われら六稜人【第40回】思えばコピーライターの走り

第6章
「金鳥の夏、日本の夏」

    当時、女性のコピーライターなんてものすごく少なかったです。宣伝技術局にはデザイナーとカメラマンとコピーライターがいるんですけども、全部で100人 ぐらいの所帯の中で女性が4、5人。だけど、電通という会社は男女みんな同じように扱ってくれましたけどね。回りを見ましたら、みんな大卒ですよ、当然。みんな慶応とか早稲田とかの大学を出てはる。京大、阪大というのはあんまりいなかったけど(笑)。今は知りま せんよ。
    私だけぐらいじゃないかな、高卒は。だから給料面とかで、職階制では遅いじゃないですか。今まで私のアシスタントについていた人が、ある日突然上に上がる とかね。そんなんはありましたよ。そういう悔しさはありましたけどね。だけど「どこ出た?」って聞かれて「北野高校」って答えたら、みんな「ええっ!」っ て驚くの。下手な大学の名前言うよりはずっと効果がありましたね(笑)。「北野出いうたら秀才ばっかりの筈やのに、こんなミーハーも居るんか」って。ミー ハーでスミマセン(笑)。とにかく北野出ててよかった。それはもう、ほんとに北野には感謝しますよ。

    男女の差別はないし、実力の世界ですからね。こういうクリエイティブの世界って。だから、電通入っていろんな仕事もやらせてもらいました。ハウス食品さん を一番長く担当したんかな。「今夜はあったかいシチューです」というので新聞、テレビ、ラジオ、雑誌…全部総合のキャンペーン張りましてね。それで総合電 通賞を取りました。

    それから一番思い出深いのは…今でもオンエアーしている「金鳥の夏、日本の夏」。美空ひばりさんを一番最初に使ったCMです。みんな「美空ひばりがコマー シャルなんか出えへんやろ」という頭があったんですけど、営業の方が「とにかくかけ合ってみる」ということで、交渉したらOKになってね。
    その頃、私らの宣伝技術局とラテ(ラジオ・テレビ)企画制作局いうのが統合してクリエイティブ局という名称に変わったんです。だから、一つの仕事を担当し ても総合的にキャンペーンを張る場合は、テレビのコピーも新聞のコピーも全部考えなあかん。で、金鳥さんの時は、テレビ担当の人に「最後、何か『止め』の ええフレーズが欲しいねん」と言われて。みんな会議室でね、スポンサーも来てはったんですよ。「何がええやろな」言うて…それで私が、まあ、いろんなのを 言いましたけど、その中で「『金鳥の夏、日本の夏』なんてどうです」言うたら「それ、よろしいな」いうことになって(笑)。

    タレントは代々変わってるけど、そのコピーはいまだに何十年も続いてますよね。会心の自信作のひとつ。だけど、その時は私、部屋へ引き上げてから、ものす ごく上司に怒られてね。「コピーライターは原稿用紙に書いてナンボなんや。口でパーンと言うてしまうもんあるか!」って(笑)。
    私らの仕事…記名式やないからね。「あれは自分が作ったんや」言うてる御仁もいるみたいですけど(笑)。周りの同僚とか、知ってる人はみんな知ってますけ どね。

Update : Mar.23,2001

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