われら六稜人【第10回】「いのちの携帯電話」を持つ男

第2病棟
心臓移植に捧げた30年

    当時、免疫学というのはまだ体系づけられていなかった。実験していると今まで誰も知らなかったことが自分の目の前に出てくるでしょ。何でやろ?と思ってい るのが解るというのが大変楽しくてね…。今でこそ外科と免疫学というのは非常に身近な関係にある訳ですけど、当時の外科医にとっては免疫なんて全く関係な かった。じゃあ、どうしてそんな僕が外科医になったかというとね…ずっと免疫の研究を続けて、いよいよ卒業という年の暮れに、南アフリカのバーナードという人が世 界で初めて心臓移植をしたという記事が新聞に出たんだね。そしたら、うちのボス(当時の日本の免疫界では第一人者)が「何たることや!」とものすごく激怒 したわけ。
    個体を変えて臓器を移植すると免疫の所為で拒絶反応を起こすことは分かっていた。けれど、どのようにして拒絶されるか/解除されるか、どうしたらそれを防 げるか…というのが、どうにか「細胞レベル」では解り始めていたけど、「小動物」でもまだ解明はされていなかった。それをいきなり人間に適用してしまうの は何たることや…と、ごっつい怒りはったワケや。僕はその怒っている姿を見て感動もしたし、言語道断…とても許されるべき行為やないと思った。
    そしたら「日本でも近々やるらしい」という噂が出て、「これは絶対くい止めなければならん」というんで僕は外科に行く決心をした。外科医なんていうのは免疫のコトなんか何も知らんやろ…ちょっとは科学的に免疫の仕組みを理解して貰わなアカン…。
    そうして外科の教室に行って、開口一番の挨拶に「私は、ココの外科に『移植をやってはならない』ということを理解して貰うためにやって来ました」とブったんです。まぁ少し酒も入ってましたけどね。

    外科にいって「なんで、してはイケないのか」ということを突き詰めていくと、実験を進めていくうちに「これとこれを押えておけば出来るのでは」ということ が次々と分かってきた。だから、ある時点で気が変わった…というのではなくて「やったらイカン」ということを証明して行くうちに「これを押さえたら出来る やないか」ということになって行ったワケ。そうして研究や実験を積み重ね続けてきたわけだけど、実際には移植はできなかった。ひとつには「社会の心理的な要因がそれを阻んでいた」のと、もうひとつには「それを受け入れるだけの社会システムが十分には整っていなかった」というコトがある。

    どういうコトかと言うとね。普通の医療だと、患者さんがいて、その病院で治せる技術を持っている人が対応する…という比較的小さなフィールドで完結するの に対して、心臓移植は「阪大病院でやる」といってもなかなか医療者のみでは対応できない大がかりな連携システムが必要なんですね。中間の作業に第三者が介 在しないと成立しないンだ。

    「臓器を提供したい」という人が現れる瞬間から、いろんなシステムが同時にスムーズに動かないといけないワケで…しかも時間の制約もある。心臓の場合だ と、摘出してから次の患者さんのところに持っていって動き出すまでの猶予は4時間しかない。途中に介在する人達が連携をとって、この「4時間以内」にすべ ての作業を速やかに行わないと駄目なんです。

    例えば…北海道に提供する人がいたら、まず摘出手術を定刻通りに始めて、定刻通りに終ってくれないと…こちらでも同時に手術が始まっているからね。取り出 した心臓は、ちゃんと保存しながら一刻も早く運送しないといけない…それで、心臓が病院を出る時にはパトカーが待っていて、先導してもらい、空港では搭乗 手続きも何もせずに飛行機に跳び乗る。もしそれが定期便であれば、その離発着時間にあわせて手術を進行させるんだ。
    大阪空港に到着したら、やはりヘリコプターかパトカーが待っていて…病院についたらスグに手術室へ。この一連の動きを、ドコも滞り無く動かさないといけない。これは一つの医療機関の決断だけでは出来ないことなんです。

    臓器移植がそういう医療であることを分かってもらうのに10年位かかった。例えば、運送途上で現在の状況を把握するのにはどうしたらいいか。これ…一番い いのはセコムなんです。セコムのネットワークというのは、発信機器をつけたら全国で分かるようになっている。いちいち交信しなくてもいい。
    それから定期便を使うためにはどうしたらいいか。航空会社に頼みに行くでしょ…発券せずに飛行機に乗るにはどうしたらいいか。結局は、日本交通公社の端末 が医療ネットワークの中に入っていて、いつ誰がどこへ行くということさえ決まれば、ひかりの座席も取れるようになっている。こういう一連のシステムを作り 上げるのに、さらに10年かかったんです。

    僕が今いる部署というのが、正式には大阪大学医学部付属バイオメディカル研究部臓器制御部門臓器移植学研究部といって、平成6年からこの部署になったんだ けど…もともと属していた外科が心臓がメインだったので「どうしたら心臓移植ができるか」というのが長年の課題だったんですね。
    ココに移る平成5年までは実際に心臓も切ってたんですヨ。僕も動物では実験しました。犬の心臓移植だけでも200例くらいはしたかな。そもそも心臓移植の 技術自体は簡単なわけです。問題はそこへ至るまでのシステムが完璧に動くかということ。あるいは、それ以前の…移植しようとする患者さんの管理がどこまで 出来るか。その患者さんは本当に移植でしか手だてがないのか…。循環器内科でいいコンディションにして移植を待つ状態にしてくれなければ、いざ外科の先生 が頑張って手術をしようと思っても可能な患者さんがいない…というようなコトにもなりかねない。

    結局ね、ミイラ獲りがミイラになって…もう、かれこれ30年間ずっと移植のこうした研究に携わっているんです。いまだに心臓移植は実現していませんが、そのシステムづくり、環境づくりに30年このかた…専念していることになりますね。

Update : Jun.23,1998

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