第三回 上座部仏教 (2)

2018年7月6日

 今回の写真は、ヤンゴンのチャウタッジーパゴダにある、長さ70メーター、高さ17メーターの寝釈迦像です。前回の高さ100メーターの黄金のパゴダとはまた違った迫力でしょう。

さて前回は、ミャンマーにおいて仏教が篤く信じられていると申しましたが、今回は、彼等の仏教の内容についてご説明します。
ちょっとだけ難しいお話をしますと、お釈迦様が亡くなられてから約百年後に、仏教の教団が、保守的な上座部と、革新的な大衆部に分裂します。上座部とは、誤解を恐れずに要点のみを言うと、お釈迦様の語られたことを厳格に守り、修行を重ねた僧侶だけが悟りを開く(輪廻転生から脱する)ことができると信じる僧侶達で、これが現在、スリランカ・タイ・ラオス・カンボジア、そしてミャンマーで信じられている上座部仏教に繋がります。一方の大衆部は、新たな解釈を付け加えて、仏教の力で、僧侶以外の在家の人達をも救えると信じる僧侶達であり、これが、その後大乗仏教の諸宗派に発展して、現在の日本の仏教に繋がっています。「大乗」とは、僧侶だけではなく、在家の人達も全て「救う」、つまり「極楽」浄土に連れていくことのできる、大きな乗り物、という意味です。
上座部仏教でいう「悟りを開く」とは、「輪廻転生」の循環から脱するということなのですが、大事なのは、ミャンマーの人達は、本気でこの「輪廻転生」を信じていることです。つまり、偉いお坊さんになって悟りを開かない限り、死んだら、自分が現世で行ってきたことに応じて、天人道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つの内のいずれかに生まれ変わり、それが永遠に続くのですが、普通の人の本音は、苦しい修行を経て悟りを開いて、訳の判らない世界に行ってしまうのではなく、来世も何としても人間に生まれ変わりたい、ということです。その為には、現世において、それに相応しい行いをしなければなりません。(人間道以外の5つについての説明は、いつか別の回にいたします。) 私は、ミャンマーの人達が、そう信じていることこそが、彼等の温厚・親切・気配り・笑顔の最大の理由であると考えています。
来世も人間に生まれ変わるに相応しい、正しい行いとは、何か。殺人や盗み等、お経において明確に禁じられていることは、当然、絶対にやってはならないのですが、お経に書いてないことは、時々は偉いお坊さんの助言を求めることはできても、その時その場の状況に応じて、自分で判断しなくてはなりません。法律上は許されることであっても、自分が、「これは悪いことだ」と感じたら、やってはいけないのです。一気に結論に飛びますと、そのことが、ミャンマーの長い歴史と文化の中で、「自分の周りの人を悲しませることは、大きな罪である」という信念を形成してきました。とはいえ、人間ですから、いくら気をつけていても、意図せずに人を傷つけるようなことを言ってしまいますから、その罪を償う為に、積極的に人を幸せな気分にするように努力しなくてはなりません。人を悲しませた罪は、人を幸せな気分にすることでしか、償えない。いくらお寺やパゴダに寄付しても、駄目です。だからこそ、ミャンマーの人達は、いつもニコニコしている訳です。第一回でご説明した、家族のことを気遣って家族と共に夕食を楽しもうとするお父さん達の話も、これが理由です。
とにかく、人を悲しい気持ちにさせたくないので、いわゆる「NOと言えない」こととになります。(昔、NOと言えない日本人という本がありましたね。ミャンマー人と日本人の親和性が高い理由はいくつかありますが。ここも重要な点です。)それがプライベートな会話だけならよいのですが、仕事上で上司からなされた指示・命令に対して、それが無理筋だと思っても、その場で明確に断れず、一旦引き受けてしまう、というパターンに嵌ってしまいます。ミャンマー人同士なら、表情や仕草で、相手の真意を汲み取るのですが、昔の私も含めて、日本人の駐在員は、そんなことは判らず、部下や友人のミャンマー人が指示通りに出来なかった場合に、怒ってしまうのです。
往々にしてミャンマーの人達は、自分に責任の無い、いわば「不可抗力」によって約束を守れなかったことについて、とても寛容で、その「不可抗力」と見做される事柄の範囲も、我々日本人の平均レベルよりは、広いです。(まあこの点は、日本人の方が狭すぎるのでしょうが。)
それでは、もし仕事上、日本人の駐在員が、ミャンマー人の人達に、絶対にやって貰わねばならないことを頼む際の秘訣を、申しましょう。その人が、誠意をもってやろうとしたが、何らかの「不可抗力」のために、期限までに出来なかった場合に、その駐在員の勤務先の会社に少々損害が発生しても、彼等は罪悪感を抱きません。そうではなく、頼む人、頼まれたミャンマー人の上司或いは友人である日本人が、窮地に陥るのであれば、全く話は別です。つまり、最初に頼む時に、それを期日までにできなかった場合に、会社ではなく、頼んだ人がいかに厳しい立場に追い込まれるかということを、ちょっと大袈裟に訴えるのです。そうしておけば、「不可抗力」が発生した際に、期日まで待たずに、早めに報告してくれます。そして、ここが大事ですが、それでも出来なかったことに対しては、決して怒らず、精一杯「悲しい」表情で、うなだれておけば、その頼まれたミャンマー人との信頼感が深まっていくでしょう。

次回も、この上座部仏教の影響について、別の確度からお話ししましょう。