われら六稜人【第37回】神の御手となりて

2度焼き
韋駄天やんちゃ坊主

    小学校の先生に「どうしても北野行かなアカンで」言われてね。北野中学といえば海軍スタイルの制服でガキ大将も憧れの的やったわけよ。それで軽々しく「ほ な行きますわ」いうて返事したら、「そらそやけど、ちょっと難しいで」「じゃ、ちょっと勉強します」それで6年生になって初めて受験勉強というものをした わけや。それまで何も勉強なんかしたことない。全部一夜漬けみたいなもんやな(笑)。ほんまに。
    当時の試験科目は歴史一本。それだけ。他に何にもなし。数学も英語も無かった。何年に、誰が、何をした…って全部覚えとかなアカンわけや。だから記憶力が 勝負や。歴代天皇もみんな覚えたで。「第何代天皇は誰ですか?」って尋ねられるんや。パッと答えたがな。そんな問題が出るんよ。だから記憶力のええ奴ばっ かり入ってくるの。それで昭和12年(1937)にめでたく北中生になった。校舎はもう十三に移っていたから最寄り駅は塚本。高槻から省線(=国鉄、現JR)の汽車に乗って 大阪駅まで。それから電車に乗り換えて塚本駅や。全線電化されたのは北野の4年生の時かな。それまではとにかく大阪まで汽車ぽっぽで出て来てた。ポーと汽 笛を鳴らして、ゆっくり動き出すやつ。あれでね。
    塚本駅からは全速力ダッシュや(笑)。もっと早い便に乗ればいいんやけど、いっつもギリギリや。改札口をぱーんと飛び越してね。足には自信あったからな。 北野でも陸上やってた。長距離選手や。けっこう強かったよ。5000メートルで16分40秒くらいやったかな。対抗戦で優勝したこともある。断郊競走はい つも一等や。スパイクなんか買うて貰われへんかったから、裸足で走っとった。それでも一等なっとったんやで。5000メートルも走ると皮がちょっと剥け よってな。包帯巻いて行くんやけど、すぐ取れてまうねん。痛かったけど、楽しかった。
    もう毎日、練習や。北野を出て阪神国道の橋わたって…長柄橋をずーっと回って帰って来る。大体12,000メートルくらいあるわな。それを毎日走るのが陸上部の練習や。帰ってきたら腹ぺこ、勉強なんか出来るかいな。毎日が練習やった。

    そんなんやったから勉強はきつかったで。なんせ60点以上取らな落第するんやから。赤点60点やで。そやけど一夜漬けの名手や。予習復習一切なし。出来へんねん、毎日走ってばっかしやから。しんどうて、眠たなってしもてな。
    一番きつかったのは数学。これはね、始めにしっかり基礎をやらんと…後からもう付いて来れへん。数学だけは辛かった。今でも嫌いや(笑)。授業で順番が 回ってくるわな。「では、次の人~」しゅーんと首すくめるわけや。宿題やってきてへんさかい。はははは。あれだけは怖かったな。


    ボウズ(水鳥)先生の授業風景
    撮影:藤田田氏

    けど、英語だけは好きやってん。いっつも暗唱2ページくらい言わされるわけや。でも、2回読んだら不思議と全部覚えたね、あの当時は。だから英語の時間だけは心配なかった(笑)。ええ点やったで。
    卒業の時に模擬試験ってのがあって、その結果で先生が太鼓判をくれるわけや。「おまえやったら三高、大丈夫や」「おまえはどこそこや」言うてな。その当 時、わし、英語一番やったんや。びっくりしたで。ほとんど満点や。すごかった。英語ってのは暗唱が一番やな。それだけは「ボウズ」にありがたい思て感謝し てる。水鳥先生のおかげや。今でも若いときのやつが自然に出てくるよ。

    「ギンバエ」いう先生もおったな。数学の先生。本当の名前は何ていうたかな…あだ名しか覚えてないわ。失礼千万やな(笑)。そやけど、教壇でチョークを こーやって揉みよるんや。それが蠅の仕草そっくり。頭にちょっと銀髪まじってたから、それでギンバエや。はははは。ええ先生やったけどね。
    校長先生にも叱られたことある。当時は校庭の東南隅に校長官舎があって、長坂校長が一家で住んではった。なかなか温厚な人格者やったけどね。何年生の時 やったかな…2つ下の弟も北野に来ていて、よう兄弟喧嘩をしてたんや。校庭の中で弟を追いかけ回しとってん。石投げやがるし、捕まえてどついたろ思て。逃 げ足が早うてな、捕らへんのよ。上手いこと石が1つか2つ当たってな。そこへ校長先生の娘さんが来はって注意されたわけ。「本当にそういうことをしてはい けませんよ」それで校長先生にも筒抜けで怒られた。いやーまぁそれは子供やったわ(笑)。

    当時は軍国主義の台頭はなはだしき頃や。北野にも配属将校が2人おった。万年特務曹長で「マントク」、犬みたいな顔しとるほうが「チントク」や(笑)。特務将校っていうのは今で言うたら准尉やね、少尉の一つ手前や。わし、このチントクにも怒られたことあるんや。
    体育館の南側に兵器庫っていうのがあって、そこに三八式の小銃がずらーっと並べてあんの。そこへラッパ持って行って、よう吹いとったんや。演習の時は、わ しラッパ手やったから、分列行進曲を全部吹くんや。あれ…長いこと吹き続けると頬が痛うなるんや。疲れるやん。それで演習の時間始まってしもて整列に遅れ たんや。ラッパ吹いとってな。
    「後で職員室来い」チントクに呼び出されて、しゃあないから行くがな。「そんなにラッパ好きか?」「はい、好きですねん」「ほなここで吹いてみぃ」「は い、吹きます」言うて。昼休みの職員室で「君が代」吹いたった。そんなら50人の先生が一斉にこっち向くやろ。一気に視線が集まってしもて、さすがのチン トクも「おまえ、ほんまに吹くんか。やめてくれ。もうええ、もうええからやめてくれ」はははは。半分くらい吹いたった(笑)。

    それで一躍有名になった。「あれか、職員室でラッパ吹いた奴は…」。とにかく、やんちゃやった。やんちゃやけど真面目やで。一遍も欠席せなんだからな。5年間「皆勤」ちゅうやつや。風邪引いても行っとったから。身体は陸上部で鍛えてたからな。元気なんや。

Update : Nov.23,2000

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