六稜トークリレー【第35回】 reporter:佐野裕一(91期)

「医学の進歩に伴う昔の常識、今は非常識
~外科医としての20年を振り返って」黄泰平さん@91期

【はじめに、野球部時代の思い出を交えながら講師紹介】
ジーやん(選抜優勝の清水治一監督)の下での厳しい練習で同期15名中最後まで残ったのは我々含め7名のみ。水を飲ませてもらえず、黄君は耐えかねて色々 と知恵を巡らす。家でタオルに水を含ませたものを凍らせてビニール袋に入れて外野奥の木の陰に隠しておき、外野を抜けたボールを追っかけて行った時に チューチューとタオルを吸って生き延びた。浪商の牛島(横浜監督)-ドカベン香川のバッテリーと定期戦で三度対戦するがバットにかすらず。また、PL学園 (夏の甲子園優勝チーム)の木戸(阪神2軍監督)のセンターへの痛烈なライナーに前進したあと万歳して頭を越された無様な姿が今でも目に浮かぶ。それでも 最後の夏の試合では4番レフトを任された努力と根性の男。

  1. 身近なところの昔の常識今は非常識
    ・スポーツ中に水分を摂取すると疲れる。(水分は十分にとらないと熱中症になってしまいます。)
    ・ピッチャーは肩をひやしてはいけないので水泳はさけろ!(いまでは投球後すぐアイシングしている。)
    ・傷は水にぬらさず、毎日ちゃんと消毒しないといけない。(消毒は傷を治そうとする自分の細胞にも障害をあたえ、治りを悪くするので、傷にはしないほうがいい、きれいな水でよくあらいラップなどの保護材をはるのがよい。)
    ・医者はもうかる。(保険医療破綻の抑制政策のため、ごく一部の開業医などだけしかもうからない。)
  2. 外科医20年の履歴(転勤ばかりしている)
    1979.3 北野高校卒(野球部)
    1985.3 阪大医学部卒(卓球部)
    心臓外科医をめざす
    1985.7 阪大医学部第一外科研修医、入局
    1986.7 大阪労災病院外科
    1988.7 大阪府立母子保健センター心臓外科レジデント
    志望を消化器一般外科に転向
    1989.7 市立泉佐野病院外科外科
    1993.1 阪大医学部第一外科研究生
    1994.4 阪大医学部第一外科研究生兼ガラシア病院非常勤
    1996.4 大阪府立病院消化器外科
    1997.4 阪大医学部第一外科研究生
    1997.6 大阪厚生年金病院外科
    2004.3 ガラシア病院リハビリ科
    2005.4 市立芦屋病院外科
    2006.8 日生病院外科
  3. 外科医をめざしたきっかけ
    父のことば「銀行と病院はつぶれることはない」(←いまではこれも非常識)。
    高校時代に友人から借りてよんだ本『外科の夜明け』(トールワルド著)に感銘(外科手術は痛いもの、危険なものから麻酔、見えない敵、感染症とのたたかいなど)。
    病院の技術職の極みとして外科医になろうと思う。
  4. 遍歴
    [1]大学時代から研修医時代(1985-1986)
    第一外科教授 川島先生にあこがれ大阪大学医学部第一外科に入局、心臓外科医をめざす。病院に毎日とまりこみ、睡眠4時間程度、一週間に一度程度の帰宅。 世間から隔絶された研修医生活。これはこの時代のあたりまえであったが、いまでは非常識。現在の研修医、勤務は定時まで、当直は義務でない。

    [2]大阪労災病院研修中(1986-1988)
    病院の官舎に住みこむ、夜11時ごろには病院のソファーでなく、部屋で眠ることを許される幸せを感じる。しかし、昼食も食べる時間がないほどの激務であっ た。週末も映画1本見るあいだにポケベルがならないことはなかった。一年もたつと研修生活にもなれる。伝統であったが最近の先輩たちが成し遂げる機会があ たえられなかった。卒業試験として胃全摘手術を執刀。

    [3]大阪府立母子センター時代(1988-1989)
    心臓外科医をめざすため、循環器病センターレジデントの試験をうけるが、(人生で初めて)不合格(2年に1人しか採用しないことになっていたが、採用のな い年に受験させられた)。大阪府立母子センターの心臓外科レジデントとなる。官舎に住むが、月に10日は病院に泊り込む生活。
    治療で難渋した気管気管支軟化症の症例で文献をしらべ、CPAP治療を推奨するも上司に却下される。しかし最終的には採用されうまくいく。黄のCPAPと 院内で言われる。学会、論文発表する。人のおもいこみ常識と思っていることが間違っていることがある。ガリレオの考えは身近にある。
    施設の特殊性で、新生児の複雑心奇形と厳しい症例が多く、残念な結果があり、心臓外科への道を断念。消化器一般外科医を志望。

    [4]市立泉佐野病院時代(1989-1992)
    また病院の官舎に住む。担当する症例のほとんどを執刀させていただき、外科医としての喜び、やりがいを最も感じた時代。外科医こそわたしの天職、聖職であると自負していた。
    患者さんたちも、医者に疑いをあまりもたず、率直に信頼、感謝を表現してくれた。(しかし、今でははじめからセカンドオピニオン、結果が気に入らないとすぐ医療ミスだといってくる)
    このころのわたしは頼もしく見えたのか、1992.6妻と結婚する。

    [5]大学研究時代(1)(1993)
    無給、年間40万近い研究生費を大学に払い、病院で病棟の仕事を与えられる。これはこのころはあたりまえ。大学病院は若い医師のボランティアでなりたって いた。生活費かせぎは、救急病院の当直を月に8回ぐらいしないと生活できない。ちなみに当直料は6-7万が相場でした。物価はあがるが、当直料は 30-40年かわっていない。大昔は月に4回の当直で生活できたので、大学病院は若い医者のボランティアでなりたっていたのでしょう。今も当直料はあがっ ていません、しかし、無給の研究生は病棟勤務できないので、非常勤医師の待遇になっている

    [6]大学研究時代(2)(1994-1996)
    病棟勤務が終わり、研究生活。ガラシア病院非常勤で収入安定。
    臨床上苦労した感染症時のショックの治療に興味をもつ。
    血圧低下は大量に産生されるNO(一酸化窒素)が原因、NOをブロックすると治療につながる(Kilbourn RG et al J Natl Cancer Inst 1992)。
    ラットで実験してみるが、NOが産生されても低血圧ショックにならない、NOをブロックするとむしろ肝障害が増悪する。治療には使えない。
    研究論文はデーターを自分の考えをいれて考察するので結果の解釈は真実かどうかわからない(事実と真実は違う)ということにきずく。
    学位論文「Role of Nitric Oxide in Oxygen Transport in Rat Liver Sinusoids During Endotoxemia : HEPATOLOGY 1997」

    [7]大阪府立病院時代(1996-1997)
    食道がん、すい臓がんなどの高度な技術の手術にとりくむ。
    手縫い吻合から自動吻合器の普及
    …深部の吻合が安全になる、胃全摘手術の吻合再建、直腸がん手術の吻合が安全になる。
    腹腔鏡下胆嚢摘出術の普及
    …マジックのような腹腔鏡手術のはじまり。
    がんの告知、末期医療の問題
    …告知しないのが常識から告知するのが常識の時代への過渡期の苦悩、大病院では末期患者をうけいれるベッドがない。

    [8]大阪厚生年金病院時代(1)(1997-2003)
    早期離床(術後1日目からの歩行訓練、胃管の抜去)
    術後鎮痛に対する硬膜外麻酔などによる進歩普及
    院内感染、抗生剤の選択、短期投与
    腹腔鏡手術の進歩、胆摘から潰瘍穿孔手術、大腸切除、胃切除、その他への応用
    乳腺専門の外科医の登場(乳房温存療法)
    患者の自己決定権、インフォームドコンセントの問題。
    がんの病状告知が常識になる。

    しかし、時代はかわっていった…

    インフォームドコンセント、情報の氾濫、セカンドオピニオン。
    医師は手術の技術の心配より正しい情報を選択させる説明技術に苦慮するようになる。
    日常のようにマスコミによる医療ミス報道。医療訴訟の増加。
    あらゆる医療行為が承諾書(検査、輸血、血液製剤、中心静脈カテーテル挿入など)、書類だらけになる。 将来くすりの投与も長いくすりの添付文書の説明、承諾書のいる時代が来る懸念。
    保険医療の破綻にたいして厳しい政策のはじまり。
    平均在院日数による入院医療費のランクづけ。
    急性期病院と療養型病院。
    ベッド数100床近くの小病院では急性期病院では経営がなりたたないため療養型病院になる。 急性期病院の負担増、医師の定員は増えず、むしろ専門分化し減員、負担増。
    個人的にはラテックスアレルギーの悪化、外科の一線を一旦退く。

    [9]ガラシア病院リハビリ科時代(2004-2005)
    外科への復帰を期し、アレルギーの治療に専念。
    リハビリは嚥下のリハビリに興味をしめし、すこし勉強する。
    ホスピスなど末期医療との出会い。
    医療制度は亜急性病床というものまで出現させた。
    北野高校の職業ガイダンスの依頼。20年ぶりに母校に。

    [10]市立芦屋病院時代(2005-2006)
    外科医としての復帰
    新しい創傷管理の導入
    …昔の常識毎日のイソジン消毒から消毒は手術開始前だけおこない、術後はしない。術後3日目からはガーゼもあてない。 腫瘍内科医との出会い
    …昔は抗がん剤は副作用で寿命をちじめる。今は副作用対策を行い、有効な抗がん剤を十分に投与し効果をだす技術。 緩和医療チームの発足
    …モルヒネは使い出したらもうダメから早期に使い痛みのない生活はむしろ延命する。
    NST(栄養サポートチーム)の発足
    …高齢者の誤嚥性肺炎の予防に対する摂食訓練、評価。

    外科術後治療の常識の変化

    現在
    手術創 毎日消毒 消毒しない。
    術後抗生剤 5-7日 清潔野 0 または 1回
    腸切除など 3日
    創痛 傷は痛いもの、坐剤、ペンタジン注 硬膜外麻酔などで除痛
    離床 3日はベッド上安静
    胃管は排ガスまで
    術翌日から歩行
    胃管はオペ室または翌日抜去

    治療術式の変化

    現在
    乳癌 定型的乳房切除 乳房温存手術
    鼠径ヘルニア Bassini法 メッシュ手術
    (Mesh Plug, PHS)
    胆石 開腹胆摘 腹腔鏡下胆摘
    肝癌 肝切除、TAE ラジオ波焼灼、
    PEIT、TAE、肝切除
    食道静脈瘤 食道離断術 内科的内視鏡治療(
    EIS、EVL)
    胃、十二指腸潰瘍 幽門側胃切 内科治療
    (H2 Blocker、 PPI)
    潰瘍穿孔
    胃、腸切除
    幽門側胃切
    開腹、手縫い吻合再建
    腹腔鏡下大網被覆術+内科治療
    自動吻合器の利用、腹腔鏡の利用
  5. 医療制度と医療現場の現況
    小泉改革 2006.4医療改定概要
    全体としてマイナス3.16%の大幅引き下げ
    「急性期病院」(平均在院日数、入院期間による入院基本料の違い、最高1983点から最低1382点)
    「療養型病院」(ADL区分と医療区分による入院基本料の違い、最高1740点から最低764点、包括)の2分化

    2012年、療養型病院廃止に向けた動き(つまり小病院にはつぶれていただく。病院でなく「老人保健施設」等に転換)。※昔、父の言っていた「病院はつぶれない」が非常識になってしまった。

    「亜急性病床」…在院日数に算定しない、90日限度、在宅にもどる下準備、2050点、手術、リハビリなど以外は包括。
    この辺が理解できれば、病院から「ここでの治療は終わった」と言わる=病院から追い出される、というクレームはなくなる。

    出来高払いと包括払い
    出来高払いといえども保険医療には厳しいしばり、認めてくれなければ医療費は過剰診療として支払われない。 (例:がんを発見する目的でCEAは測れません。)
    急性期病院にも包括払い(DPC対象病院)
    ホスピス病棟(3780点)は療養型病床と同じ包括払い

    新研修医制度の問題点
    卒後2年いろんな科を研修医としてまわる、3年目に志望の科に専任となる。医師としての一般的素養を学ぶ?
    医療先進国の日本の国民は専門医に治療してもらいたと考えている。医療は進歩が激しい、昔の常識今は非常識になる。研修医のころの知識で10年後に医療行為は行えない。

    大学医局制度の破壊
    医局統合により、白い巨塔などもうない。新研修医制度で医局員不足。なかなか研修医でない若い医師が病院に派遣されない。中堅医師が失望し開業ラッシュ(しかし開業医もくるしい)。
    勤務医不足。欠員は地方の小児科、産婦人科だけではない。都会の内科医、外科医も不足している。

    日本の医療制度のイギリス化(抑制政策)
    ↓財政的圧力
    病院、医療従事者
    ↑精神的圧力
    国民の医療に対する認識の米国化
    (先進医療および医療過誤のかたよった報道、医療訴訟の増加)

  6. 医療制度と医療現場の将来の危惧
    10-20年後には、大病院と診療所だけになる。
    フットワークのよい私立系病院は発展するが経営効率のよくない科は敬遠される。フットワークのにぶく、給与カットなどでのびにくい公立病院は一部の専門病院を除いて縮小する。
    大病院もリスクの高い科(外科、産科、小児科など)の医師の確保に難渋する。皮膚科や耳鼻咽喉科や整形外科ばかりが増える。
    米国のように保険にランクがつき、お金持ちは高い保険料を払い、私立系病院で高度な医療をうける。貧乏人は公立病院で必要最小限の医療を待ってうける。
    こうならないためには、国民が医療制度、医療現場を正しく理解することから始まる。
  7. ビデオ上映
    [1]腹腔鏡手術、自動吻合器
    自分で縫えない外科医が増えている。どうしても自動吻合器が使えない狭い箇所はどうするのか?手術の途中で、より小さな自動器を捜しに行くのか?手縫いができる外科医が自動器を使うのが本来の姿。私は自動器は使わない。
    [2]嚥下障害、誤飲
    肺炎を防ぐ為には食べ物はゼリー状にするといい。水分も補給できる。姿勢も大事。

質疑応答

Q:医師会として医療システム崩壊の危機に際し、どういう対応を取っているのか?
A:医師会は開業医のあつまりなので、外科学会の対応について述べると、従来は学会発表では当然最新医療に関するものが主体であったのが、医療制度の話 や、医療崩壊の危惧に関するものまでの発表が増えて来ている。小泉改悪を止めるためには国民が動かないといけない。その為には市民講座等の場に現場の医師 達が出てきて、こういう話をしていって欲しい。

Q:医療制度で日本が目指すべき、お手本にすべき国はあるのか?
A:GDPあたりの医療費で日本は抑制政策が失敗した英国並みに低く、保険料がべらぼうに高い米国を除いて、ドイツ、カナダ、フランスあたりがなかなかいい。

Q:王監督の手術は何故「腹腔鏡手術」で行われたのか?激やせについてどう思うか?
A:何故、腹腔鏡でやったのかはわからない。普通全摘の場合は開腹が認められた手術法。通常10kg位やせるものだが、20kg近くやせられたのも、何かあったのかと疑いたくなる。

Last Update: Oct.13,2006

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