六稜トークリレー【第38回】 reporter:立野和彦(71期)

「迫り来る大地震に備えて」宗田奎二さん@71期

当時、枚方市の築20年を過ぎた15階建のマンションの10階部分に住んでおりましたが、あの時、平成7年1月17日5時過ぎ、ガタッという音に目が覚 め、地震と直感し、隣室の家内に「地震や」と大声で知らせ、起き上がって壁のスイッチに手探りで手を伸ばそうとした瞬間、布団の上に叩きつけられていまし た。そのまま、腹ばいのまま、感じとしては3メートル以上も左右に振られ、何も出来ず、ただしがみついたまま数十秒(長かった)揺られました。私は、これ はこのまま倒れると覚悟し、家内と、北の部屋に寝ている次男とは一緒に死ねるが、中国に語学留学させている長男を一人残して行くのが不憫だと思いました。 その記憶がまざまざと呼び帰って来ました。

結果、マンションは、宗田君も言っていた、棟の繋ぎ部分にヒビが入っただけで、家の中も、揺れた方角が良かったらしく、食器棚も倒れず、タンスの上の人 形ケースが落ちて壊れただけでした。しかし、枚方市の樟葉でこれですから、もし神戸に住まいしていたら、と思うとゾーッとし、早速業者に頼み、家具を全て コンクリート壁に打ち付けてもらい、非常時の持ち出し用リュックを購入したものでした。

あれから12年、あの日、あくる日、テレビに中継された目の前の悲惨な光景は、みんなの記憶から遠ざかって行きました。私も昨年4月、5階建のマンショ ンの3階に引っ越すことが出来、一安心ですが、その引越し荷物の中に10年余り見たことのない持ち出し用リュックがありました。買ったまま、押入れの奥に 転がっていたのです。今回、こうして喚起していただいたのを機に、中身の再点検をし、入れ替えならびに補充をしなければならないと思っております。

天下のスーパーゼネコン竹中工務店の常務取締役を歴任し、今も顧問として残り、業界の要職を幾多こなす宗田奎二君は我々の誇りでもあります。そのお人柄 は、とてもエリートビジネスマンとしての感じではなく、控えめで、穏やかで、庶民的なのですが、そのトークぶりは、正にそのような雰囲気で、軽妙な語り口 の中にユーモア溢れ、聞く人を惹きつけずにはおきませんでした。

面白いお話としては、

  1. 1995年(阪神大震災)頃を境として、それ以前数十年は地震の不活発期であって、それ以降活動期に入り数十年は続くとのこと、私たち(66歳)も存命中も一度ぐらい大地震に遭遇するかも。それが南海地震でしょうか。
  2. 地震予知の研究で、p波を検知して、新幹線に地震が来ることを5秒前に知らせることを実現すべく真剣に取り組んでいる。
  3. 日本の五重塔は、古来地震で倒れたということをほとんど聞かない。

等がありました。

我々71期で、も一人自慢出来る仲間がいました。“いました”というのはこの2月1日に癌で亡くなったのです。関西医科大学々長だった日置紘士郎君で す。この日置君と2月3日にトークした宗田君とは、実社会での親密なお付き合いが長く、この二人無くして、関西医科大学附属枚方病院の完成を語ることは出 来ません。その辺の状況は、六稜ニュース(2005.12.10)で98期の谷君がレポートしてくれています。
3月4日(日)に大学葬が行われることが決定したそうです。どうか、71期の皆様、特に運動部(日置君はラグビー部)の方々は出向いて追悼して上げて下さい。申し訳ありませんがこの場を借りてお願いいたします。
Last Update: Feb.9,2007

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