われら六稜人【第3回】伝統を守る…2人の選択

内藤壽一氏(61期)の選択
商家の屋敷を遺す

    NHKのドラマ「ぴあの」の収録にこの家をお貸しするとき、「自分の目の黒いうちはこの家は壊さない。」と断言しておりました。しかし今日の日本の制度 では、私はがいなくなったあと、息子がこの家を存続維持するのは非常に困難を極めるのではないか。相続税を分割して納めていくにしても、勤め人(サラリー マン)という制約の中で、この家をどうしようか考える余裕がどれだけあるか。税金を納めるために、この家は他人の手に渡り「あれよあれよ」と言う間に取り 壊され、ビルが建ってしまう…。 機能的にはあと50年は住めるのです。にも関わらず、この家の寿命は私と同じ…。ならば、私がいなくなったあとに取り壊されてしまうよりは、先祖が「こ うして欲しい」と望むであろうことの例え10分の1でも…私自身が手をくだして後世に伝えていければいいのではないか、そう考え直したのです。

    大阪府に寄贈すれば建物は残るかもしれません。しかし、人が住んで、呼吸してこその建物であって「飾りモノ」の屋敷を残しても仕方ありません。畳なん か…人が踏まないと腐ってしまうんですよ。ガラスケースの中では家が死んでしまいます。この家を、たとえ部分的にでも残すことができるなら…私の決断にか かっていました。

    「この家を潰してしまって良いでしょうか?」
    私は先祖に「相談」しました。
    「もし絶対ダメだと言うなら…夢枕に立って欲しい」と。
    結局、誰も現れなかったので、私は自分の考えに従うことにしたのです。

    「なぜ、あの家を壊すのですか?」
    「保存の申請でもなさればよろしいのに…。」
    皆さんがそうおっしゃいます。他人事ですから。

    確かに、私の生きている間に保存が決定すれば良いのですが、そういう物事をお役所が決めるには非常に時間がかかります。その間の維持費もバカにはならないのです。だから、行政が何とかしてくれる…と期待するのは、的外れなことだと思います。
    「この文化遺産を残すためなら、私の税負担がUPしてもいい…」
    市民ひとりひとりにそのような感情があるなら、行政の対応も早いと思います。しかし実際、市民各人がどこまで経済的に参画することができるでしょうか?

    幸い…この家は「ぴあの」の家として、写真やビデオ映像として記録が残ることになりました。また、2000年にオープンが予定されている「住まいの情報センター博物館」にも模型を展示していただくことが決まっています。
    先日、そのための実測も行われました。屋根瓦や板壁、調度の一部も展示されます。とりわけ屋根瓦は、江戸時代と明治時代の瓦の違いを考証するための資料として重要なもののようです。建替え後の新ビルの最上階に、前栽のある二間続きの和室を設け、旧邸の部材(建具、長押、天井材など)も再利用(部分保存)して…住むことによって「命を伝えてゆく」つもりです。
    「ぴあの」の家がなくなる…と聞いて、報道関係者が連日のように押し寄せ、取材に来られましたが、なかなか私の思いを伝えるのが難しくて苦労しています。

    そうそう…新ビルの屋上に、地域の人々に時を告げる時計台を設置しようと考えています。これはデジタルではいけません。針のものでないとね(笑)。

Update : Nov.23,1997

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