われら六稜人【第20回】数奇なる強運弁護士の半生

第1法廷
生まれは弁護士の家系

    私は大正9年(1920年)に弁護士の家庭に生まれました。3歳の時に親父の事務所が暴力団に占拠されてしまってね。大阪市の下請けをしていた鳶職の下請 代金を親父が差し押さえたのが理由…それがいわゆる暴力団で、「300人の子分が飯食えん」と言って乗り込んできたのです。兄弟がみな親戚の家にそれぞれ疎開させられて…私は祖母の住む両親の故郷、和歌山県の桃山町(当時は安樂川村神田【あらかわむらこうだ】といった)に避難 さされました。紀ノ川の支流の支流で、桃とみかんの生産だけの田舎暮らし。抗争は2ヶ月で終わり、兄弟はみな大阪に戻りましたが、当時5人兄弟の末っ子 だった私は(後に妹が生まれた)そのまま残されて小学校に上がるまでそこにいました。

    ですから私は幼稚園を知りませんし、まぁ…生まれた時からやんちゃでしたけれども、妙に意固地なこの私の性格は、紀州の山奥で育ったためかとも思います。えっ、徳川吉宗に似てるって?嬉しいことを言ってくれるじゃない!

    そうして、西天満小学校に入学しました。何しろ田舎育ちの粗野で奔放な性格が、当時からガキ大将でね…喧嘩が強くて、近所の子分を引き連れては悪戯ばっか りやってました。老松町通りの家々に勝手に侵入したりしてね。田舎で育ったからチョコレートも知らなかった。それで、初めて食べた時には「こらぁ、旨いも んやなー」と感動して、口の周りにベタベタつけて食べたことを覚えています(笑)。

Update :May.23,1999

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