われら六稜人【第16回】ラテンのリズムに合わせて

第4ステージ
歌手として生きる?

    94年にキューバで国際サルサフェスティバルが開催されました。日本からも代表バンドを出さないかということになり、HAVATAMPAというバンドが出場することになったのです。HAVATAMPAは、もともとは日野晧正氏を中心にラテン&ジャズ系のベストメンバーを集めて結成されたインスト系バンドでした。各パート選り すぐりの一流の演奏家たちばかりを集めたバンドで、最盛期には武道館を満席にするくらいの公演をこなしていたのですが、日野氏の退団とともに解散状態に なっていました。86年から89年までのことです。

    それで、サルサフェスティバルの出場を機に、リーダーの吉田憲司さんがたまたま輸入盤で手に入れた私のCDに興味を持たれていて「ヴォーカルとして参加しないか」と誘ってくれたんです。


    ●国際サルサフェスティバル
    (キューバ、1994)
    サルサというのは本来、踊りのための音楽で…昔、ペレス=プラードのマンボがありましたよね。それを洗練したものだと思って頂ければ良いかと思います。ペ レス=プラードのマンボはキューバの音楽なんですが、59年にキューバ革命が起こり、アメリカとキューバの国交が断絶されました。
    そのため、アメリカで働いているキューバ人ミュージシャンは、亡命するか帰国するかを選ばなければならない状況になったのです。アメリカ中にキューバ色が なくなった時代なんですね。そういう時代に注目されたのがプエルトリコやパナマなど…キューバの陰に隠れていたミュージシャンたちで、そういう人たちに とっても、活動の場が与えられるようになったとはいえ、白人の勝手なやり口じゃないですか。仕事ができて嬉しいんだけど、気持ちとしてはすっきりしない… 政治に翻弄されているという…。当時、70年代ですが…黒人解放運動とか、ネイティブアメリカンの人たちの人権運動が世界的に盛り上がっていました。そのような時代にマイノリティの人た ちを中心に、マンボのような歌を中心とした新しい音楽のムーブメントが始まったのです。その1つがサルサなんですね。だから、マンボにも近いところがあり ますし、ビートルズの影響なども受けている。

    ですから、ラテンジャズであればインストでも良かったのですが、サルサならヴォーカルが必要だ。ということでHAVATAMPAは、サルサフェスティバルの出場にあたって歌手を探していたんですね。それに私が声をかけられた、と…。


    ●市立劇場(オペラハウス)公演
    (メキシコ、1995)

    もっとも、このあと、HAVATAMPAは斬新な編曲や音楽性の高さが評価されて、オペラハウスに 招かれたり、芸術祭やジャズフェスティバルなどに招待されるようになったこともあって、必然的に、内容も、オリジナリティの部分が進化して、ある種パター ン化された音楽であるサルサから、ヴァラエティのあるものとなってきました。

    いまでは、ラテンのリズムを基盤にしながらも、クラシックからジャズ、キューバ音楽などを幅広く消化して独自のものを作っていますから、もうサルサバンドとは言えなくなってしまいました。
    私もきつい編曲についていかなくてはならないので、成りゆきとはいえ、大変です(笑)。

    音楽家で食べられるかどうかというと、正直言ってそれはもう「当てモン」の世界なんですね。あまり現役の後輩諸君には勧められない…まっとうな仕事ではな いですから(笑)。一定の収入保証がないですから、クレジットカードが作れないとか、部屋が借りられないとか…ともかく社会的な信用は非常に低いですね。 だから、よほど本人に覚悟がないと止した方がいいということです。それに近頃のような不況になると、まず切られるのがこのような仕事です。音楽家が音楽の仕事から足を洗えないのは、もう既に他の仕事ができない体になっているからですね(笑)。ここまで投資したからもう辞められない…とか、そういうこともあるかも知れませんが、もともと会社勤めの出来ないような人が音楽家になっているのかも知れません(笑)。
    それと結果的によい演奏をした後の、快感というか満足というのはあります。精神的な快感だけでなく、肉体的な快感もね…βエンドルフィン作用ですね。一度それを味わってしまうと、なかなか辞められないのですヨ(笑)。

    それと日本では割と定形のカッチリした演奏が望まれますが、海外では型破りなものほど評価されます。例えばコンサートを企画する時、日本人は自分の知って いる曲を望む傾向が多いわけです。なぜかといえば、日本人は音楽を聴いて安心感を得ようとしますから…全曲知っていなければ不安なのです。ある程度自分の 知っているものやスタイルについては安心して受け入れるのですね。だから、既存のスタイルと全然違う場合は、よほどの評価を得なければ商品として成立しな いのです。売れないンですね。

    外国はまったく逆ですね。外国のコンサートでみんなが知っている曲や、すでに誰かが演奏したようなものをプレイすれば途端にブーイングの嵐です。日本では ブーイングは絶対にありませんよね。けれど、海外の公演で日本の超有名なミュージシャンが、ブーイングで演奏を中断せざるを得なくなった…というシーンに は何度か遭遇したことがあります。音楽に対して求めているものが根本的に違うんですね。
    向こうの人は「新しいもの、自分の今まで持っていないもの」を聴きたいという傾向が強いのです。日本人はそうではないですよね。日本ではそのような型破りのものはなかなか評価されません。よっぽどの後ろ盾…権威づけがなされないとダメなのですヨ(笑)。

    今、私の活動の本拠地は東京がメインです。メキシコでも96年に為替の大暴落があって、銀行預金の価値がいきなり半分になるという事件がありました。私に 取っても実にショッキングな出来事で、以来…メキシコでは日本以上に不況でして、経済的に向こうで仕事をすることは非常に苦しいのです。たとえば、クラブに出演して3,000ペソのギャラを貰うとしましょう。当時は1ドル=3ペソでしたから、1,000ドルなんですね。1ステージ 1,000ドル貰っている時には、バックミュージシャンにも気前よくギャラを弾むことができましたし、月に2~3回も公演すれば、お手伝いさんを雇えるく らいの生活はできたのです。
    ところが為替大暴落で1ドル=7ペソになってしまったでしょ。同じ3,000ペソを貰っても、価値が400ドル程度に下がってしまった。これだとミュージ シャンに給料を払ってしまうと、私の手許に残る金額は少しにしかなりません。物価も平行して下がっていますから生活はできなくはないのですが、ギリギリで すよね。そんなことをしていると一生、日本に帰って来れなくなります(笑)。

    それと、不況になって一番最初に切られるのは…どこの世界でも同じだと思いますけれど…私たちのような仕事なんですね。

Update : Jan.23,1999

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