太陽電池と「低い国」と〜民間企業研究者の海外転職記【第20話】
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国民皆泳〜オランダの場合【後編】


アルクマール北駅近くにある公営プールの外観〜太陽電池パネルがずらりと並ぶ
▲アルクマール北駅近くにある公営プールの外観
〜太陽電池パネルがずらりと並ぶ


着衣水泳の練習に臨む子供達〜上級クラスはこの服装で練習する
▲着衣水泳の練習に臨む子供達
〜上級クラスはこの服装で練習する


 そんなわけでオランダ政府は、運河に柵をつけるのではなく、できるだけ多くの住民、特に子供たちに水泳を習わせることにした。国によって泳力検定試験の種目が定められ、その合格に向けたレッスンが全国一律に実施されるのである。
 色々な制度や習慣が、各都市・各州での自主的取組が許容されているオランダで、こと水泳のレッスンの全国共通度は珍しい。もちろんレッスン料はタダではないが、決して高価でもない。低所得家庭には様々な補助もある。
 身体的・宗教的理由などでレッスンを受けない子供も少数ながら存在するが、95%以上の子供が、このレッスンの初級クラス(Diploma A)を修了するという。

 以下は、その内容である。

着衣(半袖シャツ、半ズボン、履物)で
◎水に飛び込み15秒立ち泳ぎ、続けて25m完泳。平泳ぎで半分、上向き平泳ぎ(俗称「イカ泳ぎ」)で半分。
水着で
◎潜水3メートルを泳ぎぬけた後、連続で100m。平泳ぎで半分、イカ泳ぎで半分。
◎クロールで8m、普通の背泳ぎで8m。
◎立ち泳ぎ60秒。

 この種目を、早い子では5歳、遅くとも8歳までにはクリアすることが奨励されている。まさに「国民皆泳」と言ってよい。

着衣水泳練習中。着衣では、速度は遅いものの、上向き平泳ぎ(イカ泳ぎ?)が最も体力の消耗なく長距離を泳ぐことができる
▲着衣水泳練習中
着衣では、速度は遅いものの、上向き平泳ぎ(イカ泳ぎ?)
が最も体力の消耗なく長距離を泳ぐことができる



 ご覧の通り、重要なのは、「運河にはまった時に生きて脱出する」ことに主眼が置かれている。運河に誤って落ちるときは普通は服を着ているし、運河では決して立とうとしてはいけない。立ち泳ぎで落ち着いて周囲を見回し、すぐ近くの岸までたどり着くことが重要だ。潜水をさせるのは、水没してしまった頭を落ち着いて浮上させる練習になるし、イカ泳ぎは腕が疲れたときも呼吸を確保しながら前進(後進?)を続けられる。日本では、どこのスイミングクラブでも当たり前のように「美しく早く泳ぐこと」を目標に掲げるが、このレッスンでは「美しく速く泳ぐこと」は二の次なのだ。

 親にしてみても、これだけの泳力を付けさせておかないと、子供だけで外に遊びに行かせることが恐ろしい。子供の方も、このレッスンを通して、着衣で泳ぐことがどれほど大変かを体験するので、かえって無茶なことをしなくなる。日本では子供が面白半分で川や池に近づいて、痛ましい事故に遭う例が後を絶たないが、このようなサバイバル水泳レッスンを体験させて自分の能力と限界を知らしめることが、そのような事故防止に大きく役立っているのである。

アムステルダムで最も古いプール、Zuiderbad(1912年開業)
レンブラントの「夜警」で有名な国立美術館のすぐ裏手にある
▲アムステルダムで最も古いプール、Zuiderbad(1912年開業)
〜レンブラントの「夜警」で有名な国立美術館のすぐ裏手にある


 競泳やシンクロなど、競技水泳を目指すには、さらにこのレッスンの中級(Diploma B)、上級(Diploma C)を修了しなければならない。種目はほぼ同じだが、中級の着衣水泳は長袖・長ズボン、上級ではさらに雨合羽と靴下を着用する。潜水や連続泳の距離、立ち泳ぎの時間なども、2倍かそれ以上に伸びる。中級には約50%、上級は約30%が進むと言われている。10歳の子供の30%が、「長袖・長ズボン・雨合羽・靴着用」で100メートル泳ぎぬく試験をかいくぐって来ているのである。

 北野の厳しい水泳授業をかいくぐって来た同窓生諸氏も、この試験内容には舌を巻くのではないか。とりわけ、着衣でそれだけの距離を泳げる自信はあるだろうか。

 そもそも日本のほとんどのプールは、着衣での入水を認めていない。それどころか、水泳キャップを必ず着用するよう、口うるさく言われる。もちろんこれには理由がある。浄化装置のポンプに髪の毛や繊維が詰まって故障の原因になるからである。
 オランダのプールとて事情は同じ、浄化装置のポンプに繊維が詰まる。それでも着衣水泳の練習の重要性が、ポンプ故障と言う管理側の問題を上回った。おかげで繊維が詰まりにくいポンプの開発が進んだようである。「何でも禁止」にするのではなく、実情を認めて制度や技術の方を実情に合わせる、オランダらしい実用重視の対応というべきだろう。そのおかげもあって、一般遊泳時間ではキャップの着用は義務ではない。着衣入水も、原則として禁じられていない。

Zuiderbadの内部。自由遊泳時間の様子〜一番左のコースでは、これから子供の初級レッスンが始まる
▲Zuiderbadの内部。自由遊泳時間の様子
一番左のコースでは、これから子供の初級レッスンが始まる



 しかし、残念なことであるが、上記の「サバイバル水泳レッスン」が終わると、一部のスポーツクラブ加入者を除いては、これ以上水泳が上達する機会があまり用意されていない。前述のように屋外プールや学校のプールはほぼ皆無だし、たとえクラブに加入しても、公営プールは主にサバイバル水泳レッスンに占有されていて、競泳クラスなどへの割り当て時間は短い。水泳上級者と「ほどほどに泳げる人」との差は、日本に比べてかなり大きい。北野の広大なプールを毎日占有できた筆者ら水泳部員は、大変な幸せ者と言えるかも知れない。

 とは言うものの、ハイレベルなトップスイマーは育っている。男子100m自由形世界記録保持者のPieter van den Hogenbandや、シドニーとアテネで合計8個のメダル(うち、金4個)を獲得した女性Inge de Bruijnがその代表だ。前者はカタカナにすると(ピーター・ファンデンホーヘンバント)、長い名前の短距離選手ということで、アナウンサー泣かせで日本でもお馴染みだ。後者は、インヘ・デブルーインと紹介されているが、インゲ・ドブラィン(或いはドブロィン)が発音的には近い。一時アメリカに練習拠点を置いていた彼女は、デブルーインと呼ばれるのに慣れてしまっているようだが、オランダ人より恵まれたプール環境で育った我々は、せめて名前ぐらいは正しく呼んであげなければなるまい。


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Last Update: Jan.23,2008