六稜NEWS-080129
大田先生の追悼

reporter:六稜58期同窓会


わたしたち北野中学58期生が、第二次世界大戦の非常時下の昭和17年から昭和20年まで担任していただいた大田守先生(平成19年12月19日他界)の訃報を聞き、98歳の長寿をまっとうされたことに感無量ですと同時に先生の追憶がよみがえります。

先生の故郷は広島県宮島で、広島高等師範出身で、わたしたちは物理を教わりました。戦況が日々悪化する昭和19年7月から、わたしたち5年3組は学徒動員のため、大田先生引率のもと、豊中市内の軍需工場「石産精工」に配属され、人間魚雷の頭部や、体当たり用の爆装品、海軍の戦闘機「紫電改」の部品の製造組み立て等の仕事に従事しました。
しかし、作業靴もなく、ゴム草履によれよれの作業服、昼食はパサパサの高梁食や大豆飯の弁当で、ものすごい高熱・騒音・粉塵の作業場……その中で、先生と一緒に頑張り、懸命に働きました。

しかし昭和20年6月7日、米軍の空襲による爆撃とP-51の機銃掃射により、級友の村川一正君が焼夷弾の直撃を受け即死、橋本修君、福井弘君が大火傷を負いながら必死に逃れました。

忌まわしい戦争の貴重な体験をしたわたしたちですが、大田先生こそ工場でのわたしたち58期生を命がけで守ることに心を砕かれた素晴らしい熱血の先生でありました。あの国民服姿は先生の風格そのもの。いまだにわたしたちの目に焼き付いています。

今はただ、ひたすらに心からご冥福をお祈りするばかりです。

Last Update : Feb.2,2008