ポラントリュイだより: ナポレオンが持て余した二人の軍人《その3》

2010年2月28日

Delmas将軍を再び得たナポレオンは、多国籍同盟軍を相手にリュッツェン、バウツェンの戦いに勝利した。この同盟軍の中にはBernadotte元 帥、いや、王位継承者となったBernadotte王子率いるスウェーデン軍の姿があった。彼は「ナポレオン本隊との衝突を避ければ勝てる」という 「Bernadotteプラン」を考案し、その後の同盟軍勝利に大きく貢献した。


▲1813年10月、ナポレオン軍の大敗に終わった
「ライプツィヒの戦い」

ナポレオン軍は休戦後の「ドレスデンの戦い」で快勝したが、それが最後の栄光だった。 1813年10月16日から19日にかけた「ライプツィヒの戦い」は大激戦となった。ナポレオン軍15万8000のうち4万人以上、総司令官 Bernadotte率いる同盟軍33万のうち6万人以上の死者を出した。この戦いで大敗し、ナポレオンのドイツ支配が終わったため、「諸国民解放戦争」 とも呼ばれる。
戦い最後の日、前線で奮闘していたDelmas将軍を大砲の砲弾が襲った。下半身を砕かれた将軍は、二週間生存していたという。
ある日、死の床にあるDelmas将軍を、かつての戦友Bernadotteが見舞った。BernadotteはDelmasに、「体が治ったら私の軍 に加わって下さい」と提案した。
「いいえ、決して!」 Delmas将軍は力強く答えた。  「もし私がナポレオンと問題があったとしても、フランスへの不満はありません。私の祖国であるフランスに、常にご奉仕するつもりです。皇帝を裏切る気持 ちは少しもありません。祖国に銃を向けるのは私の軍ではありません」
Bernadotteへの痛烈な皮肉を残し、Delmas将軍は間もなく息絶えた。


▲Bernadotteとの婚姻後も
ナポレオンを愛し続けていたデジレ・クラリー

ナポレオンによりヨーロッパ各国で王位・大公位に就けられていた者は、すべてその地位を失ってしまった。ただ一人、スウェーデンに現存する王朝の初代国 王・Bernadotteを除いて…。
1818年にカール14世ヨハンとして正式に国王となったBernadotteは、以前のような国民の人気者ではなかった。彼はスウェーデン語を生涯解 さず、反動的な政治を行った。また、祖国フランスの王位をも狙ったが、フランス国内での支持をほとんど集めることができず、実現しなかった。
絶対的権力を手に入れた男は、権力者を嫌って体に刻んだ「王侯に死を」という刺青をどうにかして消し得たのだろうか。

セントヘレナ島での囚人時代のナポレオン語録がある。 「Bernadotteか・・・恩知らずな奴だ。余が出世させてやったというのに。だが、裏切りとは言うまい。奴はスウェーデン人らしくなっただけだ…… だから余は奴を恩知らずとして非難するが、裏切り者としてではない」

Bernadotteは1844年に他界した。その16年後に妻のデジレは83歳で亡くなったが、枕の下からかつてナポレオンに宛てて書いた恋文の下書 きが何通も発見されたという。死ぬまで愛した男ナポレオンの栄枯盛衰を、運命に翻弄されながら見守り続けていたスウェーデン王妃の悲しい逸話である。


▲故郷ArgentatにあるDelams将軍の胸像

パリの観光名所の一つ、凱旋門。この門の東側、シャンゼリゼ通りに面した支柱16番にDelmas将軍の名前は刻み付けられている。戦死した他の将軍や 連隊長と共に。

Delmas将軍研究家のVacher氏は語る。
「コレーズはDelmasを誇りに思うだろう。ヴェルサイユがHocheを、シャルトルがMarceauを、le Puy-de-D ômeがDesaixを誇りに思うように。Delmasは彼らと同じ類いの兵士だ。戦争と愛国への美徳を持ち、かつ無私無欲であるような」


〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia「カール14世ヨハン」「ナポレオン・ボナパルト」「デジレ・クラリー」
Delmas将軍の故郷Argentatの公式HP : http://www.argentat.fr/
フランス・コレーズ県の公式HP : http://www.correze.org/
ナポレオン1世研究サイト : http://ameliefr.club.fr/index.html