Salut! ハイジの国から【第23話】 まえ 初めに戻る つぎ

ポラントリュイだより:
スイスで一番有名なジュラの村〜Courgenay

その3 スイスで一番有名なジュラ人、Petite Gilberte(2)



 ポラントリュイ市及び郊外ガイド協会には個性豊かなガイドが揃っている。ジルベートの姪エリアンさんもその一人である。彼女の父親はジルベートの弟、ギュスターヴ・ジュニアである。

 
▲1915年。ホテル裏で兵士と一般人に給仕
をするモンタヴォン姉妹とその従姉妹。
後列中央がジルベート。


 ガイド協会の定例集会がコージョネ駅前レストランで催された時、私達はエリアンさんがホテルを訪れる観光客を前に語っていると思われるジルベート伝記物語を聴く機会に恵まれた。エリアンさんは身振り手振りを交えながら表情豊かに語った。

 「私がチューリッヒに住み始めた頃、許可をもらいにお役所に行かなくちゃいけなくて、緊張していたの。しかめっ面の無愛想なお役人が前に座っていた。ところがね……『名前は?』『エリアンです』『姓は?』『モンタヴォンです』『ん……? じゃあ出身地は?』『コージョネです』『(突然叫ぶ)あああ〜! コージョネのジルベートちゃん!!!』更に私がそのジルベートの姪だと説明すると、もう彼は感激、興奮。もちろん、手続きもスムーズに行ったわ。それからもう私は女優のような気分。大得意だったわ。なぜって皆が私に寄ってくるんだもの……ジルベートの話を聞きたくてね」

 その役人がジルベートに面識があったかどうかは聞き逃したが、戦後当時、スイス・ドイツ語圏でのジルベート人気を印象付けた話だった。この人気がただ軍人の中で収まっただけではなく国民レベルに達したのは、今も昔も変わらない、マスメディアの力だった。そのきっかけを作った歌手の話をしたい。

 ハンス・イン・デア・ガント(Hanns in der Gand,1882-1947)はポーランドからスイス・ウリ州に移民した医者の息子として生まれた(本名はLadislaus Krupski)。彼は大きなリュートを手に歌い、そのスタイルは吟唱詩人と言われていた。スイスの古い民謡を歌いながら駐屯中の部隊から部隊へと渡り歩いていた1917年2月22日、彼はジルベートの働くホテルでスイス軍第二師団のある隊を前にコンサートを開いた。人気者ジルベートに興味を持ったイン・デア・ガントは彼女に直接聞いた。


▲現在もコージョネ駅前ホテルのカフェ内で
見ることができる「コージョネのジルベート」の絵画。
ジョルジュ・ヴィッティーニ作(1949年)


 「ジルベートさん、貴方は何人の兵士と将校をご存知ですか?」
 「兵士は30万人、将校は全員です」
 冗談か事実かはどの資料にも記されていないが、ジルベートの答えは確かに吟唱詩人を強く動かした。彼は早速曲を書き上げ、同年10月11日、コージョネ村祭りの日に駅前レストランを訪れた。
 「モンタヴォン夫人、イン・デア・ガントさんがお嬢さんのために作った曲を披露したいと言っています。私のテーブルにお嬢さんを同席させてもいいでしょうか?」

 アンドレア少佐が許可を求めた時、母親はまったくいい顔をしなかったらしいが、周囲の雰囲気にしぶしぶ認めたという。詩人はホールの中央に立ち、唇に笑みを浮かべ歌い始めた。
 スイス・ドイツ語で始まるこの歌はリフレインのみフランス語である。その部分になると21歳の女性ジルベートはあまりの恥ずかしさに席を立って去ってしまったそうだ。この歌は以下のサイトで歌詞を見ながら聴くことができる。

http://www.swisstenor.ch/musik/mediaplayer/probe9.html

※リフレインの部分(マルキ明子訳):

 それはジルベートちゃん、コージョネのジルベート
 彼女は30万人の兵士とすべての将校を知っている
 それはジルベートちゃん、コージョネのジルベート
 スイス全土とすべての軍が彼女を知っている


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Last Update: Sep.23,2005