われら六稜人【第23回】琉球の大地に生きて

第5畝
もうひとつのサミット

    私はいろんなことをやってきたけれども、生き方において不真面目ではなかったと思います。昭和15年に生まれ、昭和22年に新制小学校の1期生で入学しま した。そこで一番純粋な民主主義教育を受けました。ホームルームでは先生が小学生に「とにかく自由に発言せよ!」と言うのですから。そして1950年に朝鮮戦争が起き、東西の冷戦時代を中高生の時に過ごしました。1960年の日米安全保障条約の時にちょうど大学生で…めまぐるしい時代変遷の中で、私はその都度「自分に正直に」生きてきました。
    人生、何が出てくるか分からないが、真面目に自分に正直に生きていると世の中が見えてくるような気がします。全ての時代の流れが血肉化しているので、世の中の流れが手に取るように分かるのです。

    来年、名護でサミットが開催されます。名古屋、福岡、大阪などが数年前から準備をしていたにも関わらず、こんなところで行われることになりました。なぜ、名護でサミットなんでしょうか?理由は明白です。基地問題があるからです。
    実は私たちも、自分たちの手で「もうひとつのサミット」を計画しています。そこで世界の婦人問題、青年問題、米軍基地の問題などを議論するのです。私は農業をやる立場として農業のできる環境を守りたいと思います。

    これまでも非常に面白い人生を歩んできたと思いますが、今後もさらに面白い人生を送る心算です。人生…「燃える」ものがないとボケてしまうでしょ。これだけは、探さなくても次々と出てくるのです。じっとしてはいられない性分なのでね(笑)。

Update : Aug.23,1999

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