【第182回】2月「楽天イーグルス創設物語(完全編) ~球団創業から日本シリーズ優勝まで~」

Ⅰ.日時 2018年2月15日(水)11時30分~14時
Ⅱ.場所 THE  BAGUS PLACE(バグースプレイス)
Ⅲ.出席者数 61名
Ⅳ.講師 佐野憲一さん@98期 (楽天株式会社チケット事業ジェネラルマネジャー)

1967年大阪府池田市生、北野高校98期、慶應義塾経済学部卒
アンダーセンコンサルティング~アクセンチュア株式会社
楽天株式会社、2004年楽天イーグルス創業~2013年日本シリーズ制覇
パリーグマーケティング株式会社執行役員
株式会社チケットスター代表取締役社長
楽天株式会社チケット事業GM
Ⅴ.演題 「楽天イーグルス創設物語(完全編)~球団創設から日本シリーズ優勝まで~」
Ⅵ.事前宣伝 「2004年秋、近鉄バファローズが経営難のために消滅しました。
選手は行き場を失いストライキを敢行、セ・パ合併しプロ野球が1リーグにリストラされようとする中、新規参入に手を挙げたのが楽天でした。
50年ぶりの新球団が誕生したのは開幕までわずか5か月に迫った時のこと。
プロジェクトメンバー3名、チームも球場も会社もなく、すべてゼロからの創業でした。

そんな状態からファンのために取り組んできたこと、
東日本大震災の惨禍と絶望を乗り越え、地元の人々とともに悲願の日本シリーズ優勝を勝ち取った時の喜び、
楽天イーグルスを通じて東北に生まれた勇気と絆、

子供たちの未来と地域の発展に向けてプロ野球球団が担うべき役割や社会貢献のありかたなど選りすぐりのエピソードを、創業から日本シリーズ優勝まで駆け抜けた一人の北野生がお伝えします。

2017年6月の東京六稜総会では話しきれなかった秘話も満載、笑いと涙のアメージングストーリー。」

Ⅶ.講演概要 講演は「夢」の話から始まった。
昨晩、楽天の星野元監督と野村元監督夫人サッチーが「夢」に現れた。自分が東京六稜倶楽部で楽天イーグルスの講演をしたいと相談したところ、星野監督は「バカ野郎」と烈火の如く怒りだし、サッチーは「あら、いいわよー」と微笑んでくれた。感謝の気持ちを込めて今日はサッチーの話をしたい。

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ここで、変わった話題に移る。世界で最も「夢ある人物」として傾倒しているイーロン・マスク(Elon Musk)という南アフリカ共和国出身の起業家のことを語り始めた。自らが経営するスペースX社でファルコンという大型ロケットを開発したが、これは三段式ロケットの先にテスラのオープンカー(電気自動車)が搭載されており、補助ロケットは再利用のため宇宙ゴミにせず、逆噴射しながらピタリと基地に戻ってくるという画期的なもの。アニメーション動画が投影され、火星に向かって飛んでいるオープンカーと地球の様子がライブで映し出された。人々の心躍る壮大な「夢」を実現している人物を紹介したかったとのこと。

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夢の続きは、球団創設の経緯に移る。幼少の頃からプロ野球に夢を抱いていたが、まさか自分がプロ入りするとは夢にも思っていなかった。2004年、近鉄のプロ野球撤退を機に選手はストライキを敢行するなど球界は大混乱に陥った。オーナー会議では今後のリーグの在り方などについて協議がなされた。巨人を中心に1リーグ制にするかという案も議題に上ったが、楽天が参入して2リーグ制が維持されることに落ち着いた。夢は現実となった。自分たちの仕事が日経新聞の1面トップを飾った時、父に電話で報告したが、日刊スポーツのことだと今も(あの世で)誤解しているはずだ。

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プロ野球は楽天として全く未知の分野であったが、3月の開幕まで待ったなし、2004年11月従業員5名のチームが結成され、いよいよゼロからプロ野球球団を立ち上げることになった。不眠不休とはこのこと、多忙を極めた辛い日々であったが、この仲間と一緒に、自分たちのチームが自分たちの球場で胴上げする、そんな夢を楽天的に抱いていた。

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先ず選手のユニフォーム、球団のマスコットなど手近なことから準備を始めた。だが、最も肝心な選手集めを忘れていた。他球団をクビになった選手ばかりでチーム作りは困難を極めたが、エースとなる岩隈投手や野手では磯部選手が入団を決めてくれた。契約交渉の席で契約書ではなく色紙にサインをもらおうとして岩隈に失笑された。

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11月からのスタートであるので直ぐに秋季キャンプを行った。ユニフォーム調達が間に合わず、メーカーに提供していただいた真白な練習着を田尾監督以下全員で着用し、まるで高校1年生の部活のような格好で練習を行った。臨時で集めた球拾いアルバイトにはスーツ姿の者もいて意味不明だった。野球のキャンプは選手だけでできると思っていたが、裏方さん含めていろいろな仕事があって、選手の3倍ほどの人数が必要と関係者に指摘されたが、既に手遅れだった。

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更に球団が出来ても球場が無ければ試合が出来ない。宮城球場がホームグランドとして使えることになったが、開幕まで100日しかない中、プロ野球仕様に大規模改修工事を行う必要があった。先ずはアイデア探しに大リーグの球場を視察することにしたが、冬季は閉鎖されていて、アポなし訪問では中に入れず、結果の乏しさはカラ視察に近かった。

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大リーグの物真似で球場を作っても楽天らしくないということになり、独自のアイデアで球場を建設することを考えた。新球場の名は楽天ゴールデンイーグルスにちなんで純和風「犬鷲球城」にしようという案の他、球場スタッフについてもいろいろ奇抜な案が出た。即ち、ボールボーイは素早い「忍者」、グラウンドキーパーは竜安寺の石庭をイメージして「住職」、アンパイアは大相撲の「行司」式守鷲之助、ウグイス嬢は「呼び出し」、ピッチャー交代時は「早駕籠」でエイサ、ホイサと運ぶ等々。本社役員会にて、渾身のプレゼンテーションを行ってこれらを提案したところ、役員は空前の大喝采であったが、三木谷社長にNOと言われ画期的な新球城案は夢に終わった。

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いよいよシーズン開幕を迎えたが、内心勝てるかと思っていたロッテにいきなり26対0で敗れた。しかも楽天はわずか1安打という悪夢のような試合であった。その年の成績は38勝97敗1分、首位に51.5ゲーム差という凄まじい弱さで最下位であった。

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1年目の無残な成績の責任を取って初代田尾監督は退任、野村監督にチームの基礎作りを託した。野村監督は就任4年でチームを見事クライマックスシリーズに導き、生涯一捕手として半世紀ものプロ野球生活に有終の美を飾った。その後ブラウン監督から星野監督へ9年間で4人の監督にお世話になった。

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それぞれ非常に個性的な監督たちであり、チームも戦力が強化された。監督のエピソードはいろいろあるが、星野監督は昨夜の夢で激怒していたので今回の紹介は遠慮したい。野村監督はまるで将棋指しである。一球一球試合の全プレーをビデオ録画のように正確に再現できる。話し相手も自分と同じレベルと思っているから困りもので、全く会話が成立しない。選手に一つのことを伝えるのにも一時間二時間は平気で話をする。選手は早く帰って寝たい。黒板に「耳順」と書いて一時間、「原点」と書いて二時間。有名な野村ID野球のミーティングであるが、人生哲学のような講義を理解し、明日のプレーに活かせる選手は先ずいないと思った。みな寝ていた。監督に言わせると、考えるか考えないかで100本中1本の差が出る、ヒットを打てるか否かが決まるのである。

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また、長嶋茂雄は本当に偉いヤツだと言う。ある時、脳梗塞で入院していた長嶋氏の見舞に行ったが、そのような大変な状況ですら彼は野球のことを考えていた。熱は何度あるのかを尋ねたところ、36度3分というべきところを「3割6分3厘」と言った。

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サッチーは滅茶苦茶な電話魔である。遠征先で夜中に自分がシャワーを浴びている時に更衣室に置いたケータイの呼び出し音がひたすら止まらない。当初無視していたが着歴が20回にも及ぶ。何事かと思って折り返すと「先日行ったレストランの名前が思い出せないので教えて欲しい」であった。徹底して物事を成し遂げる姿勢は見習いたいが、正直悩んだ。昨年12月に永眠され、これから着信がないかと思うととても寂しいが、もう夢には出ないで欲しい。

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新設球団の経営は当然ながら苦しい。如何にして観客を増やし、売り上げを増やすか、いろいろな施策を考えた。

(1)その中の一つは観客席のクラス分けである。高い席、中位の席、安い席などサービス含めて細分化しチケットの値段を日毎に変える方法を採ることにより、観客の満足度を下げることなく売り上げを25%増やすことが出来た。今では12球団の大半が楽天方式を採用している。

(2)また、観客にビールを売る仕事も売り方を工夫することで業績は大きく変わる。ビール好きなので自ら売り子になって12球団で一番ビールを売る球場を目指した。売り子の女性は、客にビールを注いで手持ちのビールが無くなったら、直ぐ基地に戻りまた売ることを繰り返す。1タンクは15杯しか注げない。そこで時間を節約するために基地を何処にするかも考えた。更に、観客席の何処から売るかも工夫した。先ず観客席の最上段から売ること、上から売ると観客のビールのコップの中の残量が見えるので、「お注ぎしましょうか」と言って売ることが出来る。

野球とはいえ、お客様のニーズを把握・分析し、それに適したサービスを提供、日々進化させることで売り上げを向上させるという基本は、どの商売・マーケティングでも同じだと思っていた。

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新球団、新球場が出来て一段落したところへ「大地震」「津波」「原発爆発」である。2011年3月11日、テレビ報道などで状況はよくご存じだと思うが、平和な東北の町が一瞬にして地獄絵図と化した。どうか夢であって欲しい、そんな思い虚しく毎日が絶望の日々となり、泣いて暮らした。人々の悲しみ、嗚咽のやまない避難所で一週間過ごしたが、そこの生活で忘れられないのは、避難所にテレビを持ち込み、楽天の試合を見て一生懸命に応援してくれるファンの姿を見たことである。選手や球団が人々を励ましに来ているのに、被災したファンから励まされたのだ。

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その後、楽天はエース田中マー君の大活躍で悲願のリーグ優勝を遂げ、星野監督は日本シリーズを制して初の日本一となった。被災地からの祈りを受け、田中の成績は球史に残るシーズン24勝0敗、仙台での試合はおろか敵地でも一度たりとも負けることがなかった。自分たちの球場で自分たちのチームの胴上げ、一生忘れられない瞬間であった。

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さいごに、自分は夢を持って生きてきた。
小さな夢、大きな夢、それを実現するにはどうすればいいのか考えてきた。一つの夢、プロ野球に係わる仕事が出来たことは自分にとって本当に幸せだった。優勝の時、こんなにも多くのファンが喜んでくれたことに心から幸せを感じた。そしてこれからも人様に喜んで頂ける仕事を続けていきたいと思っている。

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なお、自分が所属していた母校のラグビー部は1987年「夢」の花園出場時に70名いた部員が減少し続け、2015年には部員ゼロ、廃部の危機に瀕した。だが現役とOBが再興に努め、部員数は今年11名にまで増加した。2023年の創部100周年まであと5年、OBの一人として再びチームが花園で勝利することを誓って先日、夢を「目標」に切り替えた。

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思えば、楽天イーグルスもゼロからのスタートだった。

母校ラグビー部を復活させ、再び六稜倶楽部で報告できる日が来ることを願っている。ありがとうございました。

Ⅷ.資料 なし

 

 

佐野憲一(プロフィール写真)