紹興ー魯迅のふるさと

2013年10月13日

ホテルのフロントと仲良くすると何かと都合がいいのは確かです。旅行社に出向いたり電話しなくても1日ツアーの申し込みもしてくれます。前日申し込み翌朝出発と簡単。迎えのバスに乗せられ各ホテルから集められた客は一日一緒に行動します。 杭州市内を出ると、高速道路の左右には茶農達の立派な住まいが林立、美を競っています。ツアコンが“浙江省の農民は貧乏ではありません。茶、養蚕が盛んで寧ろ豊かです。ほら、ご覧ください。彼らの住まいを”と指差します。それからやおら本日のスケジュール―魯迅故居―紹興東湖―沈園―蘭亭―梅霊茶苑、を説明して仲間の印のバッジを手渡していきます。“バスは浙1B××××.私(ツアコン)の携帯電話××××・・自由行動後は毎回きちんとバスに戻ってくださいよ。10分しか待ちませんよ。、 5分遅れたら歌って貰います。7分遅れたら踊って貰いますからね。’と脅します。  70kmを.ひた走り1時間20分後には紹興市内に到着。杭州市より面積は広くて 8258平方kmある。人口439万人。市花 蘭 呉方言は硬い感じ。 魯迅故居: 『狂人日記』『阿Q正伝』などの著者魯迅―本名周樹人、周恩来とは遠縁にあたる。 浙江紹興城―江南古城―内で水田4~5畝を持つ裕福な封建家庭に生まれた。祖父は清朝の進士(科挙に合格した役人)であった。父も秀才だったが進士に及ばなかった。魯迅13歳の時、祖父が科挙の試験に関して収賄疑惑で入獄、一家は没落、魯迅は苦学を余儀なくされた。       *中国の1畝は6,667アールで日本の1畝は1アール

 

2003年竣工再現した清末民国初めの典型的歴史街に魯迅が幼い時、よく遊んだ百草園、祖父母の住まいや暮らしの家具、道具類などが保存されている。 江南風情を知りたければ紹興へ、江南文化に触れたければ紹興へといわれるほど保存がよい。もっとも『故郷』を読むと殆どめぼしいものは売り払ったり人にやったりしてここを引き払ったとなっているが、自宅の裏には立派な船着場が残されている。魯迅の母親もかなり高尚で文学作品を読みこなす程度の人だったからその影響は大きい。

『故郷』に故居のことがよく描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魯迅の文学は余り知らなくてもこの文は学生達もよく知っている。少年期学んだ私塾三昧書屋もここに残されている。 三昧書屋: 約35㎡の質素な私塾は当時かなり有名だった。魯迅は12歳で入塾名師寿鏡吾の下で 5年学んだ。中国の伝統教育の『四書五経』のほか『唐詩』や古典文学も教わった。他の塾と異なるところは『水滸伝、紅楼夢 儒林外史 』など暇つぶしに読む本といわれたものから悪書と呼ばれたものまで塾生は幅広く読むことができた。魯迅は師を公明、質朴、博学の人 と敬い心達・眼達・口達を旨としたので抜群の進歩を遂げ褒められた。