【第116回・2014年3月1日(土)】海に架ける。はじまりは瀬戸大橋から

ちらし用140301TR116-Yamanaka-75ki-DSC07641山中廣志さん@75期(橋梁関連)

◎略歴 1944年、大阪府生まれ。北野時代は柔道部主将を務める。1967年、名古屋工業大 学土木工学科を卒業、日本道路公団に入社。府中工事事務所で 中央道建設に従 事。1970年、本州四国連絡橋公団に入社。児島調査事務所を皮切りに瀬戸大橋な どの調査計画・建設・保全に従事。1997年、財 団法人海洋架橋調査会に入社。 長大橋の事業手法・技術の検討、橋梁技術支援業務などに従事。2009年、橋の科 学館館長を最後に退職。  現在、徒歩による河川遡行と橋梁の現況調査を敢行中(徒歩距離:約6千km、 調査橋梁:約1万橋)。NPO法人社会基盤ライフサイクルマネジメ ント研究会 (SLIM-Japan)会員、自治体インフラメンテ検討委員会委員。

◎講演サマリー  瀬戸大橋が開通して早25年、昭和45年に児島調査事務所での瀬戸大橋との係わ りから43年が経過しました。当初はその規模の大きさと技術的に 困難な長大橋 群に圧倒されながら、四国の長年の夢の実現に向かって邁進してきました。瀬戸 大橋の特徴は世界に類を見ない強潮流、大水深の海に数多 くの橋の基礎を施工 するところにあります。瀬戸大橋の建設の進捗に伴い、より規模の大きな明石海 峡大橋の施工法も瀬戸大橋のノウハウが注入改良さ れ世界一の吊橋が完成しま した。本四連絡橋を始め最近完成した世界の長大橋の新しい技術と工程管理の元 は瀬戸大橋に有ると思っています。瀬戸大橋 から明石海峡大橋への基礎施工法 の改善は多くの現場の経験がものを言っています。  本四連絡橋の完成後は本四の総括とその後の世界の長大橋の取り組み方を分析 し、次の更に技術的、資金的、工程的に困難な長大橋の建設手法などに ついて の検討を進めました。実際に本四の建設に携わった各方面の技術者の検討結果が 将来陽を見る時が訪れることを願っています。  私が携わった瀬戸大橋を中心に本四連絡橋と世界の長大橋の歴史と進展をご紹 介します。今後の超長大橋に向けての検討と見通しについてもご紹介し ます。  夢は持たないと叶いません。

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