われら六稜人【第29回】レンズに魅せられた男

3等星
一冊の本との出会い

    さて、めでたく北野に入学して…一生懸命頑張ったのですが、追いつかなかったですね。中学校の時は(皆さんそうだったと思いますが)勉強なんかそこそこい けたと思います。そんなにがむしゃらに努力しなくても、クラスで1番や2番にはね。新聞配達して、ガキ大将して、たまに教室で本読みして…お山の大将でし たよ。それが北野に入ってガツンと頭を押さえつけられた。痛烈にそれは感じましたね。気持ちのやりどころに困った。
    心情的にはかなりのダメージでしたが、今振り返ってみるとそれが却ってリバウンドになりましたね。その後の私の人生にとって、いいショック療法だったと思います。中学生のまま大人になっていたら、 きっとどこかで挫折していたと思います。そんな高校一年生の夏休みに偶然1冊の本に出会いました。木辺成麿先生の『反射望遠鏡の作り方』です。街の小さな本屋さんで立ち読みをして…純粋に「星を 見てみたい」という気持ちもあったのと、何よりニキビ面した少年の心に鬱積する気持ちが「この夏休みに何かを作ってみたい。やり遂げてみたい」という衝動 で一杯になったのです。何時も心にやるせなさを感じる毎日でしたし、エネルギーのはけ口を求めていたんですね。まさに「渡りに舟」という感じで…早速この 本を買って帰り、夢中でページを繰りました。
    木辺先生はお寺のご住職でもあり、アマチュア天体望遠鏡づくりのパイオニア的存在で、反射鏡研磨の実践と研究を重ねておられ、わが国の天文学の発展に多大 な貢献をされていました。私は、ことの重大さもあまりよく考えずに「よし、やってやろう」と思いました。 この1冊の本だけを頼りに、まず材料集めから始めることにしました。

    昭和31年当時、終戦から10年ほどしか経っていませんからね。そんな都合の良いガラス材はなかなか見つかりませんでした。町中探し歩いて、ようやく立売 堀で元軍艦の窓ガラスを発見したのです。厚さ25ミリ、直径42.5センチ。これを、新聞配達で溜めたなけなしのお小遣いをはたいて購入しました。
    実はその横に直径25センチくらいの小さな窓ガラスもあったのですが…しかも、木辺先生の本には15センチ級のものの作り方しか書いていなかった。でも、 素人の怖いもの無しとはよく言ったもので…「15センチのものが出来るのだから、少し工夫しさえすれば30センチでも40センチでもワケないだろう」そう 軽く考えていたのですね。迷わず、大きいほうを買って帰りました。
    後から聞いた話ですが、直径を3倍にすれば難易度は3乗に比例するくらい難しくなる…と。大変なんですね。やはり体積の問題なのです。15センチ級のもの と40センチ級のものとでは10倍以上も難しいのでした。ただそれは…作りながら、後からだんだんと分かってきたのですがね(笑)。

    夏休みはずっとガラスを磨いてました。2枚を摺り合わせて凹ますところまではいきました。休みの終る頃には、私なりに反射鏡の原理や精度や理屈が少しずつ解かるようになってました。

    今でこそ干渉計などの測定器具がありますが、当時は懐中電灯で鏡面を照らして曲率を計測していました。球の中心から光を出せば、光はそこに集まってきますからね。それで焦点距離や曲面を判定するのです。
    私は本を参考にして光源を改良し「フーコーテスト装置」を作って早速、鏡面測定を始めました。ところが、そうして気がついたのですが…25mm厚のガラス板では、薄くて歪みを生じてしまい、求める鏡面精度が得られないことが判ったのです。
    これは大問題でした。一度は、研磨を断念することまで考えました。でも、その時の私の心境としては、もう前進はあっても後退はない…という状況だったのです。

    そんな時、思い出したのが親父のこんな言葉です。「名工、柿右衛門がカンナをかけた材木は、その木と木を合わせるだけで吸い付いて離れなかった」と。私は 「これだっ」と思い、早速、新たにもう1枚のガラスを購入してきて…苦心の末、両面を限りなく平面にして、それらを水と研磨剤をペーストにして張り合わせ たのです。
    この時考案した「真空セメント接着法」は、40年たった今でも実践しています。

    夏休みが過ぎて、あとは放課後の作業となりました。それでも新聞配達は続けていました。製作のための資金を稼がなきゃならなかったからです。
    ガラスを磨きながら、架台や望遠鏡本体の構想がふくらんできました。手塚治虫さんの漫画『鉄腕アトム』に出てくる天体ドームから望遠鏡が飛び出している… あの絵が大きな夢となり、研磨する手に力が湧いてきました。そうしてその秋、ようやく鏡面テストに放物面の影が出はじめたのです。さらに「精度」を追い求 め続けて…当初は焦点距離4m、F10(ちなみに「F」というのは焦点距離を口径で割った数値)を目標にしていた鏡面が、最終的には苦労の成果が積み重 なってF9.3に縮じまり、その冬、主鏡は無事一本のキズもなく完成しました。
    研磨精度を追求するのに約5ヶ月を要したことになります。ガラス同士をこすり合わすのに何回動かしたかというと…1秒で1回磨いたとして(1日は 86,400秒ですから)1日4時間磨いて約15,000ストロークですね。延べ100日は磨きましたから、150万回。本当はその何倍もね…。その後も、補正研磨、鏡面テストを重ね、寒くなった冬の日、この鏡を池田市にある通産省工業技術院にもって行きました。心配顔の私に、足立巌技官は「よ う、ここまでやったね。1/10μくらいの精度は出ているよ」とお褒めを頂きました。放物面に近くいい面が出ているよという訳ですよ。うれしかったです ね。暫く涙が出ましたよ。あとで星を見てもそこそこいい像が出ていましたよ。
    結局、工業技術院の御厚意でアルミニウム鍍金を施していただけることになりました。こうして遂に反射鏡が出来上がったのです。この時「Y=X2乗」の回転放物面を前にして、学校で学んだ物理や数学の理論が、具体的な形をともなって実感した…不思議な感慨を覚えました。

    それまでは「北野高校生である」という自意識もありましたから、授業は1日も休みませんでしたが、それからが大変でした。平面鏡も作らねばならない。何百キロにもなる鏡筒も…これから作りあげねばならなかったのです。

Update : Feb.23,2000

ログイン