恩師の近況1997【芸術】

木川田 誠先生

【音楽】
昭和32年~昭和37年

    北野を退職後、昭和39年に同志を語らい、声楽家の団体を結成。 爾来33年、いつの間にかオペラ演奏団体として認められ、春秋2回の定期公演を中心に500名近い会員を擁して頑張って居ります。 悲願のヴァグナー原語上演を実現するに及んで、30年余りの努力は無駄でなかったと振り返って居る今日この頃です。同窓会長稲畑勝雄氏には北野の御縁で絶 大な御協力を頂いて居ります。是非、みなさんもオペラに足を運んで下さい。小生のプロフィールを記します。

    木川田 誠【声楽・バリトン】
    昭和32年、東京芸術大学を卒業後、関西を代表するバリトン歌手として数多くのリサイタル、オペラ、オラトリオ、歌曲の演奏会への出演と幅広い演奏活動をしている。昭和39年、4人の仲間とともに声楽研究団体である関西二期会を創設し、我国を代表するオペラ演奏団体に育て上げ、その総師としてこの33年間、困難をきわめるオペラ制作や新人の育成を意欲的にこなしている。

    また、相愛大学音楽部長として後進の指導や大学運営に携わるほか、日本シューベルト協会や日本演奏連盟等の役員として音楽界の発展・向上につとめ、あまがさき未来協会理事として地域の発展に尽力するなど多彩な活動を続けている。

    昭和51年尼崎市民芸術賞を、昭和63年兵庫県文化賞を受賞、昭和54年にはヤナチェック作曲オペラ「利口な女狐の物語」を本邦初演した功績により、チェコスロバキア共和国からヤナチェックメダルを受章している。

    現在、相愛大学教授、関西二期会理事長、関西二期会オペラ活動支援賛助会専務理事、二期会オペラ振興会理事、あまがさき未来協会理事、日本シューベルト協会常任理事。

内藤伸彦先生

【美術】
1985年~1995年

    山田高校であいかわらず美術教師をしています。あいかわらず、絵を描いていますが、「非具象」の世界にさまよい、一匹狼?でやっています。「恩師を訪ねて」と言われると、とまどいます。かつて北野高校で教鞭をとっていた者の一人にはなるのですが、「恩師」のカテゴリーには入らないと思います。

Last Update : Sep.20,1997

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