われら六稜人【第27回】ある音楽家の生涯

第12楽章
アメリカという国

    日本の映画は音無しで先に絵を撮ってしまいます。そのラッシュを見ながら作曲家が徹夜で音楽をつけ、写譜屋が譜面を起こし、待機している楽団がやはり徹夜で演奏する…そういう作り方をするので日本の映画音楽にはろくなものがないんです(笑)。
    ところがアメリカの場合、映画を作る最初のスタッフ会議から既に、監督は主演男優や主演女優以外にも必ず作曲家と音楽監督を呼んで、どういう映画に仕上げ たいか…という打ち合わせをするのです。録音は本物のシンフォニー・オーケストラの演奏でね(好例はかの有名な「ビクターヤング・オーケストラ」です ね)。だから、音楽というものの使い方や感じ方、考え方がまるで違うのです。これは、そんなアメリカでの想い出。


    Boston Harbor Hotel

    姪がボストンの学校に行っておりまして、その卒業式を兼ねてボストンを訪ねた時のこと。姪がボストン・ハーバーホテルを取ってくれまして、それがものすご く風格のある格式高いホテルでね。日本で「帝国ホテルがいい、ロイヤルホテルがいい」と言っても…あれに勝るほどの品格を備えたホテルは無いんじゃないか な。

    昼間に公園を散歩して、ちょっとしたレストランで食事した、その夜のこと。非常に疲れておったものですから…ホテルのダイニングルームに帰って食事をする のも、正装に着替えるのが面倒でもあったし、部屋には簡単なバールームがあって飲み物がふんだんにあったので、この辺りでピザでも買って帰ってそれで夕食 に代えよう…そう、思ってピザ屋に入った時のこと。日が暮れかかってたので18:00前だったでしょうか。行列ができていて10番目くらいだったかな。
    中へ入ればそこで食べることもできるお店でしたが、われわれがカウンターで「お持ち帰り」の注文をして待っていると、黒いタキシードを着た年配の白人ピア ニストがピアノを弾き始めたんです。客席はまだほとんど空でしたけど。またそれが最高に上手いんですね。クラシックばかり…チャイコフスキーやショパンの 小品を次々こともなげに演奏していく。ボクが思わず小さく手を叩くと、彼は一瞬ニヤっと顔をほころばせながら、また次の曲を演奏するんです。

    そのうちお客さんが次第に入り始めた。場末のピザ屋のBGM弾きですから…普段は拍手なんかする者もいないんじゃないかな。それがあんまり上手いもんだか らボクが聞き惚れて拍手してると、中のお客さんも皆同じように手を叩き初めてね。1曲1曲…クラシックの小品ばかりだったけど、本当に上手かった。だんだ ん拍手もエスカレートしてボクが本気で叩き始めたら、お客さんも同様につられて大喝采になった。ついに彼は立ち上がって会釈をしてね。 嬉しかったんだろうね。演奏家冥利につきるというのか…。
    何曲か…そのような演奏が続いたあとで、ボクの注文したピザがついに焼上がった。ボクが彼に「どうもありがとう」と目配せしてその場を立とうとしたその瞬 間、彼はピタリとそれまでの曲をやめて、初めてジャズのナンバーを弾き始めた。それがガーシュインの「Someone to watch over me」。非常に有名な曲ですから、お客さん全員の大合唱になって…曲が終わったときには喝采の嵐でした。そうしてボクが帰ると、また彼は静かなクラシック のナンバーに戻って、いつものBGM弾きに戻っていったのです。
    無名の老ピアニストなんでしょうが、技術や腕は日本の中村絃子さんにもひけを取らない位で、かつ円熟したものでした。

    そんなピアニストがいましたね。アメリカという国は音楽家の層が厚い。ボクはよほど「日本に招聘したい…」くらいの感動を催しましてね。その晩もう一度、 盛装に着替えて聞きに来たいと思ったくらいです。ボストンのあるピザ屋のピアニスト。今もまだ彼はあそこで演奏をしているのかな。

Update : Dec.23,1999

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