<br />
夕食会の会場で、G20閣僚らに対し、福岡の地元高校生の英語による提言が行われた。</p>
<p>③福岡市の事後の取り組み<br />
・子供会場見学会<br />
G20福岡会議閉幕後、地元の小学生に実際の会議場を見学してもらった。会場の雰囲気を経験することで将来の国際的な人材を育てるのが目的。</p>
<p>⑵軽井沢G20(2019年6月15・16日)<br />
「持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合」ではテーマである環境に配慮した取り組みをいろいろ行った。</p>
<p>・プレゼンテーション映像を映す参加者の前のモニターはLEDを利用した。休憩時間等には日本の四季の美しい映像を動画で投影し、好評を得た。<br />
・資料を配布する代わりにタブレット端末を配布し、ペーパーレスにつとめた。<br />
・ネームカードのケースを海洋プラスチックごみにならない樹脂で作成した。<br />
・ペットボトル飲料の代わりに、ガラス瓶の飲料を用意した。このガラス瓶には手で空けられる王冠を特注した。</p>
<h2>05．事例紹介（施設編）～名古屋国際会議場（NCC）～</h2>
<p>名古屋市から指定管理者として選ばれ、運営を始めて3期目になる（活動して10年以上）<br />
名古屋市が力を入れている6つのキーワード（デザイン、環境、ポップカルチャー、歴史(熱田地区)、医療と健康、吹奏楽）を軸に運営している。</p>
<p>(1) 吹奏楽<br />
・東日本大震災を機に全日本吹奏楽コンクール（吹奏楽の甲子園と言われる）を、NCCに誘致する事に成功した。今では名古屋市が吹奏楽のメッカとまで言われるようになった。<br />
・地元の高校生による吹奏楽コンサートを毎年実施している。<br />
・今年は一万人の吹奏楽フェスティバルを実施。<br />
・障害者・乳幼児の家族向けにクラシックコンサートを実施している。</p>
<p>(2) ポップカルチャー<br />
・吹奏楽に青春をかける高校生を描いたヒットアニメーション「響け！ユーフォニアム」の舞台としてNCCが描かれた縁で、アニメーションの上映会を行った。<br />
・アニメの舞台をまわる「聖地巡礼ツアー」も実施、ツアーに参加者した多くのアニメファンがSNSで名古屋の情報を発信した。</p>
<p>(3) デザイン<br />
名古屋工業大学と連携して施設のデザインを向上させ、日本サインデザイン協会のSDA賞を受賞した。</p>
<h2>06．事例紹介（主催事業編）</h2>
<p>スポーツビジネスジャパン2019（さいたまスーパーアリーナ）でSDGs（注２）に取り組んだ。</p>
<p>(1) スポーツ＆SDGsのセッション（NPO法人『Being ALIVE Japan』）<br />
病気で長期療養している子供がプロスポーツチームのメンバーとして参加・活動することによって青春と自立を支援する取り組みを発表した。</p>
<p>(2) 環境への取り組み<br />
・会場に無料ウォーターサーバーを設置。タンブラーも配布し、ペットボトル飲料のごみを減らした。<br />
・参加受付に顔認証システムを導入した（IT活用）。<br />
・会場であるさいたま市のフードバンクを紹介した（フードロスへの取り組み）。</p>
<p>(3) 展示</p>
<p>ブースごとに取り組んでいるSDGｓの17の目標を紹介し、SNSで発信した。</p>
<h2>07．おわりに</h2>
<p>人が集まるところに町が発展する例として、これまでは、神社・仏閣の前に門前町、お城を中心に城下町があった。現代ではMICE施設や大学が中心となって人の交流が始まり、町が出来て経済活動が行われるようになる。新しくハコモノを建設しなくても、公園や廃校など既存のものを利用しても、人が集まる仕組は出来る。東京オリンピック2020の施設もレガシーとして将来、人の集まる施設になってゆくことが期待される。</p>
<p>SNSなど便利なツールを利用するようになっても最終的には人と人が顔を会わせて直接交流する事が重要である。</p>
<p>そうした「場」を今後もつくっていきたい。</p>
<h2>08．質疑応答</h2>
<p>質問）今日は場を作る仕事を中心に、参加する人がワクワクするような、楽しいアイデアに富んだ実例を沢山見せて頂きました。そのアイデアの源は何でしょうか？</p>
<p>回答）社員だけで全てのアイデアを出すのは限界があります。クライアントさんの要望からアイデアを貰ったりしますし、ネットワークのあるいろいろな分野の専門家にも相談します。国際的な交流の場で目にする海外の事例もヒントになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><em>＊注1＊<br />
PFI(Private Finance Initiative)とは公共施設の整備に民間の資金や技術力・経営能力を活用する手法、PPP(Public Private Partnership)とは行政と民間が協力して公共サービスを効率的に運用する事。PFIは行政が計画を作ったうえで実施する民間企業を募集するのに対して、PPPは企画・計画段階から民間企業が加わり、民間の独自のノウハウでより効率的な運営を目指す。厳しい財政状況の中で民間資金の活用を拡大するねらいもある。(コトバンクより抜粋)</em></p>
<p><em>＊注２＊<br />
SDGs（エスディージーズ）とは持続可能な開発目標。17のグローバル目標（ゴール）と169の達成基準（ターゲット）からなる国連の持続可能な開発目標。2030年に達成する事に向けた具体的行動指針。（ウィキペディアより抜粋）</em></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>【Ⅶ章記録：野田美佳（９４期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>なし</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【第205回】1月「中小企業を取り巻く事業承継・Ｍ＆Ａの最新動向」</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 06:43:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2020年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5053</guid>
		<description><![CDATA[中村　亨さん＠99期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2020年1月15日（水）11時30分～14時</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>銀座ライオン７丁目店６階「ライオン銀座クラシックホール」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>57名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>中村　亨さん＠99期（日本クレアス税理士法人グループ代表）<br />
<address style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">★主要な経歴★<br />
1987年　大阪府立北野高校卒業（99期／バスケットボール部）<br />
1993年　早稲田大学政治経済学部卒業<br />
1993年　公認会計士２次試験合格／監査法人トーマツ入社<br />
2002年　中村公認会計士事務所設立<br />
（その後日本クレアス税理士法人、㈱コーポレート・アドバイザーズに組織改編し、代表を務める）</p>
<p style="padding-left: 30px;">★問い合わせ先★<br />
<a href="mailto:t.nakamura@j-creas.com">t.nakamura@j-creas.com</a></p>
<p style="padding-left: 30px;">★肩書★<br />
日本クレアス税理士法人グループ代表（略称）</p>
<p style="padding-left: 30px;">　詳細は以下になります</p>
<p style="padding-left: 60px;">日本クレアス税理士法人　　代表社員<br />
(株)日本クレアス財産サポート　代表取締役<br />
(株)コーポレート・アドバイザーズ・アカウンティング　代表取締役<br />
(株)コ－ポレート・アドバイザーズＭ＆Ａ　代表取締役</p>
<p style="padding-left: 30px;">★日本クレアス税理士法人グループの概要★<br />
✔　2002年創業<br />
✔　本社所在地／　東京都千代田区霞が関3-2-5　霞が関ビルディング33Ｆ<br />
✔　サービスエリア／東京、千葉、横浜、大阪<br />
✔　グループ役職員数／　210名（うち公認会計士、税理士、社会保険労務士が55名在籍）<br />
✔　税理士法人を中核とする会計・税務・Ｍ＆Ａ、事業承継、ＦＡＳ、ＩＦＲＳ、Ｊ－ＳＯＸ、労務等</p>
<p style="padding-left: 30px;">を中心にサービス展開する独立系会計事務所グループ</p>
<p style="padding-left: 30px;">✔　顧客数／　約2300（内訳　／　法人1300社（うち上場企業80社）／個人　500名／クリニック等（医療法人、介護施設含む）500）</p>
</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>中小企業を取り巻く事業承継・M6Aの最新動向</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>「全国の社長（経営者）の平均年齢は徐々に上昇し、最近のデータでは61歳を超えております。<br />
また、休廃業・解散した企業の社長の平均年齢は70歳に迫っています。<br />
中小企業への支援策などで「倒産」は抑制されているようですが、社長の高齢化や後継者難などにより「休廃業・解散」を選択せざるを得ない企業は高水準で推移しており、日本経済全体の問題としても、いわゆる事業承継問題は待ったなしの状況です。<br />
この状況を打開するための、近年、中小企業の事業承継問題の解決策としてM&amp;Aの活用が進んでいます。<br />
また、「人生１００年時代」といわれるようになり、経営者の中にも早い段階（若いうちに）で、Ｍ＆Ａにより会社を売却し、「第２の人生」、或いは「2度目の創業」を模索する経営者が増加してきています。<br />
買い手サイドも売り手サイドも様々な理由で行われる「Ｍ＆Ａ」。<br />
「存続のため」或いは「成長のため」に活用されるＭ＆Ａは、今やまさにそれ自体が経営戦略であるといえる時代に突入しました。今回の講演では、中小企業の事業承継問題の現状を確認しつつ、買い手と売り手それぞれの立場からみたM&amp;A検討時の留意点や最新動向についてお話しします。」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>パワーポイント（PPT）を使って講演したが、その配布資料はなかった。講演後、そのファイルを中村さんから受領したのでこの講演記録ではPPTの内容も用いた。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>講演に先立ち同期の方から中村さんの紹介があった。中村さんはバスケット部で活躍されていたようで、多くの同級生部員も講演に参加していた。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>自己紹介があり、自身は父親の転勤で大阪、名古屋、東京と転居した。高校時代の背景としてグリコ森永事件やJAL御巣鷹山墜落などの暗い事件があったとのこと。中村さんは、早稲田大学から1993年に監査法人トーマツに入社、2002年　中村公認会計事務所設立し、現在日本クレアス税理士法人他4社で、社員数は2019年末で222名、会計・税務、M&amp;A、相続税対応そして中小企業の事業承継、内部統制・内部監査、ハラスメント対応等を事業内容とするグループ法人の代表である。これまでと同じ仕事では生き残れない時代となっており、新しい税理士、会計士の在り方を模索する会社として、エコノミスト誌にも何度か取り上げられた。現在35,000社あると言われている会計事務所の中で20番目ぐらいにランクされている。</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>日本M&amp;Aリビュー誌によると、クレアスグループは累計成約数120件超、株価算定・買収監査の支援累計800件超に実績をもとに、この分野の業界では17位の位置にある。これは、以下の3点から可能となったと考えている。</p>
<ul>
<li>会計事務所のグループの中で、成約前、成約後の総合的なサービスが提供できる</li>
<li>上記の実績に基づく情報力が豊富</li>
<li>潜在的な譲渡企業を開拓するM&amp;Aマーケティングチームの卓越した交渉力</li>
</ul>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>会社倍局は、M&amp;A前半、後半で以下の流れとなる。PPTからコピー<br />
<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/01/画像1.png"><img class="alignleft size-medium wp-image-5237" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/01/画像1-300x225.png" alt="画像1" width="300" height="225" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>++-++-++-++-++</p>
<p>M&amp;Aの最新動向の総論―売り手視点</p>
<p>1　一般論</p>
<p>・日本では財閥解体の経緯があり、持株会社が許されていなかった。このことがM&amp;A を行う上でのネックになっていた。そして、M&amp;Aと言えば銀行をはじめとした合併がと思われていた。その後企業再編税制などの法整備の充実で一般化したが、友好的なものが多い。</p>
<p>・1990年代はバブル崩壊に伴う救済型M＆Aがほとんどであった。2000年ITバブルの崩壊でソフトバンク、ヤフーと言ったメガベンチャーが登場し、M&amp;Aが盛んとなる。そして事業承継難の時代となり中小企業でも普及し始める。</p>
<p>・以前は中小企業の社長には会社を売るという発想は全くなく、M&amp;Aを提案しても、「馬鹿野郎、ふざけるな！」の時代であった。しかし現在は、会社を売るという話題となっても、社長は、「いくらで売れる」という質問をするようになり、意識の変化が出てきている。</p>
<p>・創業社長の後継ぎがいない、あるいはいたとしても継がせない時代になりつつある。そして過去の買い手が売り手になってきている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2　中層企業のM&amp;Aの現実</p>
<p>・なかなか売れない。つまり、いい会社が適正価格で売りに出ていれば買いたいという希望はあるが、これはというほしいという会社が少ない。</p>
<p>・M&amp;A は 買い手市場であり、かつ「いい会社」は売却を打診しても、応じない。業績が良いのだから当たり前。</p>
<p>・中小企業の売却は難しい</p>
<p style="padding-left: 30px;">A.儲ける仕組みが弱い</p>
<p style="padding-left: 30px;">B.社長の影響力が大でいなくなると会社がまわらない</p>
<p style="padding-left: 30px;">C.規模が小さい－大企業にとっては買収のメリットがない、中小企業にとっては人材難で買収しても手が回らない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">D.日本には中小企業が19％近くあり、アメリカの10％、ドイツの11％と比べると倍近く多い。これは国全体の生産性の低さを語っている。その19％を占める中小企業380万社の経営者のうち70歳超の245万が継承問題で廃業となると、2025年には雇用650万人、GDP22兆円が消える恐れがある。</p>
<p style="padding-left: 30px;">E.親族内承継や親族外承継（古参幹部や若手社員）もM&amp;A以外の選択肢であるが、以前は株式の承継が問題であった。第三者を含めて無税、無償譲渡で利用しやすくなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3　M&amp;A成功のポイント</p>
<p>・タイミング－承継は若いほうが良い、そして業績が良いとき。早く（例えば30代）承継したほど、5年後の業績は上がる。逆に遅い(50代)承継は、5年後の業績が下がる傾向にある。</p>
<p>・M&amp;Aに当たって優先順位を明確にし、大きな条件を付けない－例えば、従業員の雇用、社名、自らの処遇、価格など</p>
<p>・情報のコントロール―秘密裏に事を進める。売却を知った社員の反対で破談となるケースが多い。社員は一般に変化を嫌がる。最低6ヶ月、1年くらいは秘密にしていること。しかし、これが日本の経営者にはなかなかできない。</p>
<p>・情報開示―隠し事はだめ：不良債権、労使トラブル、派閥、大きなクレーム等</p>
<p>・株主の事前整理。例として京都の酒造会社を例に出した。100年前は200社あった醸造会社が、今は20社。しかしそのほとんどは、内輪もめにより、会社幹部、親戚の株主間で裁判沙汰になっている。こういったことを整理しないと、売るに売れない。</p>
<p>・会社の企業価値を念頭に置いた経営：価値がある会社、社長が不在でも回る、特徴がある、一社依存の体質ではない、環境変化に対応できる等の長所を多くを持つこと</p>
<p>・良いM&amp;Aアドバイザーを選ぶ。そしてその報酬を十分に理解する。500万円から1000万円。これをケチってはいけない。というのは長期間秘密裏に事をはこぶ必要が有り、大きくても小さくてもM&amp;Aは手間がかかることを理解してほしい。</p>
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<p>各論－主に買い手視点</p>
<p>1　成功のポイント</p>
<p>・M＆Aの結果:日本企業による海外M&amp;Aの失敗と成功</p>
<p style="padding-left: 30px;">A.成功―37％　目的は既存事業の補完</p>
<p style="padding-left: 30px;">B.失敗―21％　目的は新規事業への参入</p>
<p style="padding-left: 30px;">C.どちらともいえない－42％</p>
<p>・PMIの検討時期について、「買収初期のジューデリジェンス（DD）以前」と答えた会社の67％が成功、すなわちDD以前からPMIをきちんと行った企業の67％は成功している。ちなみに、DD とは、Due Diligenceのことで、相当な注意・配慮といった英語の意味であるが、経済用語として「企業の経営状態、業績の適性評価」としてよく用いられる。またPMI とは、Post Merger Integration の略語で、M&amp;A成立後の統合プロセスのことで、企業文化の異なる会社の統合につき、M&amp;A後の重要な要素である。</p>
<p>M&amp;A を成功に導くには、PMIの検討を早めに始めることが肝要で、これによりシナジー、M&amp;Aによる相乗効果を極力高めることができる。</p>
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<p>2　M&amp;Aの失敗の原因－一般的にM&amp;Aの成功確率は低い。なぜか？</p>
<p>・買うべきでない会社を買う－M&amp;Aが目的になってはいけない。どういう価値が創造できるか見極めることが重要</p>
<p>・高値買収―無理なシナジーを織り込んで、PMIに大きな負担を掛ける。価格は3年分の営業利益3年分。つまり3年で元を取れるようにする。</p>
<p>・PMI で失敗―両社をうまく統合できずに、シナジーが期待できない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3　M&amp;A事前と事後於ける戦略の建て方が重要</p>
<p>・どのように会社を買うか－紹介型と仕掛け型がある。それぞれメリット、デメリットがあるので、これを考慮したうえで、M&amp;Aの準備にかかる。</p>
<p>・どんな会社を買うか－サービス、製品、商品に応じて売上シナジー、コストシナジーを考慮する。多くのチェック項目があり、どういうシナジーが期待できるか検討するとともに、一朝一夕ではシナジーは出ないことも十分に理解する。このために小さなM&amp;Aから始めて、十分そのプロセスに精通しておく。</p>
<p>・価格－シナジーはボーナスと認識する方が良い。時間、コスト、人材の3つが必要となる。また、一般にM&amp;Aの買収金額に目が行きがちだが、「買ってからのコスト」についても十分配慮する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>4　どう経営するかーPMIの留意点</p>
<p>・ライザップ・グループ中にジーンズメイトという企業がある。この会社を買収して経営するとき、ライザップはユニクロの店舗開発の責任者を数名ヘッドハントして、この経営にあたらせたという。このように買った後に、どれくらいの投資をするか、どういう人材を充てるかを考えないといけない。</p>
<p>・乗り越えねばならないハードル</p>
<p style="padding-left: 30px;">A.ハード面：業務のやりかたシステム</p>
<p style="padding-left: 30px;">B.ソフト面：意識、気持ち、企業文化</p>
<p>・買収後にほったらかしておいてもいけないし、過剰に口出ししてもいけない。その見極め。</p>
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<p>最近の傾向：若くして会社を売る人の増加。新しいスタイルとしての成長戦略型</p>
<p>1    オーナーエグジットの若年化</p>
<p>・昔は70歳で会社を手放す人が多かったが、現在は40歳で手放す人が増えてきている。これは譲渡先を自分で決めるという意識、業界動向の把握、成長期に売って世代交代後企業の大型化を図らせる。</p>
<p>・人生100歳の現代、40歳、50歳で会社を手放して、大手に身売りし、経営はそのままの陣容で続けるという若手サラリーマン社長が増えてきている。</p>
<p>・また会社を手放して、若いうちに新たな人生に向けて別の道に進む人も増えてきている。若いので将来に対して余力を持って臨むことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2　投資ファンド</p>
<p>・事業会社がM&amp;Aする代わりに投資ファンドが買収する。</p>
<p>・独立色の確保や事業価値のアップには貢献するが、シナジー効果、人材、インフラなどが投資ファンドにはないので、それが課題。</p>
<p>・将来の株主変更の問題もある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3　オープンプラットフフォーム型</p>
<p>Web によりマッチング業者の登場。どこそこの店、レストラン等売りますというオープン型の譲渡提示。売り物としては小さなものが多いが、M&amp;Aには多大な費用が掛かるので、これを解決する手立てとはなる。</p>
<p><strong> </strong></p>
<p>8．まとめ</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/01/画像2.png"><img class="alignleft size-medium wp-image-5238" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2020/01/画像2-300x225.png" alt="画像2" width="300" height="225" /></a></p>
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<p>【記録:多賀正義（76期）】</td>
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<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>配布資料はなかったが、講演委使ったパワーポイントのⅤ.演題　中小企業を取り巻く事業承継・M6Aの最新動向　と同じタイトルのファイルを中村さんより受領した。<br />
<a href="六稜東京会2020年1月15日(99期中村）final.pdf" target="_blank">六稜東京会2020年1月15日(99期中村）final.pdf</a>(1.5MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
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