われら六稜人【第16回】ラテンのリズムに合わせて

第6ステージ
留学のスゝメ

    異なる文化を体験して、日本の常識が必ずしも世界には通じないことがある…ということを、身にしみて分かって欲しいとは思いますね。しかもなるべく若い時にその経験を積んでおくのが大切だと思います。いま、日本人は世界中どこにでもウジャウジャいますから…語学留学をするのであれば「どれだけ日本人との接触を絶てるか」というのが、上達のひとつの物差しになると思います。
    これは、国際交流事業団や国連関係の仕事をしている友人たちと話し合った結論でもあるのですが…よほどの僻地に行かない限り日本人はいるんですよね。それ で、一度親しくお友達になってしまうと、どうしてもイザという時に頼ってしまいます。別にそのことを全面的に否定するわけではないのですが、こと言語に関 してはダメですね。上達しません。「現地の日本人社会とどれだけ関わりを絶てる人間になれるか」ということが非常に大切なポイントになります。

    たとえば、顕著な例で言うと…病気になった時。日本人の知り合いがいたら、ついついそちらに頼ってしまいます。ところが、日本人に頼れない…現地の人にし か頼れないという極限にまで自分を追い込んでいればですヨ…言語は上達しないワケには行かなくなります。また、自分が病気で苦しんでいる時に、現地の人た ちがどのような反応を示すかということも、非常に良い勉強になります。

    これは私の経験でもあるのですが…滋養をつけるように、という配慮でしょうね。油でギトギト光るようなチキンスープを出されたことがあります。日本人だっ たら絶対にやらないことですヨ。油なんか厳禁…お粥とか、せいぜい玉子入りの鍋焼きうどんとか…アッサリしたものを作ってあげるでしょ。しかし、彼等の常 識ではそうはならない。「病人は出来るだけ体力を付けなければ」という思いやりからだと思いますし…たぶん彼等の体質ではそれを受入れられるんだと思いま す。
    そうすると、苦しい病の床で「日本人は体質が違うから脂気ものはノドを通らない。悪いけれども油を除いた薄いスープを作ってくれないか」とお願いしなければならない。そんな苛酷な状況から…真の語学が身に付いていくんじゃないですかね(笑)。

    言語のスキルがある一定以上に達しなければ、現地の人たちといくら表面的に友だちになったとしても、決してそれ以上の関係にはなり得ないですね。ただ…言語の習得に年齢の上限があるとは思いません。私の場合…ある瞬間を境に「チャンネルが切り替わった」時期があります。それまでは、いちいち日本語で考えないと外国語が出て来ませんでしたが…しかし、 一度切り替わってしまうと、その国の言葉で思考するようになるんです。日々、マドロッコシイと思っていることが、ある一瞬を境に突然…乗り越えられるンで すね。そう、鉄棒で「逆上がり」ができた時のように! それを通過しちゃうと…何だこんなことだったのかということになります。

    一度このチャンネルが変わると、もう忘れません。通訳をする時は、このチャンネルを意識的に切り替えるのです。ただ…疲れてくると、日本語のほうが変に なってくることもあります。スペイン語で喋っているときに、日本語で横から割り込まれると、分からないこともありますヨ。スイッチングが出来なくなってし まうんですね。両方が混ざってしまうこともあります(笑)。

    外国語を修得しようとして途中でくじけてしまう人の大半は、必ず対応することばを1vs1で覚えてなければイケない…という変な思い込み、錯覚をしているんじゃないでしょうか。
    言語というのはツール、「道具」です。ですから、鉛筆=pencil、はさみ=scissors という具合にキチンと対応する単語が出てくる必要はかならずしも無いンです。日本語だって「ほらほら、切るモン持ってきて」とか「何か書くモンない~」て 言うじゃないですか。外国語でもまったく同じ。対応する単語が分からなくても、それは恥ずかしいことでも何でもないのです。実際、ネイティブだってそうで しょ。「something to cut」って…言いますよ。

    簡単な単語がとっさに出て来なかったとしても、別の言い回しで意志さえ伝われば良い…。暮らしの「ことば」は決して試験問題ではないンだから。

Update : Jan.23,1999

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