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2008年のバックナンバー

第27話 海外技術援助を目指す

子どもたちさて、最終回になりました。最後に、やっぱり、海外で援助の仕事をしたいという方に、もう少し。

海外の仕事は、きれいごとではありません。
先進諸国は、エイズ対策に資材や資金、人材を投入していますが、なぜエイズなのかが問題です。
アフリカでは、子供を含む死因の第1は衛生状態が不良であることによる下痢、次は気温が高く水があるところならどこにでもあるマラリア、そして3番目にエイズと言われます。

なぜ、日本は死因1番手の下痢対策にもっと援助しないのでしょう。
対象が広過ぎる上に飲料水の確保に膨大な資金が必要なのです。援助の効率が悪いという訳。人間の命が経済的に評価されるのです。

次、マラリア。
マラリアは、ハマダラ蚊が媒介する病気です。マラリアは、完全に治癒できないといわれ、感染すると一生の付き合いになってしまいます。私は、マラリアにかかるおそれのあるネパール南部やナイルデルタに行ったことがありますので、現在でも献血できません。
マラリアの困ったところは、注意していても、ハマダラ蚊に刺されると感染してしまうことです。ですから、対策や治療に行った人間がマラリアになってしまう 可能性があるのです。このため、先進国の援助機関は、自国の専門家や医師を、マラリアの危険のある所へ送り出すのには、尻込みしちゃう訳です。

エイズは注意すれば、感染することはありません。それなら、エイズの方がマラリアより良いということになり、先進国は、下痢やマラリアより、エイズの方を優先ということになってしまう訳です。
援助にも、援助する側の都合や、ちょっと大きな声では言えない事情というものがあるのです。

北海道胆振の農民家族しかし、援助は必要です。
日本は、世界の平和の一番の恩恵を受けています。世界の平和が失われた時、最も困るのは、食料を含む資源確保や外貨獲得のための貿易に依存する日本でしょう。

最近は、気候変動に対応するための環境分野の協力を強調する声もありますが、基本は、やっぱり世界の平和でしょう。戦争がない状態が平和ではありません。 世界の人々・子供たちに、生活の安定と明日への希望を与えることが現在を生きる私たちの使命です。もちろん、日本だけが平和と繁栄を甘受するというのは、 人類の一員として許されないでしょう。ましてや、援助は町内会費=近所付き合いではありません。
開発途上国の平和の鍵は、間違いなく農業生産です。開発途上国では国民の大半が農業に従事している中、この農業生産の安定こそ、社会的にも、経済的にも、政治的にも重要なのです。

海外でも、日本でも、農業にかかわると、素晴らしいお土産があります。 それは、収穫の喜びを農家とともに満喫できることです。「農家の喜びは、我が喜び。」ですわ。 援助はきれいごとではないからこそ、基本や純粋な喜びを大切にしたいと思います。

筆者は2008年5月31日に日本に帰国しています。もう次の海外赴任はないかと思いますが、海外での仕事や生活を振り返ると、それなりに満足できるものでしたよ。
そのココロは「清く 正しく 美しく」「その健児、励まざらめや」。なかなか簡単ではないですがね。
最後に、オヤジの海外赴任で、苦労をかけた妻と娘に、「ごめんなさい」。

やめときなはれ

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第24話】

豊作!トウモロコシの山
豊作!トウモロコシの山
(ジンバブエ東部にて)

「発展途上国の困っている人を助けてあげたい。世界のために役立ちたい。」その気持ちは大切にしたい。 私の場合は、大学時代、“砂漠を緑の農地に変える”という夢を持っており、幸いにして、それを実現するチャンスがありました。砂漠化とか乾燥地農業に陽が 当たり始めたこともあり、ありがたいことと思っています。

これまで、仕事の関係で、「海外で働きたい」「技術協力の仕事がしたい」という相談を受けることが度々ありました。ジンバブエでも、青年海外協力隊 (JOCV)の諸君から、同様の相談を受けました。
「やめときなはれ」が、私の答です。しかし、相談者の大半は、「いや、どうしても」と食いついてきます。 困ったもんです。

まず、日本では国の職員の場合、海外勤務は国の業務の一環ですから、手を挙げれば、海外に出るチャンスはあります。農林水産省の職員でも、開発途上国だけ でなく、先進国の日本大使館や国際機関に勤務することもできます。もちろん、私のように、開発途上国の農家のために働くチャンスもあります。

チャオプラヤデルタの堰
チャオプラヤデルタの堰
(タイ)

が、海外勤務により、“浦島太郎”になってしまうのです。それと、海外勤務は、ある意味で日本より面白い部分があり、一度海外勤務をすると、「もう一度、 海外へ」ということになりがちです。そうなると、ますます“浦島太郎”になって、そのうち、国内の苛烈な業務について行けなくなります。“国内でメシが食 えない奴”

それと、国は選べませんから、ジンバブエやネパールのように日本人学校がない国の場合で、子供さんが受験の場合は、当然、単身赴任です。家族には、半年に 1回しか会えません。ガマンできますか。 私も、3回目となるジンバブエ行きの場合は、強硬に断ったのですが、ハラレに来ちゃいました。

民間では発展途上国でコンサルタント業務をしている企業がありますが、近年の援助額の削減で、民間でも海外業務は縮小傾向になっています。それに、援助関 係業務には、一定の海外経験が必要となっており、各社とも、業務縮小の中、新人を内部で訓練・研修する余裕がなくなっています。企業なら、JOCVの経験 だけでは、“即海外”は難しいでしょうね。そう、援助関係の民間企業への就職は難しいですよ、ということです。 かつては、JOCVでの経験を元に、民間企業で海外での実績を積みながら、50歳60歳になっても海外の専門家・専門職として活躍するというパターンも あったのですが、今は、実績を積む機会がないのです。

山あいのからし菜畑
山あいのからし菜畑
(ネパール中部にて)

援助機関への就職も簡単ではありません。
特に、国連の機関等では、英語の他に第2外国語(ロシア語、スペイン語、フランス語、中国語、アラビア語)ができないと、ある一定以上の地位・職責に就け ないという仕組みがあります。
もちろん、抜群の能力で、英語だけで高い地位に就いておられる方もいますが、最初は日本国政府の後押しや日本の国家公務員として、国際機関で働く機会が あったという例が多いのです。

それでも、「どうしても、海外で仕事をしたい」という方もおられます。 道はありますよ。日本の海外NGOに参加する方法ですが、給与水準は年200万円というレベルです。 これを薦めることはできません。当然、「やめときなはれ」ということになります。

援助は町内会費か

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第26話】

たまには笑いも取らなあかん
たまには笑いも取らなあかん
(ジンバブエ)

北野の校庭に「殉難の碑」がありますよね。
私は、ジンバブエ派遣の前に、この碑を見に行きました。
開発途上国への技術協力の究極の目的は、世界平和なんですよ。だって、世界中の人々の毎日の暮らしに不安がなく、自分や子供の将来に希望があれば、あえて 戦争を起こそうとする人はいないでしょ。きっと。
農業分野の技術協力は、「小麦粉をあげるのではなく、小麦の作り方を教える。」のですから、うまくいけば、少なくとも、食い物での争いはなくなるはずで す。
とりあえず、腹いっぱいになれば、子供を畑の仕事から解放して、学校へ行かせることができるかもしれない。読み書きソロバン(電卓?)が身に付けば、詐欺 師にだまされることもなく、うまくいけば高収入の仕事にありつけるかもしれない。栄養を摂ることにより、病気への抵抗力も付くでしょう。
そういう仕事なんです、技術協力は。

子どもたち
子どもたち
(ネパール中部にて)

ちょっと、援助、特に資金協力の歴史を振り返ってみます。
1960年代の後半、援助は開発途上国が共産主義化しないようにと、旧ソ連との援助競争という形で増加していきました(南北問題)。1970・80年代 は、東南アジアへの経済協力を足場に、日本の輸出振興と投資拡大、資源確保を図った時代でした。ところが、1990年代になり、冷戦構造が崩壊すると、 「南北問題」という政治的看板がなくなり、さらに最近は開発途上国の製品・農産物が日本に押し寄せるようになりました。 おまけに、国連の安全保障理事会の席が欲しくてばらまいた援助も、鼻薬にはならなかったし。
ある日本の外交官が「援助は町内会費と同じで近所付き合いの一環」といっておられましたが、付き合いに貴重な税金を使うような悠長な日本の財政状態ではあ りません。

東南アジアでは、その発展と同時期に日本の援助が増加したので、あたかも「日本の援助がアジアの発展を支えた」ように見えますが、実は、日本の民間企業が 投資を行い、貿易を活発化させたからこそ、今のアジアの発展があると、識者は指摘しています。援助は、経済成長の万能薬ではありません。

壷売りの親子
壷売りの親子
(エジプト中部にて)

だから、「アジアの奇跡をアフリカに」といわれても、援助だけではアフリカの発展は難しいでしょう。かといって、日本の企業がアフリカ各国に積極的に投資 を行うとは思えない。もちろん、成功例もありますよ。
さらに、対アフリカ援助の先輩格である「欧米各国の援助は効果がなく失敗した」とされています。
この八方ふさがりに中で、日本は対アフリカ援助を増やそうとしています。さてさて、どうなることか。

そのアフリカの農業分野への日本の援助ですが、過去には成功した例もあるのです。
タンザニアとケニアの水田の例ですが、まず日本が農民の訓練センターと実証展示水田を無償援助で作って、日本人専門家を派遣。技術面での不安が無くなった 段階で、日本が借款として資金を貸してあげて水田を造成。最後は相手国が自分の資金で、さらに水田を拡大。現地は、今では、地平線まで水田が広がっていま す。日本と違うのは、収穫中の水田の隣で、田植えを行っていること。気候条件が違いますからね。
成功の秘訣は、資金と人材を集中投資したことにあると、言われています。ばらまきをやめて、集中と選択。ジンバブエは、選択肢には入らないだろうなあ。イ ンフレがすごいし、トラクターを動かす燃料もないし。

やめときなはれ。その2

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第25話】

村の子供
村の子供
(ジンバブエ南部にて)

海外で援助の仕事を希望する方には、「観光旅行とは違うで。」と、私は、常々申し上げております。

まず、仕事はうまく行きません。資料が出て来ない。データはない。相手さんは約束を守らない。
飛行機のオーバーブッキングや荷物が到着地で出て来ないのは日常茶飯事。
水道からイトミミズが出てきても、断水よりはマシか、とあきらめる。
停電だけならいいけど、突然、昇圧して電球が爆発してもびっくりしない(うちは炊飯器をやられました)。
ドライバーがエイズでも、へっちゃらな顔をして、ハンドルを共有する。
ある日、通貨制度が変わって、手持ちの現金を1週間以内に使い切らないといけない。などなど。

「それでも、あんた、海外行くか。」と聞くと、大抵は「行く、行く。」となります。本人は、いいですよ。仕事もありますからね。私は、「家族のことも考え て、2・3日、頭冷やしておいで。」と再考を促すことにしています。

海外では、奥さんが、現地に溶け込めずノイローゼになる例が、案外多いことを知っておいて下さい。現地の日本人社会にも、奥さん方にも、遊び仲間や派閥が あり、○○デビューとかも簡単ではないのです。
もちろん、うまく行けば、毎週のお茶会とか、自宅パーティーとかで、楽しい海外生活も出来ますよ。
ただ、全てがうまく行くわけではありません。で、「あんたの奥さん、大丈夫か」ということになるのです。

日本祭で書道
日本祭で書道
(ジンバブエ)

子供。「現地では英語の学校に入れて、将来、英語で苦労しないようにさせたい。」と思う方もいるでしょう。 が、私は反対です。「母国語ができない人間は、外国語を学ぶことはできない。」というそうです。

私は、理科系へ進みましたが、北野では、母国語としての日本語の素晴らしさを教えてもらいました。
「いづれの御時にか・・・」
「月日は百代の過客にして・・・」
「春はあけぼの・・・」
「祇園精舎の鐘の声・・・」

古典だけではありませんよ。
梅棹忠夫の「モゴール族探検記」なんかも、いまでも深く心に残っています。
母国語が完成するのは、幼稚園の頃でしょうか。そういう時に、外国で生活すると、幼稚園や学校では英語、家でメイドさんと話すのは現地語、両親とは日本 語。これでは、母国語が形成されません。

小中高と論理的な言語表現を英語で身に付け、英語でしか複雑な表現ができない場合は、日本で暮らすのは大変でしょう。もちろん、一生、アメリカで暮らすの も選択肢かも知れませんが、それを両親が子供に押し付けるのは、「あなたはだあれ」というアイデンティティーを子供から奪うことになるのではありません か。
うちは、ネパールでは娘と一緒でしたが、日本人学校がなく幼稚園(年中組)から小1まで英語環境だったので、家内が朝5時半から30分、国語の勉強を見て くれました。そのあと、私が算数を見てました。ただ、学校が英語環境だった娘の英語の発音は、今でも私より上手ですがね。

釈迦生誕地
釈迦生誕地
(ネパール ルンビニ)

アイデンティティー。もし、子供さんを日本人として育てたいのなら、私は、日本で形成された「心の原風景」とか「心のふるさと」が必要だと思います。人 間、万能ではありませんから、いつかどこかで、つまずくことがあります。その時、原風景を持つか持たないかでは、大きな差があると私は思います。
どんな原風景を持つかも、「あなたはだあれ」の重要な要素でしょう。

ところで、私の原風景はね、“梅田の雑踏”に “淀川の鉄橋を渡る阪急電車”ですよ。 アホみたい? けど、困難にぶつかった時、この“Indelible images in my mind”が、私にフツフツと元気をくれました。そりゃ、いつまでも忘れることができない青春の舞台であり、心象風景なのですから。

NGOの限界

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第23話】

バナナ,買ってくれー
バナナ,買ってくれー
(ジンバブエ東部にて)

NGOを辞書で引くと
“Non-Governmental Organization”
と出ています。
日本での印象は、「弱体化した政府機関に代わり、その行政能力が届かない貧困層に援助を行う」というところでしょうか。確かによくがんばっているNGOも ありますよ。しかし、いい話ばかりではありません。

この前のインドネシアのスマトラ島西部での地震の際、被害者救済・復興でNGOが活躍していましたが、「現地では交通の便のいい所で、NGOが被害者の取 り合いをしている」とか「NGOが現地事情も調べず、必要以上の数の船が持ち込まれ、捨てられている船が山になっている」という指摘もありました。
あと、ネパールで、日本を代表するNGOの現地担当者が「NGOの活動には電気と車が絶対必要だ」と真顔で話しておられました。ネパールの電気の普及率は 当時で15%。全土で40近くある県のうち、カトマンズから車で県庁に行ける県は半分しかありません。最も遠い県庁には、道路の終点から徒歩1週間です。 このNGOは、国民の85%・国土の過半は、対象外ということなのでしょうか。「見捨てる」ともいえますよね。

イランの米作り
イランの米作り
(カスピ海沿岸 左:筆者)

NGOの活動にはお金が必要ですから、そのお金を出してくれる先進国の機関・個人・企業(ドナーといいます)が、資金供給にOKを出すような案件を発掘す る必要があります。例えば、話題性とかね。あと、車を捨てて何時間も歩くような地域は、予算が効率よく使えませんから(面倒くさいばっかし?)、道路沿い とかに援助が集中しがちです。交通の便は、ドナーが現地を視察することを考えても重要な要素になる訳です。

ジンバブエでの話ですが、食料援助の下請けをしてるNGOがありました。国連の組織が持ち込んだ穀物や食料油を現地で分配する仕事です。その最前線の現地 オフィスを訪問したことがあります。NGOの現地職員はスーツにピカピカの革靴という姿でした。話では、1000近い村に食料を配っているというのです。
すごい、と思って、窓の外を見ると、10トンぐらいのトレーラーが食糧を満載して出て行くところです。「村には同行しないのですか」と聞いてみると、この ピカピカ革靴氏は「運転手が村長の受け取りのサインをもらってくるから大丈夫!」。この地域では、車で行ける村は、1/3ぐらいしかありません。残りの 2/3の村の村長のサインって、どのようにしてもらうんでしょう。
横流ししないでね。その援助には、日本の税金も使われているのよ。それにあなたの給料も。たまには、現地に同行したら。といいたくなりました。

アンナプルナ山群
アンナプルナ山群
(ネパール中部)

日本のNGOは、少ない資金で人件費も十分払えず、総じて貧乏所帯です。しかし、開発途上国では給与水準が低いので、多額の援助資金の一部である人件費 (運営経費)がNGO職員のフトコロを十二分に潤しているという現実があります。
さらに、海外のドナーから直接資金援助を得ることができるような看板を持っている大手のNGOの下に下請け・孫請けのNGOが群がるという構造もあるので す。
ジンバブエで私の職場であった農業省の職員がよく辞めます。月給がUS$10ぐらいしかありませんからね。その再就職先はNGOです。たちまち US$200に20倍増。まず、孫請けのNGOで2,3年キャリアを積んで、そのあと、下請け・元請けとステップ・アップしていくそうです。元請けなら、 月給US$500だと聞きました。

援助の内緒話

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第22話】

村のおじさんおばさん
村のおじさんおばさん
(ジンバブエ南部にて)

日本の政府が行う援助と一口にいっても、いろいろ種類があります。
ただでポンプ船をあげたり、堰を作ってあげたりする無償資金援助。ダムやポンプ場の建設費用を融資する円借款。それから私が携わってきた技術協力。
技術協力も、私のような専門家(JICA Expertと呼ばれます)や青年海外協力隊の派遣、研修資機材の供与、現地の方の日本での研修、相手国での開 発計画作りとか。
それから、ユニセフとかの国連の機関を通した援助や、世界銀行等の融資、NGOが行っている援助とか。
千差万別で、その仕組みもなかなか難しいというか、ブラックボックスみたいなところもあります。

ところで援助って、おいしいと思います?
そりゃ、ありますよ。この辺が援助のちょっと怪しい部分となっています。

アンナプルナ山系
アンナプルナ山系
(ネパール中部)

ネパールにいた頃、首都カトマンズの中心に、国連の機関が「児童の強制労働を止めましょう」という看板を出したことがあります。
ところが、これが全て英語で書いてあったのですが、ネパールの庶民は英語が読めません。この機関は何を考えているんでしょうね。この看板は、たぶん全世界 に同じものが出てるんでしょう。
看板を出すことは、いいと思いますが、なにも世界共通のデザインにする必要があるとは思いません。が、きっと、どこかの大手広告代理店に、いっぱいお金を 払ってデザインしたから、使わなならんということなんでしょう。日本だと、税金の無駄使いと言われますよ。

同じく、ネパールでの話。
某国際融資機関が、ある融資案件の現地事情を聞かせてくれということで、その支店に出かけて見てびっくり。
カトマンズの最高級ホテルの一角を占領したその支店は、靴が3cmぐらい沈むジュウタン。ここは、ロンドンかニュウヨークかという感じの雰囲気。ちょっ と、豪華過ぎるんじゃない?
話は、まあ、下手な英語でひととおりすんで、こちらが「いつでも、現地を案内しますよ」と申し出ると、あちらさんは、「現地には行きません。事業の責任は ネパール政府にあるから、こちらは書類さえあればそれでよい。」という木になんとかをくくったような答え。
現地も見ずに、お金、貸すんだ。こりゃ、あかんで。現地見ないというのは、原野商法やないか。事業が失敗しても、貸し手の責任は全然感じていない。
これでは、不良債権の山になるのは当たり前。けど、その融資の原資って、日本の税金なんですけど。

八百屋のおばちゃん
八百屋のおばちゃん
(中国新彊)

ジンバブエで。
ある日、滅多に行かない高級ホテルで、同僚に昼食をおごってあげていると、ドカドカと顔見知りの国際機関の連中がやってきて、ちょっと離れたところで食事 を始めました。と思ったら、ワインやビールを注文し出して、ほとんど宴会状態。
一緒に昼食を取っていた同僚いわく、「連中、午後は仕事しないんだ。」「エッ!? 今日は平日だよ。」「いや、そのとおり。仕事もないし。」だとか。
これが、いわゆる援助をエサにする”貧困のおかげでメシを食う連中”ということなんでしょうか。
ウソやと思いますか? けど、私は見ちゃいましたよ。
そして、この国際機関は、予算が足らないと、あちこちで訴えているんですけど。

怪!農業援助の仕組み

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第21話】

小麦の穂が出る頃(ジンバブエ 中部にて)
小麦の穂が出る頃
(ジンバブエ 中部にて)

農業関係の技術協力に携わると、どうしても食糧援助というものとの付き合いが生まれます。
「ハラヘッタ」状態の国民や農家を見ると、パンを援助したくなるのは自然の感情でしょう。
前回にも書いたのですが、技術協力は「パンを与えるのではなく、小麦の作り方を教える。それも個々の農家だけではなく、国全体としての生産振興を図る。」 という原則があります。交通の便のいいところだけで商売をしているNGOと、国全体の底上げを目指す技術協力は立場が違います。
が、世界の援助の常識は、そんなに甘いものではありません。

ところで、食料を生産している農家でさえ、「ハラヘッタ」というのは どうしたことでしょう。 アメリカの影響が強い世界銀行は、1981年に「サハラ以南のアフリカの開発促進」というレポートを出し、その中で食糧自給を二の次にして輸出作物の増産 に努力すべきとの勧告をしました。

ヒマラヤの秀峰(アンナプルナ山系ニルギリ)
ヒマラヤの秀峰(アンナプルナ山系ニルギリ)

欧米各国は、低い穀物価格と農家の所得水準の差を所得補償や補助金で埋めているのですが、開発途上国には農家への補助のための財政的余裕がありません。そ のため、農家には、「穀物はほどほどにして、高く売れる輸出作物を作れ」ということになったのです。どこの開発途上国でも、国民へ食糧を安値供給するた め、穀物の生産者価格は抑制されており、生産意欲があがっていなかったので、一石二鳥だったのです。
しかし、アフリカの主要な輸出作物であるコーヒー・ココアは過剰生産のため、国際価格が最高時の1/2から1/3になってしまいました。
あるフランス人農学者は「第3世界の農民経済は破産し、それに伴う穀物の輸入が増加、アメリカの手中にあるフードパワーへの依存が増えた」としています。 しかし、フランスこそが、穀物輸出の大手なのです。
日本の場合は、国民の皆様の理解を得て、世界的にも割高な価格で米等の穀物を生産・消費できる構造があり、日本の農家は助かっていますが。ただし、日本で も、米麦の価格は、中小規模農家でも再生産が可能な水準という訳ではありませんが。

今では少なくなった畜力水車(エジプト ナイルデルタ)
今では少なくなった畜力水車
(エジプト ナイルデルタ)

開発途上国で、穀物を輸入するための外貨が不足し、飢餓が発生すると、食糧援助という名目で日本を含む先進各国から資金を引き出し、それを使ってアメリカ や欧州の余剰穀物を買い上げ、飢餓に苦しむ人々に援助として供与されます。なんと、日本の税金がアメリカやフランスの農家のフトコロに入るのです。

エジプトは、ファラオのころから、穀物の一大生産地でした。このエジプトへもアメリカは農業援助をしていました。アメリカの援助は、直接、増産に結びつか ない水位の観測網の整備とか、アメリカの好きな「民主主義」的手法による農家の水管理とかでした。ナルホドということです。
欧米は、直接的な食糧増産効果のある援助はしない。それは、自国の農家の保護と自国の余剰農産物の輸出(援助)先の確保のためなのです。
おまけに増産効果のある新しい穀物品種は、肥料や農薬、灌漑用水が必要で、開発途上国の低い穀物生産者価格では、ペイしない仕組みになっています。このた め、国家経済に余裕がない開発途上国では、新品種の導入や自力での灌漑設備の整備は難しく、増産は簡単ではありません。 こんなことが、まかり通っているのです。

本当の貧しさとは

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第20話】

インド国境に近い村(ネパールにて)
インド国境に近い村(ネパールにて)

貧しさの定義ってなんでしょう。
実は、いろいろな見方がありまして、人間が生きていくのに必要なカロリーを確保できているかという判断基準もあります。ほかに国全体の貧富の差をいう方法 もあるようです。
ただ、世界共通の定義ということになると、2000年9月の国連サミットで採択された「国連ミレニアム宣言」の中で、「1日1ドル(US$)未満で生活す る人々」というのが、現時点では貧困のワールド・スタンダードということになっています。
この「国連ミレニアム宣言」の中では、「2015年までに1日1ドル(US$)未満で生活する人口の割合を1990年の水準の半数に減少させる」という目 標が示されました。このほかにも「2015年までに飢餓に苦しむ人口の割合を1990年の水準の半数に減少させる。」という目標もあります。

ジンバブエの場合、勤労者の給与は、平均月US$3-10の価値しかありません(2007年12月現在)。
スカイロケットハイ・インフレ(年150倍)とか、失敗国家・破綻国家とかいわれていますが、ジンバブエの貧しさは、救いようがないということでしょう。 一ヶ月の給料で、パンが15斤しか買えませんからね。もちろん、これでは食っていけませんので、給料の20倍値上げを要求してのストとかになるのですが。

村の子供たち(ジンバブエ東部にて)
村の子供たち(ジンバブエ東部にて)

目を覆うばかりの貧しさというものを見たことがあります。
ネパール南部のインド国境沿いに住んでいる、インドから逃れてきた耕すべき土地を持たない農業労働者の方々です。住まいというか、寝る場所は、屋根はカヤ で、壁はありません。そこに、小さな子供を含む家族が寝泊りしていました。マラリアを媒介する蚊がいっぱいいる地域なのですが。
ネパール人の現地担当に、「彼らには仕事はあるのか」と聞くと「ない」という。「しかし、農民なんだから、ネパールの農業省もほっとけないだろう」とたた み込むと、「彼らは、ネパール人ではないし、第一、言葉が通じないから、意思の疎通ができない。」
しまいには、この日本人は、なんてつまらない質問をするのかという雰囲気になってしまいました。
国の行政というのは、国民の生命と財産に責任を持つべきということなら、このインド政府からもネパール政府からも見捨てられた彼ら・彼女らこそ、最も救済 の手が必要なのかもしれません。
が、技術協力は「パンを与えるのではなく、小麦の作り方を教える。それも個々の農家だけではなく、国全体としての生産振興を図る。」という原則から、ただ ちに有効な手段がないのです。言い訳でした。

村人が行く(エジプト中部にて)
村人が行く(エジプト中部にて)

しかし、US$1が真に貧困の基準とは思えません。
お金だけで、貧富を問うことの愚かさは、皆さんもよく御存知のことと思います。
ネパールのヒマラヤ山中に入りますと、自給自足と物々交換だけで生きている村がいっぱいあります。なかなか直に接することは難しいのですが、彼ら・彼女ら の貧しくとも、つつましい生活に一種の平安を覚えるのは私だけではないと思います。
ネパールには「ヒマラヤン・ホスピタリティー」があるといわれます。
そういうものに出会えるのも、海外勤務のいいところかも知れません。

イチゴを食べる

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第19話】

カトマンズ盆地の風景(ネパールにて)
カトマンズ盆地の風景
(ネパールにて)

私は就職して最初の現場が北海道の旭川でした。雪の多い地方では、雪解けが何よりもうれしいものですが、困りものがあります。それは、雪の中に含まれてい たホコリが、雪が融けたあとに残り、乾燥した風で宙に舞うのです。旭川では「馬フン風」と呼んでいました。昔の馬そりのころの名残でしょうが、雪の多いと ころでは、今でも春先のホコリっぽい風には悩まされます。

ネパールやジンバブエでも乾季になると、ホコリが宙を舞います。エジプトは、年中乾季で、砂嵐もありでしたしね。
道端には、いろんなものが落ちていますから、それが乾季には、ホコリになって、口やのどに入るのです。カトマンズでは街を牛が歩き回っていましたし、どこ の開発途上国でも田舎に行くと、ロバとかもいっぱいいますから、そのフンの乾燥したものも、きっと、肺に入ってきます。ジンバブエには、空気感染もある人 畜共通の炭疽病があり、問題は深刻です。
が、“キチャナー”とか“ババッチィー”とか言ってると、海外では商売になりません。

野菜畑の3人小町(ジンバブエ南部にて)
野菜畑の3人小町
(ジンバブエ南部にて)

ホコリは、まあ仕方ないということにして、食べ物は、なんとかきれいにして、口に入れなくてはなりません。
この問題解決は、切実なものがあります。特に、うちも含め、小さい子供さんを連れて、田舎の国に赴任されている方にはね。
まず、水道がそれなりにあるところでも、塩素消毒は十分期待できませんが、水洗いで、ほぼ外見はきれいになります。しかし、それをそのまま口に入れるの は、自殺行為でしょう。(と思います)
次に、熱湯消毒という方法があります。(一見)きれいな水とコンロがあれば、可能な方法です。
「レタスの湯通しは、ウマイで。ちょっと、醤油をたらして、パクといくんや」という具合です。
が、標高が高いと、沸点は100度に達しませんから、完璧な方法ではありませんがね。

砂漠に花咲くリンゴ(エジプト西方砂漠にて)
砂漠に花咲くリンゴ
(エジプト西方砂漠にて)

では、熱湯消毒に向かないものはどうしましょう。
イソジンというウガイ薬があるでしょ。あれを、一見キレイな水(ミネラル・ウォーターも可)にポタポタと落として、その水の中に漬けるのです。イソジンに は、昔、消毒に使っていたヨードチンキの主成分のヨードが入っていますからね、消毒になるんです。この話を、海外に詳しい医師にすると、「確かに消毒には なるが、野菜の消毒に使うのは、どうかなあ。」といわれました。同窓諸兄には、医師の方も多いので、一度、見解をうかがいたいものです。特に、寄生虫に効 くのでしょうか。
が、私は、イソジン消毒液を愛用しています。例えば、湯豆腐に使うネギとかね。

例えば、イチゴはどうしましょう。
赤くて、おいしそうなイチゴ、ちょっとゼイタクして、パクと行きたいですね。
けど、寄生虫がこわいしなあ。
私は、断然、熱湯消毒です。グラグラの熱湯、2秒でいかがなものでしょう。
ニューヨークやパリだけが海外生活ではありませんよ。こういう生活も、また、一興ということで。 

お楽しみは これからだ

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第18話】

ドイツの香りがするルーマニアの町
ドイツの香りがするルーマニアの町

発展途上国では、ストレスが溜まるのですが、その解消法として、近隣の国へ買出し旅行に行くというのがあります。この任国外旅行こそ、海外勤務の最大のお 楽しみということができます。
エジプトの時は地中海を越えてヨーロッパへ、ネパールではタイとかでした。
が、ジンバブエでは、南アフリカの治安が悪いため基本的に渡航禁止で、クルーガー国立公園と遠洋漁業の基地ケープタウンのみはOK。他には、隣のザンビア とかタンザニアとか。
そのほかに、日本に帰る途中で、どこかに寄るということも可能です。

エジプト赴任中は、ヨーロッパまで、飛行機で4時間ぐらいでしたから、よく行きました。ゼイタク!
アラブの息詰るような異文化から、パリやロンドン、フランクフルトに降り立つと、得も言われぬ感激がヒタヒタと身に押し寄せてくることを実感します。日本 で休暇も取れず、がんばっておられる方々には申し訳ないのですが、東西統一直後のベルリンにも行くことができました。

もうちょっと品数がないのかなあ(ジンバブエ東部にて)
もうちょっと品数がないのかなあ
(ジンバブエ東部にて)

ネパール時代は、バンコクに買出しです。内陸国のネパールでは、新鮮な海の魚は、もちろん手に入りません。また、宗教的な理由もあり、すき焼き用の牛肉と かも、無理です。
そのため、タイのバンコクに調達に出かけるのです。バンコクの伊勢丹に事前にFAXで注文を送っておき、バンコク入り後に、支払い。そうすると、バンコク 出発の朝に空港の出発ロビーまで、冷凍にした肉や魚を発泡スチロールの箱に入れて、店員さんが持ってきてくれるという具合。カトマンズに着いたら、そのま ま、冷凍庫へ。このサービス、シンガポールの大丸にもあると聞きました。
せっかく、バンコクまで来たのだから、ちょっと観光というのも。チェンマイ、プーケットなどなど。

ただし、この任国外旅行は、チケットやホテルは、全て自分で用意・手配しなくてはなりません。
エジプトでは、町の旅行代理店は信用できないと、うちの家族を含め、ほとんどの在留邦人は、航空会社から直接、航空券を購入していました。エコノミーとい えども、当然、正規料金のUS$払いです。
ホテルといえば、ドイツのハンブルクの駅前案内所では、こちらの服装を見て、貧乏旅行と思われたのか(実際そうでしたが)、駅前の安ホテルを紹介されまし た。が、地階は怪しげなバーでした。

仕事もちゃんとしてますよ~農家へインタビュー(ジンバブエ東部にて)
仕事もちゃんとしてますよ~農家へインタビュー
(ジンバブエ東部にて)

ネパールとジンバブエでは、旅行代理店が利用できました。
が、ジンバブエのディスカウント・チケットには参りました。
任国外旅行は、半年とか前から、旅程を決めて、それで、航空便の予約を入れておくのですが、1ヶ月前になって、航空券を発券してもらおうとしたら、予約が 取り消されているというのです。
「なんでやねん」というと、格安券は枚数が決まってるが(普通そうやろ)、より高い値段で注文がいっぱいきたら、格安券を無断でキャンセルして、高い券と して、別の人に売るというのです。
日本へ一時帰国する航空券でしたから、これはで日本に帰れないと、下手な英語で、あれこれまくし立てて、何とか予約は取れましたが、すぐUS$の現金で購 入しないと、また、キャンセルされるという。
もちろん、即金払いで発券でき、交渉は成功。北野の英語に感謝(ちょっと、ちがうかな)。

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