ポラントリュイだより: ロココ・新古典主義建築様式など ~歴史のうねりの狭間で~

2010年2月28日


▲ポラントリュイ城の大公司教邸宅部分
窓は18世紀に改築。大きな長方形の窓は切り石ですべて輪郭をつけられ、レゲンス様式であるアーチ型の切妻壁がっている。中には化粧漆喰で帆立貝、動物、バッカスなどが形作られている。

「歴史のうねりの狭間で」と、いうサブタイトル通り、曰くつきの時代。何度も書いているが、ヨーロッパ大国文化の中心から地理的にも経済的にもかけ離れ ているバーゼル司教公国は、流行には遅れがちであった。ようやくゴシックが定着したと思ったら、大国はルネッサンスだバロックだと次々と新しい建築様式に 則った建物を生み出し、ポラントリュイは何年も何十年も後を謙虚に追いかける、という有様であった。それでも、権力者や有産階級者が慌てて流行を追えるう ちは、公国の器に合った小さな幸福を享受できていたと言えよう。
1792年、フランス大革命軍は、ポラントリュイを含む旧バーゼル大公司教区を占領した。封建制度からの解放は、住民が自由と民主主義を謳歌できる体制 へとは、すぐに結びつかなかった。恐怖政治、そしてナポレオンの統治。ナポレオン没落後、スイス国ベルン州への従属。歴史の大波小波は、独立に向けて、住 民の精神を鍛え上げていく。

ごく忠実に建築史に沿っていくと、バロック後はロココ(語源はロカイユ=貝殻模様の装飾)様式となっている。時期的にはフランス王ルイ14世の在位期間 の終わりあたりからフランス革命勃発前まで。そしてさらにロココを二つの様式に大別すれば、オルレアン公フィリップの摂政時代(1715-1723)をレ ゲンス様式、その後をルイ15世様式(1723-74)という。(ちなみにその後はその人生同様、短期間のルイ16世様式。ポラントリュイでは有産階級者 の家の扉や窓などで見られる)


▲旧・中央市場詳細は、第33話・四大「ホテル」その4をご参照に。ちょっと貧弱な体の巨人二人に注目。

権力者の癒しの場として発展した、繊細・華麗にして耽美的なロココ様式は、司教公国に本格的に取り入れられる前に終焉を告げる。
フランス大革命勃発。革命軍到着直前、バーゼル大公司教は国を捨て去った。逃亡生活が老体に応えたのか、2年後、亡命地コンスタンスで無念の死を迎え た。
ロココにはほとんど縁が無く、それに続く新古典主義建築が根付かないまま歴史主義建築の中に埋没していくと、ポラントリュイは身を翻したようにアール・ ヌーヴォーに飛びついた。ポラントリュイで華麗な花を咲かせたアール・ヌーヴォーについては次章でたっぷり述べるとして、ここでは影薄い新古典主義建築物 をご紹介する。


▲JUVENTUTI小学校
ピンク色に壁が塗られ、可愛らしいことは可愛らしいが、「もしかして、これは芝居に見られるようなセットか?」裏 に回と何も無いような錯覚に囚われているのは私だけか?(失礼!)

新古典主義建築とは、18世紀後期に啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式である。革命以前も、農民紛争鎮圧の梃入れを頼んだこと をきっかけとして、フランス王家とより繋がりを深めていた司教公国だが、いかんせん、時期的にはあまりに短期で、しかも続く革命の動乱と恐怖政治の最中、 流行に沿った新しい建物を建てる余裕はなかったようである。革命前・大公司教の権力の絶頂期、写真(上、2枚目)のようなバロック建築の中央市場の東壁に 取り入れられたぐらいである。
三角形の切り妻壁の中には、棍棒を持った二人の巨人が腰掛けている。この豪奢な建物は、革命軍に占拠され、その後、1年足らずの革命政府ローラシアン共 和国国民議会場→フランス共和国モン・テリブル県庁→ナポレオン政府下のオー・ラン県郡庁が置かれ、皮肉にもフランス支配体制の象徴的建物となった。ま た、ベルン政府下では裁判所と警察があり、常に権力と結びついてやまない数奇な運命をたどった。現在、州立図書館・古文書図書館・古生物学&考古学研究所 が置かれ、名実共にジュラの知的象徴たる建築物となったことは、誠にめでたい。
革命・ナポレオン時代を経て90年。JUVENTUTIという学校が新古典主義様式で建設された。この建物は現在でも幼稚園・小学校として利用され、次 女が二年間お世話になっている。改築はされているが、複雑に入り組んだ造りで、広いとはいえない中庭もあり、小学校というよりは当時のお屋敷という趣であ る。

さて、新古典主義とアールヌーヴォーの間に位置する、便宜的とも言える様式に歴史主義建築(折衷主義様式ともいわれる)がある。新古典主義建築では古代 ギリシア・ローマの建築が理想とされたが、19世紀になると中世のゴシックや近世のルネッサンスが再評価され、過去の建築様式のリヴァィヴァル運動が起 こった。写真の、改革派教会(プロテスタント教会)はネオ・ゴシック、現在はアパートとして複数家族が住む建物(1905年建設)は、ネオ・ルネッサンス と位置づけられる。

これは私的な感想であるが、「新、ネオ」様式はいずれにしても過去の踏襲なので、嘘っぽいといか、本家に比べればどことなく重厚味に欠けるような気がす る。日本の娯楽施設で、突然、ローマ神殿風の内装に出くわした時の気持ちと似ているかも知れない。


▲プロテスタント教会は、すっきり爽やかなネオ・ゴシック様式
おどろおどろしい中世暗黒時代の教会のような貫禄は無い。

▲私の家から目と鼻の先、元々は歯医者のために建てられた大邸宅だが現在はマンションとして数家族が暮 らしている。
Last Update: Nov.23,2007