牡丹江

2013年12月22日

故郷牡丹江は昭和9年の人口が1万7000人、12年には12万人に達し吉林省から別れ牡丹江市となった。

図門と佳木斯(ジャムス)を結ぶ図佳線敷設に伴い新牡丹江駅(現在の牡丹江駅)が造られ ハルビンと綏芬河を結ぶ線がここで交わる。 嘗て奉天(現瀋陽市)新京(現長春市)の次なる大都市目指して関東軍、南満州鉄道によって 急速に開かれた牡丹江市は碁盤の目のように整然と道路が敷かれ今なお現役である。 なかにし礼の『赤い月』に出てくる地名がそのまま残っている。 例えば東、西太平路平安街、三条街、四条街…

母の没後見つけた書きかけのノートに 「社宅の庭には真っ赤なサルビアの花が咲きブランコで燥ぐ子守のクーニャンと子供たち。 給料は内地の三倍で楽な暮らし向きに感謝する日々。」と、記されていて 恐らく牡丹江生活を思い出して書きつけたのであろうが、 母は引き揚げの苦労を語らなかった。語れなかったのだとサルビアの花に母を思った。