われら六稜人【第7回】わたしは好奇心のかたまり

第2展示室
北野での収穫?!

    • 昭和二十八年十月十九日北野高校七十周年記念文化祭

      “泉のほとり”に出演 伊勢豊子

  • 北野ではダンス部を創設しました。
    1年上の先輩に「六野」さんという方がおられて、階段教室で一緒に創部についての趣意を述べたんですね。男子生徒からはいろいろと質問されましたが、ひと つひとつ説明して何とか認めてもらいました。これが「創作ダンス部」の誕生です。部員数は最初は15~6人からスタートしましたが、30人くらいにはなっ たと思います。発表会の時には宝塚からチュチュを借りてきて…いわば「本格的」にやっていたんですよ。
    顧問は奥先生と塚田先生。先生方の「創作ダンス」の研究会にもよく参加させていただきました。 授業中はお手本を見せたりしてお手伝いもしていました。

    これが当時の写真なんですが…

    実はこの裏書きに、

    とあって、最後に「丸野氏による」(撮影)というメモ書きがあるんですね。「伊勢」というのはわたしの旧姓です。
    主人の「丸野」とは、実は北野の同級生だったのです。

    まさか当時、わたしは丸野クンと結婚することになるとは思ってもいませんでした。この写真とて…他の部員もみな一様に撮ってもらっていたものと思います。 運命の出逢いは1年生の時、同じクラスだったのですが、定期券購入のために事務室前に並んでいた時のことです。わたしが生年月日を記入していると、後ろか ら「どうして僕の誕生日を知ってるの?」という声が聞こえたンですね。主人とは誕生日が全く同じだったんです。こんなこともありました。

    クラスの雑談で話題が「結婚相手の理想像」になったんです。

    他の人はみな口を揃えて三「高」(背が高く、学歴も高く、収入も高い…そのうえ美男子?!)のようなことを条件にしていました。わたしが「心の優しい人であれば他に何も求めない」と言うと、彼は「変わってるね」と答えていました。

    実際に彼と結ばれたのは大学を卒業してから。わたしは大学の研究室で先生の手伝いをしていたのですが、どんなことでも包み隠さず話すことができ、信頼のお ける「同級生」であった彼とは、考えてみれば北野時分から非常に身近で理解しあえる「親友」だったのです。友人というのはかけがえのないものです。

    他にも親友はいます。いつ連絡しても仕事や家事の都合をつけて会ってくれる人、しばらく連絡しなかったら心配してくれる人、お互いに相手の立場に立って話 し合える人など…素晴しい親友がいます。でも、主人とは「戦友」と言ったほうが相応しいかも知れません。ともに生きてきた、同じ人生を歩いてきた仲なんで す。単に北野高校の同窓生というだけでは…たとえば年が違ったりすると…必然、興味の対象も違ってくることもあるようですからね。

    そりゃあ喧嘩はしますよ。もめた時は「別行動」です。わたしたち夫婦は年に一度、1~2ヶ月程度、海外旅行をしていますが、そんな時でも喧嘩はします。ただ、外国ですとホテルには戻ってきますからね。否応なく夜には「仲直り」ですが(笑)。

    これは後で両親から聞いたハナシですが…わたしが北野高校在学中に、実は両親は密かに結婚相手を探していたようなんです。そういえば「体育の時間はい つ?」などと、不思議な質問をされた憶えが何度かあるのですが…どうも、わたしが運動場にいる時を見計らって、両親は「候補」の人にわたしの姿を遠くから 見せていたようなんですね。

    でも、わたしの北野で一番の収穫は「主人」なんですよ。

Update : Mar.23,1998

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